田原城(たわらじょう)

田原城の基本情報

通称・別名

所在地

大阪府四條畷市上田原字八の坪

旧国名

河内国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

田原但馬守

築城年

室町時代後期?

主な改修者

主な城主

田原氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、井戸

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

北田原城(奈良県生駒市)[1.6km]
飯盛城(大阪府大東市)[3.8km]
菜畑城(奈良県生駒市)[4.4km]
野崎城(大阪府大東市)[4.4km]
高山城(奈良県生駒市)[4.8km]
岡山城(大阪府四條畷市)[5.7km]
三箇城(大阪府大東市)[6.1km]
水走城(大阪府東大阪市)[7.5km]
宝来城(奈良県奈良市)[7.9km]
交野城(大阪府交野市)[8.0km]

田原城の解説文



田原城(たわらじょう)は、河内国(大阪府四條畷市上田原)の大和国との境界付近に建てられた戦国時代の日本の城(山城)。

概要 

築城者は田原庄の荘官であった田原対馬守(名は不明・某と記される)で戦国時代には畿内の支配者となった三好長慶に属し、田原城も永禄3年(1560年)以降は長慶の居城とされた飯盛山城の支城として機能したといわれる。また、田原城より北に元の居館があったともいわれている。

田原対馬守は一説には松永久秀の被官であったという。三好氏の没落とともに田原城も廃城とされた。田原城については残されている史料は少ない。田原対馬守は、付近に存在した千光寺を代々の菩提寺としたと伝えられ、寺跡の発掘調査で田原氏の墓所と考えられる遺構も検出されている[1]。現在では近辺の月泉寺にその位牌が伝えられている。月泉寺の墓地には田原氏の墓碑とされる五輪塔も現存する。

最後の城主はキリシタンとなり、洗礼名は「レイマン」と言ったことがルイス・フロイスの書簡(『フロイス日本史』)からわかる。また2002年(平成14年)に行われた千光寺跡の発掘調査では、十字架およびイエズス会を示す「H」マークの下に『天正九年(1581年)辛巳・礼幡(レイマン)・八月七日」と刻まれたレイマンの墓碑が出土した。日本最古のキリシタン墓碑であり、かつ遺跡からの出土資料と文献上の人物とが一致した貴重な例として、大阪府の有形文化財に指定された[2]

参考文献 

  • 四條畷市教育委員会編『ふるさと四條畷』 2010年

田原城の口コミ情報

2022年02月09日 首藤志摩守通宗
田原城



小規模ながら明確な郭群を楽しめる。写真右下には井戸があり、今も現地の人が日常的に使っている様子。

2021年06月01日 にゃんこi雅楽頭
田原城



なんの気無しに近くでポチった折に表示されたなんとも魅力的な堀切の投稿写真にテンション上がり、急遽攻めてみることに笑

北側の搦手、または東側の大手(民家あり)から本丸の真南にまわると登城口の案内板があり、分かりやすい。駐車場はありません。
本丸南側からほんの10数歩、本丸に登る階段の手前に2m級の高低差の堀切に入る別れ道があって、思わず「ええええっ」と声をあげてしまいました、1人なのに笑
堀底を北に進むとに井戸曲輪に出ます。その先は搦手へ出てしまうので、引き返して本丸へ。ひょいひょいと階段を登るとすぐ。こじんまりとした本丸ですが、北〜東方面の視界良好。
西南の方にも張り出した曲輪があるようでしたが今回は行けず。だって時間なかったし、「スズメバチの巣に注意」って書いてあったし(汗

ほんの10分程度でこれだけ見られたら充分も充分。住宅地の外れ、古めの集落の中にある小さな竹藪は、見応え抜群の丘城でありました。

2020年09月26日 大納言Z武蔵守369
千光寺跡[田原城  寺社・史跡]



田原城主の菩提寺がかつてここにあり、2002年2月14日の発掘調査で城主田原対馬守(レイマン)のキリシタン墓碑が発見された。これは我が国最古のキリシタン墓碑である。なお、墓碑等の出土品の多くは現在四條畷市立歴史民俗資料館に展示されています。(当地から資料館までは清滝峠を越えることになります。田原は大阪府四條畷市なんですが、ほとんど奈良県生駒市のようなところなので)
他に墓や土塀の基礎の跡が出土されました。

2019年05月01日 熊代左衛門佐
田原口(俵口)城 [田原城  遺構・復元物]

城主 俵口氏
長福寺と、その裏山を城として利用していた。

俵口伊与守(伊予守のことであろう)という名の人が大和志に登場する。

2018年09月27日 橘若狭守次郎吉
田原城

田原城跡より北に1㌔のところには『田原古城』があります。田原古城についての詳細は不明ですが、田原城主の田原氏の居館だと云われています。田原城が築城されるまで居をなしていたと思われます。
現在は正傳寺となっており遺構は残っていませんが、丘の上に位置しており、さらに小字が「古城」であることが城の名残です。
田原城の素晴らしい遺構を満喫した後は
①田原氏一族の五輪塔のある<月泉寺>
②田原氏一族の菩提寺の<千光寺跡>
③田原氏の居館跡<田原古城>
とかつてこの地域に台頭していた在地領主でキリシタン領主であった田原氏の軌跡を辿ってみてはいかがでしょうか。

2017年01月04日 シバヤン左兵衛督忠肝義胆
田原城

近鉄生駒駅南口から奈良交通バス田原台一丁目行きに乗り「池谷」で下車して北へ行き診療所の大看板のある脇道に入ります。道なりに歩き橋を渡り歩いて行くと右手に車の販売店があります。その左手の丘陵に田原城の入口案内があります。
先日、一回目の訪城の時はこの反対側から登城しましたが、確認の為に再度の登城。入口から道なりに上がる。本丸入口前に田原城の案内板ありました。
城主の名は田原対馬守レイマン。

田原城の本丸にたどり着くまでに背丈を越える高さの堀切が二本あります。
これが最大の見所。本丸から降りた一番目の堀切を北へ抜けたら井戸曲輪、これが二段に敵を待ち受けます。
井戸曲輪の前は西出丸に繋がる堀切と本丸へ繋がる堀切の分岐路になってます。敵を惑わし敵兵を分断させる工夫と推理。
城には竹藪だらけですが、ネットは廃城後
荒れたの一言でしたが、また私の推理は違います。鉄砲の弾除け等に竹束作りに利用する為に敢えて植林、春には筍も食用になる。足が捕られる程の竹藪に敵兵も容易に入れない!
本丸周囲は土塁があり小さい城ながら鋭さを感じました。
田原レイマンについては後日に(;^_^A


2016年05月05日 まるき〜出雲守
田原城

ひっそりした村のゴミ置場付近に登城口があり竹藪の中を少し進むと15×10m程の四角い穴?がいくつか連なって畝傍堀のようになっている、本丸下と隣郭の間の堀切を抜け奥の階段より回り込むようにして本丸上へと続くとここに城址碑、小さな神社があり眺めは標高30mながら遠くまでよく見通せる、南側にも竹藪の道は続き郭が存在している、奥に行くと更に小さな祠がある所々民家の畑と隣接しており、また筍があちこちにあるので色々と誤解されないかと見かける人には極力こちらから声を掛けながら城探索をしていますとアピールするのが良いかと思う。全体的に荒れてはいるのだけど形としてはハッキリしていてわかりやすい遺構ではないかと思います、見応えは十分ありました。時おり14〜5mの竹どおしが上空でコツーンと音を立てるのでドキッとしますが…素人なりに探索を終え城跡を後にしましたが道によってはあちらこちに「田原城→」という案内の札があり、もしかしたら結構ウェルカムな城跡なのかな?とも思えましたオススメです。駐車場はありません。追記、運営の城説明で築城主が「田原但馬守」となっていますが現地の説明では「田原対馬守」となっています。

2016年03月25日 橘若狭守次郎吉
田原城

田原城は田原氏の居城で近くの飯盛城の支城である。堀切、土塁、曲輪、古道、堤が遺構として残っており、田原城のある小山の殆どが竹でおおわれている。曲輪跡には石碑と案内板があり、住吉神社のミニ社殿も存在する。ミニ社殿の中に2体の狛犬があり、手前には燈籠もある。石碑は表に“田原城跡”裏には田原城の説明がかかれているので要チェックだ。

2015年03月17日 金森出雲守
田原城

城跡北方の阪奈サナトリウムは千光寺跡で、城主田原レイマンのキリシタン墓碑が見つかってます。サナトリウム近くに掲示板あります。現物は四條畷歴史民俗資料館で見ることができます。

田原城の周辺スポット情報

 田原口(俵口)城 (遺構・復元物)

 西砦(遺構・復元物)

 千光寺跡(寺社・史跡)

 田原対馬守墓所(月泉寺)(寺社・史跡)

 登城口(その他)

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