潜龍院跡
潜龍院跡([岩櫃城 遺構・復元物])
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潜龍院跡の口コミ情報
2024年09月01日 マグロ常陸介祐平
岩櫃城の麓にある御殿です。武田勝頼が織田・徳川に甲斐を侵食され、新府城を放棄する際に、真田昌幸は自身の岩櫃城に招き入れ再挙を図ることを進言しています。勝頼の為に築いた御殿がこの古谷館(潜龍院跡)です。本気で準備していたとは、驚きです。御殿はその後、昌幸の妹(伯母?)の夫で山伏(修験者)の根津潜龍斎(信忠、信玄側室の禰津御寮人や後に大名となる信政は近い親族)が拝領し、巌下山潜龍院というお寺になっています。
写真の石垣は御殿の遺構のようです。寺院は明治期までこの地にあったようですので、なんとも言えませんが、曲輪はかなりの広さがあります。
勝頼は結局、昌幸の岩櫃城ではなく、小山田信茂の岩殿城を目指し、裏切られて天目山で滅亡しますが、この御殿に来ていたら歴史は少々変わっていたのではないかと想像してしまいます。
2019年05月12日 Jasmine武蔵守✿*
潜龍院跡。岩櫃城の南西、岩櫃山の南面下にひっそりと佇む。当時の石垣を見ていると「もしもここに勝頼が来ていたら‥」と思いを馳せてしまいます。
古谷登山口の駐車場からは徒歩10分くらいです。
2019年05月01日 CLAD
背後の岩山が岩櫃山。御殿を建てる予定だった石垣の裏手を登ると岩櫃山と岩櫃城本丸跡への分岐点に最短距離で到達。右手に進めば郷原城跡を経由して行ける。
2019年04月23日 仲之丞治部少輔ひろぴい◢⁴⁶
潜龍院跡。石垣を登り、館跡の裏には祠と大岩の間に登山道への裏からの抜け道(中央やや左に階段)?。勝頼さん呼んだ後、万が一の場合は岩櫃城へ逃げられるように準備万全だったのかな。
2019年04月23日 仲之丞治部少輔ひろぴい◢⁴⁶
潜龍院の館跡に残る石垣。武田勝頼を迎えるために真田昌幸が3日で作ったと伝わる館の跡。