高築地館
高築地館([長窪城 周辺城郭])
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高築地館の口コミ情報
2024年10月30日 内記かずりヾ(・ε・。)
高築地館は長窪城の北北西約7.3km、依田川西岸(左岸)、標高約573mの段丘台地緩斜面上平場に立地した居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。居館地下段には駐車場も付いている。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは依田氏です。同氏については同じ長窪城のリア攻めマップにある宗龍寺館を参照して下さい。依田氏とその一族は佐久郡にも足跡を残す等、戦国時代にもその活躍が知られており、武田氏時代の依田(芦田)信守、その子、信蕃は信濃先方衆として特に高名だ。ちなみに周辺一帯は依田氏被官衆等の屋敷地だったとも推測されている。
依田氏当主、二郎大夫実信(尊卑分脈)は、治承四年(西暦1180年)、依田城を木曽義仲に明け渡してその挙兵を援けたが、その際に移り居したのがこの高築地館だと推測されている。「源平盛衰記」には、寿永二年(西暦1183年)、「倶利伽羅峠の戦い」において、三千余騎を従え、安楽寺を発って平氏方、平維盛が本陣を置いた猿ヶ馬場へ向かう一手の将として「余田次郎」の名が見える。
居館の現況は…同じ長窪城のリア攻めマップにある御岳堂館の口コミでも述べたが、周辺一帯は後世に耕作地としての改変があり、城館としての段なのか、単なる段々畑なのかの区別が全く付かない。居館敷地範囲すら明確ではないし、正直、この辺なら何処でもいいんじゃないかとさえ思える。「高築地」の字名が残っていた場所なんだろうけどねぇ…ちなみにしっかりとした説明板と標柱が立っているので該地の特定だけはすんなりだ。
居館地の下段を東西に通る道筋が推定鎌倉道、西行すれば砂原峠を越えて塩田平に至り、更に西行すれば室賀峠を越えて更級郡に入り、横田河原を東に見ながら北行して犀川を渡れば善光寺平に至る。北陸道を進んだ義仲も通った道である事に間違いは無い。
※「信濃の山城と館3、上田・小県編」に未掲載の物件である。
※居館地の水の手は下段に位置する「正海清水」と伝わる。史跡として整備されているのでリア攻めマップにスポット登録して写真だけ置いておく。
※「源平盛衰記」〜軍記物であり史料として扱う事が大変に難しい。但し、同時代の各種軍記物以外に頼る文献が存在しない。