木曽義仲挙兵の地

木曽義仲挙兵の地([長窪城  碑・説明板])

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木曽義仲挙兵の地の口コミ情報

2024年10月27日 内記かずりヾ(・ε・。)


⭐︎⭐︎「義仲・巴の〜伝承、伝説地探訪!」⭐︎⭐︎

帰って来たかずりの自己満足口コミシリーズ、おいらの推し武将である木曽義仲関連の伝承、伝説地を丁寧に御紹介〜ちなみに全国約600箇所に及ぶので終わるまで付き合ってもらいやす…

木曽義仲挙兵の地は長窪城の北北西約7.3km、依田川西岸(左岸)、標高約564mの段丘台地緩斜面上平場に立地する標柱です。単なる標柱だけど写真見て頂けたら判るとおり巨大な看板に近い。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。時間を取らないので車は路駐で十分レベルだ。

さぁ、興奮するでしょ〜無位無官の義仲様はこの地から各地で平氏をぼこぼこにして上洛、征東大将軍にまで登り詰めたんすよ〜正に始まりの地である訳だ。えっ、木曽谷に住していた義仲様挙兵の地がなんで上田市の御岳堂にあるのかって?…

…出直して来いやーっ!ヾ(。`Д´。)ノ

…出直されても困るので一応説明しとく。治承四年(西暦1180年)、以仁王の令旨を受けて木曽谷を出た義仲は、同年九月七日、栗田寺別当大法師範覚と村山七郎義直を援けて平氏に与する笠原平五頼直を信濃から越後に逐い(市原合戦)、その後は実父、義賢の旧跡である上野国多胡郡に入る。その二ヶ月後には再び信濃に入り、小県郡依田庄内、現在の上田市御岳堂にて信濃武士等を従えて挙兵に及んだ。信濃に舞い戻った理由は、頼朝や藤原姓足利氏との無用の衝突を避けるためだとも考察されている。そう、義仲様は脳筋のくせに結構気も遣える人物なのだ。

バックグラウンドに乏しい義仲にとってその受け皿となってこれを支えたのは主に佐久郡や小県郡に割拠する国人領主であり、特に依田庄に拠った依田氏は居城を明け渡してこれを援けた。その居城が御岳堂にあった事から当地が木曽義仲挙兵の地と呼ばれる所以である。当時の信濃は頼朝の影響力が殆ど及ばない国であり、義仲が鎌倉に遠慮していたとも考えられるだろう。そう、義仲様は脳筋のくせに控え目に振る舞える事も出来る人物なのだ。

標柱が建っている場所は御岳堂内から適当に選ばれた筈…但し、上段の段丘台地上には義仲様が逗留した「平家物語」の言う、「依田城(依田の城)」の比定地、2箇所が存在する。同じ長窪城のリア攻めマップにある宗龍寺館と御岳堂館がそれだ。

上田市といえば真田ブランドに95%位振り切りった自治体だけど、残りの5%位を占めているのが義仲ブランドだ。特に上田市御岳堂ではその愛が強過ぎる傾向にあり、実に細やかに伝承、伝説地が語られている。御岳堂から京への道のりは片道切符となってしまったけど、多くの人々の心の片隅で今なお追慕され続けているて事なんだろう。

※写真は…1枚でええやろ…

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