窪城の古城
窪城の古城([長窪城 周辺城郭])
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窪城の古城の口コミ情報
2022年03月04日 内記かずりヾ(・ε・。)
窪城の古城は和田城の東北約3.9km、大門川東岸(右岸)、標高約787mの河岸段丘台地緩斜面上平場に城域が存します。
行き方はGoogleマップに位置登録されている長和町資料館原始・古代体験館を目標に設定して下さい。後はリア攻めマップと小吹村反別帳とか宮ノ上反別帳とか入大門反別帳とかの古文書をなんとか入手して地名と現在地を確認しながら適当歩き回って下さい。そう、投げっぱなしアテンドってやつです。
築城年代、築城者は不明です。お城は大門峠へ通じる旧道沿いに立地し、旧道は諏訪郡へ通じる古来から往来のあった道でした。
お城の現況は集落の一部となっています。該地には古城の地名は勿論の事、南谷戸、北谷戸、下木戸、袋小路、かまば、腰巻、水堀等の地名が残っていたそうです。これらの断片を繋ぎ合わせてお城の旧態を想像しようとしましたが素人にはとても無理ですわ…又、周辺は中世城館の存在を示唆する別の地名も数多く残っていた地域だそうです。
令和四壬寅年諏訪大社式年造営御柱大祭…簡単に言うと今年の諏訪大社の御柱祭は木落しが行われないみたいですね。鎌倉時代に成立した武士団、諏訪神党三十三家は諏訪大社の神事(花会、五月会、御射山会)に勤仕し、輪番でそれぞれの頭役を勤める等、信濃での諏訪大社の影響力は計り知れないものでした。姻戚関係を元に神氏を称した禰津氏に代表されるように小県郡もその例外ではありません。城下を通る大門峠道は国道152号線として現在も長和町と茅野市を結ぶ唯一のルートですが、諏訪大社へ向かう神党各家の武士等も頻繁に利用していた事でしょう。ちなみに武田勢も御得意様だったと思います。
神事の内、御射山会は階段状に設けられた桟敷の内で相撲、草鹿、揚馬、武射、小笠懸等を競うもので正に中世のオリンピック!その一月後には参加者同士で争いを始めたりするところなんかも似ていたりしますね。