楽厳寺城
楽厳寺城([小諸城 周辺城郭])
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楽厳寺城の口コミ情報
2025年05月03日 ʀᴇᴅ副将軍
小規模ながら技巧的な武田氏に改変された城跡
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。天文年間(1532年〜1555年)に楽巌寺雅方により築かれたと云われます。
楽巌寺雅方は布引山釈尊寺の末寺である楽厳寺の住僧であったとされ、武勇に長けていたため望月信雅の旗本となり楽厳寺城を築いて居城としたとされます。
1548年、武田信玄による佐久平定により楽巌寺城は落城。望月信雅は武田信玄に降りましたが、楽巌寺雅方は堀ノ内城の布下雅朝とともに村上義清を頼って砥石城に落ちました。
しかし1553年に村上義清が武田信玄に敗れて越後へ退去すると、楽巌寺雅方は武田信玄に服属。
その後、楽厳寺城は武田氏により改変されたと考えられています。
見所
千曲川南岸の台地上に築かれており、千曲川に面した北側背後は崖地であり南側に大手を開いています。
布引観音への林道入口が大手門と云われ、食い違い土塁の南側に血の池と呼ばれる水堀が残ります。
食い違い虎口の東側には内側に空堀を設けた小郭があり、西側は土塁に沿って進むと大規模な空堀と土塁で南北に区画された二つの郭があります。
食い違い虎口や折れの伴う空堀、馬出し状の空間、三日月堀など技巧性のある武田流築城術が感じられます。
2020年12月31日 赤かぶ【】
行き方としては氷風穴から林道布引線を通って行くのが分かりやすいと思います。道は狭いですご注意下さいませ!城跡には数件の別荘が建てられおり住んでる方もいる様子でしたので見学の際は駐車も含めてご配慮下さい。
遺構は城郭南側に血の池と称される水堀状の部分も見られます。丸馬出・三日月堀も☽︎︎.*·̩͙郭の南側には土塁が盛られております。堀切など見る事が出来ますよ♪