虚空蔵山城

虚空蔵山城([葛尾城  周辺城郭])

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虚空蔵山城の口コミ情報

2024年04月18日 内記かずりヾ(・ε・。)


虚空蔵山城(御殿城)は葛尾城の南東約6.5km、千曲川北岸(右岸)、標高1077mの虚空蔵山山頂部を中心に立地する要害です。南麓の国道18号からの比高は645m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい…なんだけど、そのままじゃ行けないので虚空蔵山の座摩(ざますり)神社コースてのをネットで検索してから登ってね。行き方は他にもあるんだけど、最もダメージが抑えられるのがこのルート、但し、はっきり言って低登山である。

築城年代は天文十一年(西暦1542年)、築城者は村上氏とされるが確証は無い。一般的には村上連珠砦と呼ばれる城砦群の一つとされ、城砦群の中心、本城である。村上氏時代の村上連珠砦の動向は一切不明だが、「天正壬午の乱」の際に周辺地域は鳴動する。騒ぎ出したのはみんな大好き真田安房守昌幸だ。

天正十一年(西暦1583年)三月廿一日、島津淡路守(忠直)宛、直江兼続等連署状案には、「如御注進者、真田向虚空蔵山相働之處、味方中備しとけなく敗軍、不及是非次第候、然者、駒澤主税助打死、其時之有様承、御當代之御ほうし忝存詰、一度一命ヲ御用ニ可立之由、連々被申之旨、人々申候キ、其首尾相たがはす、一身之以打死、数百人を相たすけ候事、誠有間敷儀感涙流候、…」とある。長くなるので後文を割愛したが、兼続等は、真田勢によって虚空蔵山の中備えが敗軍した際、忠直の寄子、駒澤主税助が数百人を助けて討死した事を聞いて上杉景勝が感涙した事を述べ、併せて御当代(景勝)の芳志を以て忠直に主税助の跡を計らしめるよう求めている。

天正十一年(西暦1583年)卯月(四月)十二日、岩井備中守(信能)宛、上杉景勝書状案には、「自海津如注進者、家康甲苻着陳、佐久、小県為仕置、至虚空蔵山人数遣之由候条、當方之儀も、近日無二出馬ニ令儀定候、然者、其地之人数、上倉治部太輔武主ニ相副、悉虚空蔵山へ可相移候、有遅々者、不可有曲候、謹言、」とあり、景勝は、徳川家康が佐久郡、小県郡の仕置きのため甲府に着陣、虚空蔵山に人数を遣わすとの海津からの注進を受けて近日中に出馬する旨を伝え、併せて岩井備中守にその地(飯山)の人数を上倉治部太輔に預けて悉くを虚空蔵山に入れるよう指図している。

天正十一年(西暦1583年)四月十三日、島津左京亮(泰忠)宛、上杉景勝書状案には、「自海津如注進者、真田、海士淵取立之由候条、可追拂之由、可茂江申遣候、然者、吾分検使申付由、皆々江露書中候間、虚空蔵山江罷越、諸侍中、稼之程慥見留、一々可申越候、大方明鏡難成儀有之間鋪候興思候、此節候間、吾分差遣候、別而可入念候、謹言、」とあり、景勝は、真田が海士淵(海ヶ淵)に城を取り立てた(言わずもがなの上田城だ。)との海津からの注進を受けて信濃の諸士に城を攻めしめんとし、泰忠に虚空蔵山に入ってこれを監督するよう指図している。

お城は村上連珠砦の本城に相応しい縄張を持っている。高所故に普請に限界があるのは当然だが、謂わゆる恒久的な要害として整備が進められた事は現地に赴けば容易に理解出来る。虚空蔵山山頂は物見の場で、西側の一段下がった削平地が主郭、別に腰郭、風除け出来る場所に小屋掛けが想像される郭群を持つ。又、城域東側は崖地に近い岩場、虎口を抜けた城域西端部には大堀切が付く。展望の良さは当たり前だが抜群、上杉勢は上田城の普請を此処から覗いていた訳だ。

虚空蔵山は通年で登山者が多く訪れるお山だけど、山頂部で休憩してたらソロ山ガールに遭遇、話す事1時間余りに。平地で声掛けたら無視されるか通報されるんだろうけど、山中だと気軽に応じてくれる。少なくとも野生動物よりはやや安心出来る存在て事なんだろうか。インスタフォロワーを1名増やして次の物件へ…あ、このアプリも一応推してみたんだけど、「…それは…あんまり要らないかな。」とのお答え。山城ブームて何者かによって作り上げられた虚構に過ぎないと思う。

※写真①は東側からの取り付き、トラバース無理なんで登らない事には始まらない。ロープはこの岩場なのに三つ打ちナイロン製、想像したくないけど毎年交換しているんだろう…と思いたい。

※写真③には眼下に豆粒レベルの上田城がぎりぎり確認出来る。ちなみに虚空蔵山城との比高差は620m位だ。

2021年02月13日 eiki


標識1078メートルの虚空蔵山頂に築かれていた城、上田市の南に聳える険しい岩山で戦国期に村上氏によって築城されました。虚空蔵山城というのは総称で亀井城、積城、高ツヤ城などで構成されています。堀切、曲輪などはっきりと確認できます。比高600メートルあり登山道はしっかりしていますが急登です。ここは、村上氏の領地の上田、塩田平、坂城を巡視できる重要軍事拠点だったとのことです。写真は本丸から上田盆地を俯瞰したものです。


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