根知城(ねちじょう)
根知城の基本情報
通称・別名
- [根小屋城・上城山城・栗山城]
所在地
- 新潟県糸魚川市大字根小屋
旧国名
- 越後国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 上杉謙信
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 村上氏、仁科氏、西方氏、堀氏
廃城年
- 慶長4年(1599)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
指定文化財
- 県史跡(根知城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
勝山城(新潟県糸魚川市)[10.7km]
不動山城(新潟県糸魚川市)[11.4km]
平倉城(長野県北安曇郡)[15.9km]
宮崎城(富山県下新川郡)[25.3km]
徳合城(新潟県糸魚川市)[25.6km]
内山城(富山県黒部市)[30.5km]
鮫ヶ尾城(新潟県妙高市)[33.5km]
福平城(長野県長野市)[34.6km]
鳥坂城(新潟県妙高市)[35.0km]
若栗城(富山県黒部市)[35.0km]
根知城の解説文
根知城の口コミ情報
2023年05月21日 気分爽快豊後守
上城山城[根知城 周辺城郭]
根知城(根小屋城)主郭先の大堀切を越えた後、幾つかの堀切と平坦地を超えて30分程度ひたすら尾根道(藪で両脇が良く見えませんが、道幅は狭い)を歩くと詰の城に到着です。藪が少ない雪降る前の晩秋に訪れると良いでしょう。
③左の靄がかかっている所が山頂
⑧山頂の平坦地
2023年05月21日 気分爽快豊後守
根知城
地元の武将、村上義清の終の住処となった根知城に遠征してきました。規模の大きな山城で、詰の城である上城山城まで行くと、もはや山登りの感覚です。登城路はジグザグになっているので、高さをあまり実感しませんが、結構登っているはずです。主郭からの眺望は素晴らしいことでしょうが、残念ながら何も見えませんでした。贅沢言えば、晴れた日に攻城したい場所です。
①練兵所手前、大堀切の土橋
②殿屋敷前の切岸
③殿屋敷の石垣
④殿屋敷先の竪堀
⑤殿屋敷先の郭
⑥⑤の先の堀切
⑦主郭の虎口状入口
⑧主郭と土塁
2019年05月05日 ️_
根知城
城山山頂は明確な踏みあとがあるのでピークハントできますが、遺構の確認は厳しめです。山頂少し手前の松の木に古い熊の爪痕がありました。
2017年06月22日 安田大蔵卿秀俊
根知城
城跡山麓の根小屋集落にある安福寺に根知城主 村上義清の墓所があります。(村上義清の墓と書かれてるだけで解説板は無し)
2012年05月07日 まるさん伊豆守小町時間割
根知城
現在、今年の大雪で折れた木が至るところに倒れていまして、それと残雪も多少ありまして、どこが道なのかよくわからない状況です
ただ、ひたすら高い方向へ進めば本丸跡に辿り着けるかも知れませんが…
σ(^_^)途中で引き返しました
本丸目指して登るならば、来月以降かな?って印象は持ちました
2010年10月16日 傾奇揚げ仙兵衛
根知城
R-148を長野方面に向かい根知谷に左折、踏み切りを渡って根知小屋へ右折、しばらく進むと根知城址入口の標柱が
根知城の周辺スポット情報
上城山城(周辺城郭)
大網城(長坂城・城の越)(周辺城郭)
城から眺めると、姫川が城の西側を、根知川が北側から東側を流れており、この両川はあたかも水を蓄えた堀のようにも見えます。
根知谷は盆地であると同時に独立性をもった地区で、根知城はこの恵まれた自然条件を大規模に利用して築かれており、戦国時代の山城及び館城の特徴をよく留めています。
3城の中で中心的な役割を果たしていた根小屋城は、標高320mに位置する戦国時代の典型的な尾根城です。本丸跡と殿屋敷と称する郭跡を中心に、郭跡17、削平地201、堀切16、竪堀15というように大規模な遺構を見事に残しています。
根知城の築城年代は明らかではありませんが、永禄11年(1568)以降の上杉謙信の書状に、同地の警備を厳重にせよという指令が、何度も出されています。
根知谷は、信越国境の要の地であるだけに、謙信も根知城を整備し、強固なものにしたと考えられます。
武田信玄に追われ、川中島の合戦の発端を作った信濃の武将・村上義清は、謙信の信頼が厚く、永禄8年(1565)には根知城主に任じられました。村上義清の死後、城主は次々と代わりましたが、景勝の会津移封後、根知城に入った堀清重は、慶長4年(1599)の上杉遺民一揆の際に根知城を廃し、慶長6年(1601)には糸魚川市一の宮に清崎城を築いたと言われています。