鳥坂城(とりさかじょう)

鳥坂城の基本情報

通称・別名

鶏坂城、新井鳥坂城、高城

所在地

新潟県妙高市姫川原字鳥坂山

旧国名

越後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

桃井左京(上杉氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀群

指定文化財

市史跡(鳥坂城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

猿橋城(新潟県妙高市)[5.1km]
箕冠城(新潟県上越市)[5.6km]
鮫ヶ尾城(新潟県妙高市)[7.2km]
京ヶ岳城(新潟県上越市)[10.9km]
高田城(新潟県上越市)[13.2km]
飯山城(長野県飯山市)[17.7km]
春日山城(新潟県上越市)[17.9km]
御館(新潟県上越市)[19.7km]
割ヶ嶽城(長野県上水内郡)[20.3km]
福島城(新潟県上越市)[21.1km]

鳥坂城の解説文



鳥坂城(とりさかじょう)は、越後国頚城郡姫川原村鳥坂(現・新潟県妙高市新井区姫川原字鳥坂山)にあった日本の城(山城)。下越にある北蒲原の鳥坂城(とっさかじょう)と異なり読みは「とりさか」。「高城」「鶏冠城」「新井鳥坂城」とも称される[1]。妙高市史跡。

概要 

鳥坂城は関川と片貝川との間に聳える高床山から北東へ延びた尾根の頂部、鳥坂山(標高347m)の山頂に築かれている。 現在残る遺構は戦国時代のものであり、上杉氏の家臣・桃井左京が在城していたとの伝承が残る。

遺構・復元建造物 

  • 曲輪
  • 堀と土橋
  • 土塁群
  • 畝形阻塞群
  • 本丸跡 - 本丸碑と土塁。上越市、日本海方面が遠望できる。
  • 「鳥坂城址」石碑と標柱
  • 狼煙台跡 - 狼煙(のろし)につき解説した案内板。
  • 屋敷跡

周辺施設・関連資料など

  • 城址入口標識と高床山森林公園案内 - 鳥坂城を含めた自然公園の案内イラスト図。
  • 登城口 - ここを登り、突き当たりを右に行くと鳥坂城跡へ続く。
  • 「鳥坂城縄張図」 - 本丸から三の丸・出丸まで描かれた平面図(妙高市所蔵)。
  • 高床山森林公園 - オートキャンプ場あり。

交通 

  • 妙高はねうまライン新井駅のバスターミナルから中郷区乗合タクシー(予約制) 90 関山ルート[2]に乗り「高床山入口」下車 森林公園の駐車場までは徒歩約1時間を要する。
  • 上信越自動車道・中郷ICから約15分
    • 高床山森林公園駐車場(無料)

鳥坂城の口コミ情報

2024年07月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
鳥坂城



さて、今回の口コミは信濃を離れて越後の山城、頚城郡の鳥坂城っす。訪城理由は、お近くの箕冠城を訪ねたから。てかリア攻めはこれで3回目っすわ…ちなみに「鳥坂城」は、「とりさかじょう」と読ませ、「とっさかじょう」は、アプリの登録城、奥山荘城館として同国内沼垂郡内に別に存在する。

鳥坂城は片貝川東岸(右岸)、関川西岸(左岸)、両川に挟まれた標高359mの高床山山頂から北東へ伸びる尾根上段上、標高347.3mの鳥坂山山頂部を中心に立地する要害です。北麓の姫川原交差点からの比高は250m位でしょか。

個人的に鳥坂城はその占地だけで十分満足出来る山城だが、同城は上杉氏から特に重要視された要害である。律令制下における東山道支道は、野尻湖西岸の沼辺の駅から北行し、熊坂の難所を越えて関川を渡り、高原地帯を通って関山に入り、高田平野を進んで越後国府に至る経路が推測されており、中世〜戦国時代にもこれに準ずる道筋が春日山から野尻湖西岸に至る主要道として利用された事に疑いは無い。又、上杉勢が信濃入りする際には、春日山から新井を経て鳥坂城の東麓を進み、山中に入って富倉峠を越えて飯山に直接至る道筋が多用されており、鳥坂城の立地は正に両道を扼す高田平野の関門の地に当たる。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。高床山山頂部に立地する高床山森林公園キャンプ場まで車で登れる。徒歩で進む距離も少ない楽ちん城だ。

築城年代、築城者は不明、城主として桃井左京の名が伝わる。凄まじく長くなるので深入りしないが、桃井氏は室町幕府外様衆の一氏と推測されており、享徳三年(西暦1455年)から断続的に続いた「享徳の乱」における関東下向を最初として越後に定着したと考察されている。戦国時代には、桃井伊豆守の活動が文書等で散見されるが、桃井左京については不明、伊豆守の一族の者と仮に推測しても比定出来る人物が見当たらず深掘りが一切出来ない。個人的には「左京」の受領名は何らかの誤伝だと考えている。

お城の現況は越後の宝物の一つだ。過去に撮った写真を整理してたら総数688枚に…訪ねた事のある方ならきっと理解出来るだろう。進んでは写真を撮り、振り返っては写真を撮り…を永遠に繰り返す。同地域の鮫ヶ尾城よりも遥かに登城が楽だし、遥かにフォトジェニックでもあるのに、写真投稿数が三桁に満たないのは続100名城に選ばれなかった故だろうか。遺構については特に此処では語らないが、是非、自分の眼で確かめに来て欲しい。はっきりとした階段状竪堀なんて此処でしか拝めない代物だ。

冬場の訪問を推奨するけど、滅茶苦茶寒い地域なんで降雪前か初春の時期に訪ねよう。主郭までなら整備されているんで夏場でもOK♪短パンにTシャツ、素足にビーサンでも頑張れる。汚れた足はキャンプ場で洗えばよい。ちなみにおいらは3mmのウェットスーツにCROCSでの登城経験がある。体重が3kg位減るのでダイエット中の方は是非…但し、「なんかあったんすか…?」とか言われるかもしれん。

天正十年(西暦1582年)五月二十三日、川中島四郡を差配する森長可は、越中魚津城の後詰に赴いた上杉景勝の留守を突き、五千兵を率いて春日山目指して出立する。六月までには、大田切城に拠る芋川親正(因縁の対決だ。)、安田某を逐い、二本木に布陣する上条景春を破り、同地に陣を敷き、急ぎ人数を返して新井に着陣した上杉勢と対峙する。当時の上杉氏は、二正面で織田勢の攻勢に曝されていた他、揚北では新発田重家が公然と叛く状況にあり、その滅亡の手前にあった事は疑いが無い。

両勢の概ねの位置関係は、越後トキめき鉄道(凄い会社名だ。)、妙高はねうまラインの新井駅と二本木駅によって簡単に可視化出来る。二本木の森勢が鳥坂城の西麓一帯に布陣していた事も自然と知れるだろう。春日山城まで直線距離で約17km、1日での到達も十分可能な距離にあった。

天正十年五月三日、本庄弥次郎(繁長)宛、上杉景勝書状によれば、上杉景勝は、本庄繁長に、新発田表での働きに感悦した事を述べ、次いで信濃境の無事を報じ、続いて柴田勢が相働き張陣する魚津、松倉表へ四日に出立する旨を伝え、更には「北国弓箭」の是非を付けるべくとの覚悟を示している。文中には、「早於信州口者、無心許儀無之候、」とあり、信濃口に心許無き事は無い等と述べながら、結果としては同口における森勢の急進を許した事になる。景勝にとっては正に青天の霹靂であり、性急苛烈な鬼武蔵の面目躍如てところなんだろう。

※ウェットスーツにCROCSでの登城〜異常者と呼ばれたくないんで弁解しておくけど、別趣味の間隙を縫っての訪問だった。ちなみにマダニの侵入を100%防げるけど通気性はゼロ…

2023年10月30日 くまちゃん上総介
鳥坂城



保存会の方々が綺麗に整備してくれています。横堀バッチリの南曲輪から始まり、連続竪堀群他見所満載です。

2023年08月26日 笑門来猫
鳥坂城



オススメの山城です。経歴がよくわからない城ですが、遺構はかなり充実しており見応えあります。案内板に第四駐車場から往復40分と書いてありますが、高低差がほぼないので楽。堀切の高低差が1番強烈^ ^

2023年08月23日 RED副将軍
鳥坂城



技巧的な縄張りの越後を代表する山城のひとつ🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。城史については、上杉氏家臣である桃井左京が在城していたとの伝承が残る程度です。
信濃と越後の境目の城であり、春日山城に通じる飯山街道を押さえる交通の要衝であることから上杉氏の属城であると考えられています。

見所
標高347.5mの鳥坂山頂部に築かれており、登城口から北東に伸びた尾根筋を深い堀切で区切った郭が連なる連郭式です。
山頂に主郭を置き、北東下に二郭、東下に三郭を配し、二郭は東と西に虎口が開口、東の虎口は桝形を形成し三郭へと繋がります。三郭西側の畝状竪堀群が明瞭で見所のひとつです。
主郭背後の二条の大堀切が特に大きく深さもあります。
主郭から南の尾根の郭は横堀が巡り、東の虎口は土橋に繋がります。
大堀切、畝状竪堀群、井戸跡、階段状竪堀、桝形虎口等の非常に見所が多く、比高も少なく整備もされているのでマニアからビギナーまで楽しめる名城かと思います。

行き方は、高床山森林公園を目指して下さい。公園駐車場から更にキャンプ場を抜けると広い空き地があり、ここまで車で来ることが出来ます。
案内板の通りに東へ登っていくと数分で城域に辿り着き、整備も行き届いているので本格山城をお手軽に堪能できます。

2023年07月03日 八咫右近衛中将千織
鳥坂城



駐車場は複数ありますが、第4駐車場が1番近くに停められます。途中、未舗装です。基本的に横移動のみで素晴らしい遺構が見れます。草刈りも頻繁にしています。数年前よりも遥かによくなっているので、1度来たことがある方でも楽しめると思います。熊、出ますので、熊鈴などの対策は必須です。井戸の方は少し足場が悪くぬかるんでいる場合はかなり滑るので、雨上がりなどは気を付けてください。(現役の鳥坂城保存会会員より)

2020年07月02日 龍馬備中守【】
鳥坂城



新潟県の妙高にある鳥坂城☆別名を 鶏冠城 とも呼びます♪ 信濃から春日山に通じる飯山街道の抑え城としての築城☆上杉家臣の桃井左京が在城していたとの伝承が伝わります☆

主郭の目前には連続堀切を造り込み、その下には連続竪堀群を造る☆防御力が凄まじい城郭です☆

2020年06月26日 大隅守
鳥坂城



高床山森林公園キャンプ場の駐車場に車を停めます。その近くに縄張り図があります。林道を数十メートル歩き左側に進むと広い広場に出ます。その奥が城跡へ道です。堀切等遺構が良好に残ってます。

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