鮫ヶ尾城(さめがおじょう)
鮫ヶ尾城の基本情報
通称・別名
- 宮内古城
所在地
- 新潟県妙高市雪森字城山
旧国名
- 越後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 堀江氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀切、竪堀、井戸
指定文化財
- 国史跡(鮫ヶ尾城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
高田城(新潟県上越市)[7.0km]
鳥坂城(新潟県妙高市)[7.2km]
箕冠城(新潟県上越市)[7.3km]
春日山城(新潟県上越市)[10.8km]
猿橋城(新潟県妙高市)[12.3km]
京ヶ岳城(新潟県上越市)[12.5km]
御館(新潟県上越市)[13.0km]
福島城(新潟県上越市)[14.7km]
徳合城(新潟県糸魚川市)[15.7km]
雁金城(新潟県上越市)[18.7km]
鮫ヶ尾城の解説文
[引用元:Wikipedia「鮫ヶ尾城」の項目]
鮫ヶ尾城(さめがおじょう)は、現新潟県妙高市にかつて存在した上杉家配下の日本の城。城跡は2008年(平成20年)7月28日に国の史跡に指定された(鮫ヶ尾城跡)。
概要
築城年は分かっていないが、永正から天正年間に上杉氏(長尾氏)による北国街道の防御を兼ねた街道整備の一環として、春日山城直近の最前線要塞の意味合いで築城ないし大規模改修がなされたと伝わる。
2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(133番)に選定された。
御館の乱
謙信死後に勃発した御館の乱において、城主である堀江宗親は上杉景虎側につき、御館落城後に関東への唯一の逃げ道(景虎は北条氏康の子ないし北条氏縁者との説がある)となったこの城を経由して逃がすべく、景虎を城に引き入れる。しかし宗親は安田顕元の寝返り工作に応じ、二の丸に火を放って当人は退去した。その後、総攻撃を受けた鮫ヶ尾城は落城、景虎は妻子共々自刃して果てた。
遺跡
現在も米蔵跡からは、乱の時に焼けた米「焼き米」が出土する(文化財指定されているため、持ち出し禁止)。
また、2008年度(平成20年度)の調査において、熱を帯びた陶磁器や雑穀が混じっていないおにぎりが出土している。一部の出土品は城跡下の管理センター、城跡近くに温泉施設「景虎の湯」に展示されている。
現地情報
- 複数の登城口がある。
- 斐太神社脇に「斐太歴史の里駐車場」(無料)があり、周辺の斐太遺跡などとあわせて整備されている。
- 妙高はねうまライン 北新井駅より歴史の里駐車場まで西へ約2.5 km
- バスの場合はくびき野バス 48 斐太線[1] 「斐太北小学校前」または「西乙吉入口」バス停が最寄りとなる。 ※平日のみ運行、本数僅か
参考文献
- 『上越市史叢書9 上越の城』 (新潟県上越市、2004)
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鮫ヶ尾城の口コミ情報
2023年09月08日 尼崎城大膳大夫一口城主
鮫ヶ尾城
[登山編]8月11日、総合案内所で御城印購入後、登山ルートを尋ね登山開始🥾教えて頂いた通り、池の横を通り本丸を目指しました。(写真①②)本丸への山中、縄張り名称を表記してくださっていて分かりやすくありがたかったです。(写真③大堀切5)
写真①の登山開始地点から私の足で約20分で本丸(写真④)に到着。当日は晴天に恵まれ本丸跡からの眺め(写真⑤)は良好でした✨
本丸のすぐ隣の郭が米蔵跡(写真⑥)でこちらから本丸の四阿を撮ってみました。(写真⑦)
写真④の説明板に<謙信公時代の姿を忠実に留める山城>とあったのでいつの日か再登城して東・南・北遺構群をゆっくりと見学してみたいと思える山城でした。当日は夕方訪れたのでじっくり散策出来なかったのが残念でした🥲
鮫ヶ尾城の幟(写真⑧)もシンプルなデザインで魅かれました。
2023年09月08日 尼崎城大膳大夫一口城主
鮫ヶ尾城
[進軍編]8月11日、春日山城下城後にえちごトキめき鉄道🛤で春日山から北新井駅まで乗車し北新井駅から徒歩にて進軍。続100名城のお城である為か道中、要所要所に道標(写真①②)があり特に地図なしで登山口(写真③)に辿り着くことが出来ました。※写真②地点は車と徒歩では進む方向が違うようです。
鮫ヶ尾城登城前に道中にある上杉景虎公ゆかりの勝福寺にお参りしてきました。(写真④⑤⑥)書き置きの御朱印(写真⑦)を頂いて山城に向かおうとしたところ、たまたまお寺の方が出て来られて解説を聞くことが出来ました。景虎公は平時は麓の勝福寺付近の立ノ内館(写真⑧)にいて、合戦時に山城に移っていたとのことでした。毎年、慰霊祭の時にはお寺に景虎公ファンが大勢来られるとのことです。
2023年06月01日 RED副将軍三遠オフ初参戦
鮫ヶ尾城
御館の乱の決戦の舞台であり、上杉景虎自刃の地⚔
続日本100名城
築城年代、築城主は不詳。1579年の御館の乱の際には堀江宗親が城主であったと上杉景勝書状に記録が残っています。
1578年に上杉謙信が急死すると、謙信には実子がいなかったため、ともに謙信の養子であった上杉景勝と上杉景虎によって跡目相続争いが起こります。御館の乱と呼ばれる越後を二分する争いとなりました。
上杉景虎は上杉景勝の攻撃により御館が陥落し、実兄である北条氏政を頼って小田原城へ落ち延びるために堀江宗親の鮫ヶ尾城に到着します。しかし、堀江宗親の謀反により上杉景虎は城内で自刃しました。
見所
標高190mの城山に築かれており、山頂の主郭から東、南東、北西の尾根筋に郭を展開する連郭式。
主郭の北西は米蔵と呼ばれる郭、西の丸と連なりそれぞれが大規模な堀切で区切られ横堀もあります。整備された山城ですが初夏でも米蔵より先はヤブ化しており写真は映えません。
主郭から南下に二の丸、三の丸があり井戸や見事な桝形も確認できます。主郭から東尾根が大手とされ尾根筋に堀切で区切らた郭が連なります。
続日本100名城だけあり駐車場、トイレ完備で登城路も整備されています。
管理棟から主郭まで20分くらいでした。
2023年05月01日 あざみう
鮫ヶ尾城
鮫ヶ尾城に登城。いい天気で、高田方面の眺望が素晴らしかったです。ところどころにある大きな堀切が魅力です。東登城口から上がって、南登城口から降りました。東登城口のルートは尾根筋の比較的なだらかなルートで、急な登坂はほんのちょっとでアプローチできるのが魅力です。本丸まで20分くらい。南登城口は九十九折れの道を下っていきます。無数にある帯曲輪と竪堀となって降りていく大堀切を下から見られるのがグッド。勾配は結構あるので足にきます。
城めぐりをやっているZENちゃんに現地で遭遇し、このアプリの友だちになりました。声をかけていただいたので友だちになれたのですが、これまでそんな経験がなかったので驚いたし、嬉しかったです。ハッピーお城ライフ!
2023年04月30日 ぴぐ
鮫ヶ尾城
山城ですが距離も短く比較的登りやすいコースでした。天気が良ければ本丸からの眺めが素晴らしいです。春は蜂が多いので注意が必要です。
2022年11月28日 上総介尾張守
鮫ヶ尾城
11月27日に行きました。案内所か25日から冬季閉館になりトイレも閉鎖されてます。案内板等にはブルーシートがかぶせられて説明を見ることができませんでした。続百名城スタンプは近くの神の宮温泉かわら亭に置かれています。鮫ケ尾城の出土品が展示されています。
2022年11月08日 ねこじる常陸介
鮫ヶ尾城
車で行かれる方。
近くまで行くと案内の看板が沢山あって駐車場まで迷わず行けます。
斐田歴史の里から本丸まで往復1時間。
行き東ルート、帰り北ルートで登城
東ルートにロープ場がありますが、体力のないオバチャンでも登れました。北ルートは迂回してなだらかな道です。滑りやすい足場もあり。靴とストックあると安心です。
ストックや、杖の貸出あり(無料、歴史の里にて)
クマ🐻さんもお住まいのようです
本丸から天気が良いと佐渡まで見えるそうです。
2022年06月16日 マークⅡ左衛門督政宗
鮫ヶ尾城
北新井駅から徒歩35分のところにある、ひだ歴史の里総合案内所で「本丸への道は、粘土質で滑りやすいので」と無料でストックを貸して頂きました。おかげで、急な登り坂も踏ん張りがきいて楽に登城できました。
2022年05月05日 ゑっふぇる飛騨守【雪象】
鮫ヶ尾城
本丸跡への道は結構険しいので気を付けて攻めてください。熊鈴あった方がベスト🔔
2022年04月11日 ほずみ
鮫ヶ尾城
天守後から見る景色は最高でした。
曲輪とかもうちょっと木々の整備して貰えると嬉しいな。
行くには山歩きする格好をお薦めします。
2021年08月01日 織田上総介晃司
鮫ヶ尾城
斐太歴史の里駐車場に停車。斐太歴史の里を通り北登山道より登城。一番楽なルートですが遺構がないまま本丸下まで歩くので、東登山道からの登城がいいと思います。
御館の乱で敗走した上杉景虎の終焉の地。謙信の死後すぐ景勝が春日山城の金蔵を押さえた時点でほぼ勝利したといわれる。金蔵の金を使い武田勝頼と和睦を図り景虎への援軍も封じ込めた。
対する景虎は北条家の援軍の遅れと、当てにしていた勝頼の援軍もなく徐々に劣勢になっていった…
2021年07月25日 山城守信長
鮫ヶ尾城
北新井から2.4キロ、徒歩で炎天下の中、日陰も休むところもなく35分くらい歩いて、斐太県民休養地管理棟まで到着。ここまででかなり疲れました。管理棟のおばさんが親切で有り難かったです。ネットでも有名ですね。ここから山城を25分登りますが、駅からの徒歩の方が辛かったです。
2021年06月06日 陸奥守新九郎
鮫ヶ尾城
比較的広い緩斜面の尾根に築かれた城なので、登城するのは難しくありません。
規模は小さいながらも堀切を連続して配置しています。
三郎に思いを馳せながら、本丸からは春日山城方面が望めます。
2021年05月07日 摂政やつた
鮫ヶ尾城
遅い時間に登城しましたが道もハッキリしていて本丸からの頸城平野の夜景も素晴らしかったです。
2021年04月04日 さえもん左近衛大将
鮫ヶ尾城
4/3訪問。高田城では桜まつりが開催。高田城の後に訪問。北新井駅にはパンフがなかったが、先人の口コミ通り一本道を進めば、案内板もあり、斐太歴史の里に到着。
里の中にある鮫ヶ尾城史跡の石碑から案内板通りに進むが、雪が残っている場所がチラホラ。残り5分という案内板から先は雪の斜面。なんとか登り、頂上に着くと、地元のおばちゃんが二人いた。そのおばちゃんがストックもなく、長靴姿だったが、おばちゃんが下山した道を進むと、雪のない道だった。東側の登山道のようだが、登り口には案内板が見当たらない。
駅から神社、里の順に向かうが、斐太神社の手前(駅方面側)にある細い道に通じていた。雪のない時期に行くのがおすすめ。
2020年10月28日 サスケ中務少輔
黒田城[鮫ヶ尾城 周辺城郭]
新高田発電所から登ってく❗結構キツイ。頂上までの道はそれなりにあるけど…草木のせいで遺構は分かりにくい。
2019年11月05日 越中守松宙右衛門
鮫ヶ尾城
案内所は、11月中15時で閉まります。
スタンプを、集めてる方は気をつけて下さい。
2019年10月23日 民部少輔Kent
鮫ヶ尾城
スマホの地図アプリに案内された南口から登頂しましたが、正直キツイです。先達が投稿されてましたが、東口から登るのが良さそうです。道中あまり案内板などは無いので、下山時方向を間違えてえらい目にあいました…
2019年06月20日 ジャスティ摂津守タイラー
二ノ丸跡[鮫ヶ尾城 遺構・復元物]
本丸下に二ノ丸跡があります。
曲輪の中央に掘立柱建物の遺構と飛礫石が発掘されたとのことです。
本丸から覗き込めば上からも見られます。
2019年05月08日 龍馬備中守【佐竹扇】
鮫ヶ尾城
全体の望遠☆標高185mに位置する鮫ヶ尾城☆低丘陵地を利用した城郭☆弥生時代後期の「斐太遺跡」「観音平・天神堂古墳群」もあり☆
2019年05月08日 龍馬備中守【佐竹扇】
鮫ヶ尾城
本丸東側・(手前)土橋と土橋奥は切岸☆「御館の乱」城主・堀江宗親は安田顕元の寝返り工作に応じ二之丸に火を放ち退去☆その後総攻撃を受けた鮫ヶ尾城は落城☆上杉景虎は妻子共々自刃☆
2019年05月08日 龍馬備中守【佐竹扇】
鮫ヶ尾城
本丸と二之丸を遮断する堀切☆謙信死後に勃発した「御館の乱」に登場する鮫ヶ尾城☆城主・堀江宗親は上杉景虎側に付く☆
2019年05月08日 龍馬備中守【佐竹扇】
鮫ヶ尾城
本丸と米倉を遮断する堀切☆春日山城の信濃方面に対する支城として機能☆上杉謙信の養子三郎景虎の居城☆
2019年05月02日 兵庫頭あっきい
鮫ヶ尾城
通称三ノ丸跡(米蔵跡)より見た通称二ノ丸跡です。
間に堀切2があり分断されています。(名称は管理事務所で頂いた縄張図より)
2019年05月02日 ルル武蔵守フロンタル
駐車場[鮫ヶ尾城 駐車場]
駐車場です。駐車可能台数は15~20台程度。
2019年05月01日 まー刑部卿
鮫ヶ尾城
約2年ぶり2回目の登城。今回は続100名城目的で訪れました。GW真っ只中のため駐車場は満杯で端っこの出入りに支障のないところに駐車。お城の他に遺跡もあり、また続100名城認定も影響しているかと。スタンプ押印箇所で職員の方が『お茶を飲んでから行きます?すぐ行きます?』と必ず聞かれます。
その後行き方をレクチャーされます。北登城路は行けるようになりましたが職員曰く『何にも観るものないから』と一蹴されました。
半年ぶりの山城のため約30分で本丸跡に到着。大堀切は看板有り、堀切は看板有りません。なるべく先人たちの口コミを参考になさるとよろしいかと思います。ちなみに駐車しにくい場合は駐車場入り口の道路端っこや神社入り口付近、駐車場から上がったところに数台(ここは長岡ナンバーの車が停まっていました)停められます。画像は容量がデカすぎて貼れません。
2019年04月27日 大隅守上
説明板[鮫ヶ尾城 碑・説明板]
管理センターの横に説明板があります
2018年12月29日 カーネル
鮫ヶ尾城
大雪警報がでていたので、恐れおののきながら行ってきました
えちごトキめき鉄道北新井駅から、駅を背に西へ向かい、すぐの川を越えた辺りから城への道標がちょいちょいあるので、その通りに進めば、斐太神社に連れていってくれます
神社の少し北にある城への看板に従い、ここから西に向かう林道を進むと足首までの積雪ですが、道幅も広く迷うことはないと思います
歴史の里総合案内所の北側から西へ向かうと、山道になりますが、道が明瞭で、山道に慣れてる人なら迷うことはないと思います
この頃から積雪は脛まで埋まり、本丸付近の傾斜がキツいところは膝まで埋まり、息が乱れます
帰りは尾根をそのまま進み、東登山道で下りました。堀が大量で大満足。雪に埋もれて、竪堀がくっきり見えました(投稿しました)
東登山道もほぼ迷うことはないと思いますが、やはり下りの方が迷いやすいので、不安になったら引き返して、来た道を戻るべきかと思います
往復して140分でした
2018年07月29日 笑門来猫
鮫ヶ尾城
Yahoo!ナビに従うと、南登城口(大手口)に案内されました。高速高架下に駐車。
以前登った東側登城路より大変という印象でしたが、山城好きにはオススメルート。
帰りは思わず駆け下りてしまうくらい急なので、尻餅注意。
2017年06月18日 まー刑部卿
鮫ヶ尾城
南登城路は大手と呼ばれていますが現在上信越道車線拡幅工事をしている戸田建設現場事務所前にあります。上信越道観音平トンネル手前。道路は砂利道で駐車スペースは一台ほどですが工事車両の往来を予測出来るためオススメしません。また東登城路に比べ上り傾斜があるので正直辛いです。七曲り手前で小休憩後に上って行きました。帰りは東登城路をずっと進んでいき環濠(内堀)を通って畑に出ました。東登城路入口は斐太神社入口から20mほどしか離れていませんが駐車場はありません。
ここから上杉景虎石像・慰霊碑のある勝福寺(立の内または館の内推定地)まで徒歩10分ほど。駐車場は一台分しかないため徒歩をオススメします。工事は今年いっぱい(12月末まで)のため来年以降再訪城し北登城路を行こうと思っております。斐太管理棟前に大きな鮫ヶ尾城の説明板と見取図があります。
2017年06月18日 まー刑部卿
鮫ヶ尾城
先人が云われている通り登城口は3つ。北・南・東で北は上信越道車線拡幅工事のため斐太遺跡管理棟脇(石碑はここにあり)から入っても途中でフェンスがあり立入禁止。駐車場は斐太歴史の里駐車場(斐太神社隣)。その上にも駐車スペース10台ほどあり。トイレは管理棟にしかありません。管理棟でパンフレットがありそこに居る親切な管理人に頂き『淡水魚(ブラックバス生息)の池(駐車場から少し上ると左手に案内あり)』経由で東登城路で行けると教えられ帰りにお茶でも飲んで言ってと云われました。東登城路を通っていくと斐太遺跡(矢代山B地区)に出ます。環濠(内堀)跡は説明板から手前10mほど東登城路を下りるとあります。本丸方面へ進むと大堀切6→大堀切5→東一の丸→堀切6→本丸となります。本丸にも石碑あり見晴らしは最高です。四阿あり。空堀通ると米倉のあった曲輪に行けます。その先は藪が酷く諦めましたが空堀を下りて本丸下の腰曲輪通り堀切6へ。直進すると二の丸へ。大堀切1を左手に見ながら下りると三の丸、その下に井戸。井戸からそのまま下りると虎口→南登城路へ。
2017年06月16日 安田左京大夫秀俊
鮫ヶ尾城
近隣にある 勝福寺(妙高市乙吉)もセットで訪問をオススメします!
鮫ヶ尾城の居館跡地でもあり、上杉三郎景虎の像と供養塔があります。
2016年06月03日 摩虎羅**
鮫ヶ尾城
登城口は2ヶ所
南登城口(正面口)と斐太遺跡から
斐太遺跡には管理棟及びトイレ有
管理棟で熊除け鈴のついたステッキ借りれます
散策コース案内パンフも貰えます
発掘された物も置いてありました
あと!無料でお茶と漬け物を頂きました
ボランティアのおば様自家製!とても美味しいので是非とも
正面口からの方が見応えあるそうですが…無難に管理棟から登城しました
6月はササユリの群生が道案内してくれるので花も楽しめます
整備されていますが2ヶ所ほどロープがあり急斜面な所がありますので…靴はキチンとした物を履いた方が良いでしょう
城跡の他に弥生時代の遺跡も見ることができます。城跡の堀切も見事ですが、古代の空壕等もまた見事です!
異なる時代の史跡を十分堪能いたしました
夏にはノコギリクワガタいるそうです
色々な説明も十分ありますので、子供の勉強がてらご家族で来ても楽しめる場所だと思います
2013年04月29日 まるさん伊豆守小町時間割
黒田城[鮫ヶ尾城 周辺城郭]
昨日4月28日、約一年越しでようやく登城(笑)しました(^o^)v その結果、今まで私が黒田城跡だと思っていた山が隣の山だったこと判明!その黒田城跡、驚くことに登城口から約10分くらい登りでなく…道がくだりますw(°O°)w
で、道を間違えたのではないかと不安を感じた頃に最初の『←黒田城跡』の案内が現れホッとしました。そこからは、なだらかな登りが続きます。私はゆっくり歩いたので全部で30分余りかかりましたが…慣れた方ならば20分くらいで山頂の鳥居まで着けると思います。
ちなみに登城口付近には駐車場などはありませんが、通行量の割には道端が広いので路上駐車しても問題はなさそうです(もちろん、駐車禁止ではありません!)
2012年06月08日 結城越後守秀康
鮫ヶ尾城
駐車場及びトイレは完備されてます遺跡、神社等とまとめて管理されているので、軽装でも行けますが、鮫ヶ尾城本丸迄行くなら靴は機動力重視で行かないとキツイと思われます。泥濘が多いので気をつけていないと転ぶかもしれないので足元には御注意を。
2012年05月19日 まるさん伊豆守小町時間割
鮫ヶ尾城
鮫ヶ尾城跡は同じ地域にある斐太遺跡などと一緒に管理されているので、
駐車場やトイレなども完備されています
所要時間は駐車場から管理棟まで5分程度で、
そこから本丸跡まではルートにもよりますが25〜30分程度で着けると思います
ただ、道中はほとんど木陰で地面が乾きにくいために滑らないように気をつけましょう
ちなみに私は気づかなかったですが、管理棟でストックを貸してもらえるようです
2012年05月08日 まるさん伊豆守小町時間割
黒田城[鮫ヶ尾城 周辺城郭]
現在、途中の道路で一部路肩が土砂崩れで崩落していまして…建前的には全面通行止めになっていますが…。仮に、その先5、6km進むと…『黒田城跡登城口』まで到達します。ちなみに登城口って、私が苦労して登った貯水タンクよりも高い位置にあったりします。辿り着けなかったわけだ。
2012年05月08日 まるさん伊豆守小町時間割
黒田城[鮫ヶ尾城 周辺城郭]
黒田城跡にリアルに登るには、城跡の説明が記載された表示板(上越市灰塚地内)からではなく、もう少し南にある黒田地内、黒田小学校近くの神社の脇道から上がります。目印は『←南葉高原キャンプ場』。特に黒田城跡への案内らしいモノは一切見当たりませんでした。
2010年07月21日 徳川内大臣源朝臣康武
鮫ヶ尾城
[武将像]上杉景虎像
城の麓、墓所である勝福寺境内に鎮座。