若栗城(わかぐりじょう)
若栗城の基本情報
通称・別名
- 若栗館、若栗塁、館の城
所在地
- 富山県黒部市若栗3737
旧国名
- 越中国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 総田太郎左衛門、不悪凡斎右京輔
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
内山城(富山県黒部市)[6.0km]
天神山城(富山県魚津市)[6.8km]
生地台場(富山県黒部市)[7.4km]
魚津城(富山県魚津市)[10.9km]
宮崎城(富山県下新川郡)[12.8km]
松倉城(富山県魚津市)[14.4km]
上梅沢館(富山県滑川市)[18.8km]
小出城(富山県富山市)[22.5km]
大村城(富山県富山市)[24.8km]
仏生寺城(富山県中新川郡)[25.2km]
若栗城の解説文
若栗城の口コミ情報
2024年09月17日 内記かずりヾ(・ε・。)
若栗城
さて、今回の口コミは信濃を離れて越中のお城、若栗城っす。訪城当日のおいらは、富山城から谷筋を進んで飛騨山脈に入り、ザラ峠を越えて黒部川を渡り、針ノ木峠を越えて長野県大町市へ抜けたと推測される、佐々成政の「さらさら越え」を走って検証しよかなと思って気合い十分だったんだけど、道を初っ端から間違えてしまい、気が付いたらびっくりする事に宇奈月温泉だった…やる気を一気に削がれたので試みは即中止、手ぶらで帰るよりは…て訪ねたのがこの若栗城て訳なのさ。挑戦は成政もそうしたように厳冬期を待とうかの、今日のところは勘弁しといたるわ。
アプリの登録城なんすね。おいら越中の事とか全然知らないのさ〜北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅から走れば3分位で着く駅近物件、こんな暑い日によう走らんけど…
若栗城は黒部川南岸(左岸)、標高約64mの平野部平場に立地する居館城です。該地は黒部川が創造した黒部扇状地の左岸地域に当たり、交通の要衝でもあった。北行すれば黒部川の渡し場か。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。おいらは駅からてくてく歩いたけど(「西小路」の地名が残っているようだ。)、主郭を農道が貫通しているので車で直入り出来る。車の捨て場所も主郭だ。
築城年代、築城者は不明です。城歴等についてはアプリの城郭基本情報を参照して下さいまし。越中の事はよく知らん。ちなみに年次不詳だけど、上杉勢によって落城した経験を持つ。長尾景虎が上杉姓を名乗るのは永禄四年(西暦1561年)以降の話なので、永禄十一年(西暦1568年)三月の越中出陣(椎名康胤討伐かな。)の際、もしくはそれ以降とするのが自然だと思う。
城主には、総田太郎左衛門、不悪凡斎右京輔の名が伝わるそうだが、個人的には椎名氏に従う、もしくは合力する浄土真宗門徒のような気がする。つまりは一向一揆衆の一人なんじゃないかなと…後者は実名じゃあるまいし、出家名ですらないだろう。明らかに出来ない何かの事情てもんがありそうだ。「不悪凡斎」すよ…ひょとしたら外人なんじゃないかなとさえ思えてきたわ…例えば「F◯◯◯ BONE SIGHT」の当て字…みたいなwちなみに城主の妻、もしくは息女の奮戦が地元には伝えられている。内容についてはネットで見たんで興味のある方は検索するがいいさ。
正直言うとリア攻め付けに来たんすわ。平城で苦労しない物件を求めて…事前情報無しに臨んだんすけど、すっかり感動しちゃいましたよ。謂わゆる単郭方形の居館城、空堀は殆ど消滅しているとはいえ、田甫中にしっかりと残った高さも幅員もあるコの字形の土塁に萌えまくり。近年まで全周が残っていたようだけどそれでも奇跡に近いだろう。信濃の居館廻りもこんなんばっかしだったらさぞかし楽しいだろうに。
周辺には、善念寺館、長安寺館と呼ばれる中世〜戦国時代の居館が立地する。腹ぺこだったんで訪問は諦めたけど、何れも現在は真宗大谷派の寺院だ。そう、戦国時代の越中は一向一揆衆が大きな影響力を保っていた国なのだ。若栗城の土塁が平らげられる事無く残されてきたのも、長きに亘って土地の人達の追慕の対象だったからなのかもしれない。
※「たっちゃま」とも呼ばれるらしい。「館様」かな。
※◯◯◯に入る字は「AKE」っすわ…間違えた方は心が荒んでおるぞよ…
※善念寺館、長安寺館〜リア攻めマップにスポット登録だけしといた。越中の方、後は宜しくお願いしやす。
※若栗城のリア攻めポイントは口コミに書いてもしょうもないんで攻略情報に置いといた。
※写真見たけど訪ねるなら桜の時期が最もよい。
2023年08月10日 zato尾張守
若栗城
周囲は水田になってはいますが土塁があんな形で残されたのは本当によかったです
2020年06月07日 シゲ越後守豊右衛門
若栗城
千尋の言った通りわかりやすく、土手が残っています。
土手の上には天満宮と言う石碑と鳥居があります。南側の土手下はきれいに公園となっており駐車場もあり、クルマ7、8台止めれます。
トイレも完備されており小さいながらきれいに清掃されており、地元の方がきれいにしてくれると思います。
用水路の音しか聞こえなく本当に静かなところです。
2019年11月19日 ❄千ノ坂修理亮
土塁内側トイレ[若栗城 トイレ]
小さな公園になっています
トイレの前に車が数台停められます
2017年09月30日 近江守Silvine
若栗城
黒部ICを降りたら右へ、北陸道と北陸新幹線の高架を越えたら最初の十字路を右折します。そのまま1kmほど直進すると田圃の真ん中に大きな土塁が見えてきます。
元々は単郭方形の城だったとの事ですが、半分は田畑にするため崩され、現在は虎口を中心にコの字型に土塁が残っています。土塁は高さ4mほどあり、見応え十分です。また周りに建物がないのでよく目立ちます。
北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅からも1kmほどですので、お近くを訪れる方は立ち寄ってみてはいかがでしょう。
城の構造は、方形に堀と土塁をめぐらし、土塁はコの字状に北、西、南の三方を囲む形態で東側が開けている。調査では、珠洲、越前、越中瀬戸、伊万里などが出土した。また、土塁の基礎固めの石列、建物に関する石敷きが見つかっている。戦国時代にこの城が造られたと考えられる。
市内の平地にある城館には石田城、堀切西館、堀切東館、小梅山遺跡、長安寺館、善念寺館などがある。
「越能賀三州志」では、東西40間、南北42間で高さ7尺の垣上げありとし、館主に総田太郎左衛門の名が出ている。また、「文政元年城跡館跡由来申伝之趣書上申帳」文政元年(1818)によれば城主不悪凡斎右京輔が居住とある。
地元の言い伝えでは、上杉勢と戦った城主の妻の勇壮な奮戦ぶりの悲話が残っている。
交通
・富山地方鉄道「舌山駅」下車、徒歩10分