天神山城(てんじんやまじょう)
天神山城の基本情報
通称・別名
- 天神山陣営
所在地
- 富山県魚津市小川寺天神山10
旧国名
- 越中国
分類・構造
- 梯郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 長尾景直?
築城年
- 天文23年(1554)?
主な改修者
- 長尾氏
主な城主
- 長尾景直、青山氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
魚津城(富山県魚津市)[4.9km]
若栗城(富山県黒部市)[6.8km]
松倉城(富山県魚津市)[7.9km]
生地台場(富山県黒部市)[9.0km]
内山城(富山県黒部市)[9.7km]
上梅沢館(富山県滑川市)[12.1km]
小出城(富山県富山市)[16.0km]
仏生寺城(富山県中新川郡)[18.5km]
弓庄城(富山県中新川郡)[18.6km]
大村城(富山県富山市)[19.0km]
天神山城の解説文
[引用元:Wikipedia「天神山城」の項目]
天神山城(てんじんやまじょう)は、富山県魚津市天神山(別名・松尾山、標高163m)にあった日本の城(山城)。別名・萩城。頂上付近には人工的な平坦地があり容易に城跡と判別できる。魚津市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.6[2][3]。周辺には、魚津歴史民俗博物館、天神山温泉、新川学びの森天神山交流館などがある。
歴史
天神山の山頂部からは弥生土器が出土しているため、2世紀末の倭国大乱に関係する弥生時代の山城跡と考えられている。
天神山城は松倉城の支城として上杉氏によって1554年(天文23年)に築城とされる。城の範囲は現在の金太郎温泉近くまであったと推測される。安土桃山時代には、上杉謙信がここを越中攻めの拠点として長尾景直を城主として送り込んだ。1582年(天正10年)の魚津城の戦いの際には上杉景勝が入城した。
本能寺の変の後、賤ヶ岳の戦いで勝利した秀吉は富山の役にて佐々成政を降伏させ、成政には越中国のうち新川郡のみが安堵された。しかし実際には、成政自身は大坂に留め置かれたうえ、新川郡内にある白鳥城には前田利長の、天神山城にも上杉景勝の城将が、佐々の軍勢に備えるため引き続き置かれた[4]。
佐々の肥後移封と関ヶ原の合戦後に前田氏が砺波・射水・婦負に加え、新川郡をも治めるようになると、前田家から青山佐渡守(青山吉次)・豊後守(長正)親子が城代として入城したが、のちに廃城となり、現在は片貝川に面した土塁や空堀などが残されている[5]。
伝承
もと松尾山と呼ばれていたものが、 1493年(明応2年)室町幕府10代将軍、足利義材(よしき)―後に改名して義尹(よしただ)[6]が都の乱を逃れて小川寺(おがわじ)の寺院・光学坊に二月ほど身を隠した際に菅公像(天神様)を残し、後に松尾山に祀られたので「天神山」と呼ばれるようになったと伝えられている。
遺構・復元施設
堀(空堀)や土塁などが一部残されている。
- 本丸跡・二の丸跡
- 櫓台
- 魚津市指定文化財「天神山城跡」石碑
- 天神社
- 天神山弘法大師堂
- 魚津歴史民俗博物館 - 天神山の中腹にあり、「天神山城絵図(天神山山頂之図)」など展示
- 旧沢崎家住宅
- 石仏群
交通
- あいの風とやま鉄道線魚津駅(富山地方鉄道本線新魚津駅)より約7km。自動車で約15分[7]。
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天神山城の口コミ情報
2024年04月26日 mootze
天神山城
魚津市にある小高い山城、上杉景勝軍が、魚津城、松倉城、救援に向かい陣を置いた場所(実際は、 信濃、上野から上杉討伐軍が来ると察知して撤退してしまったらしい)車は歴史資料館の前に置きます。1段上のスペースは私有地なので、駐車禁止です、堀切や竪堀は、ありますが、遺構は藪の中です城郭は、本曲輪とその周辺しかありませんが、多くの兵が、駐屯できそうな感じです、眺めは、富山平野が見渡せる いい場所でした
2022年12月12日 後藤大蔵大輔康家
天神山城
冬季は資料館休館。本丸に仏堂。弘法大師様にお参り可能
2020年10月31日
天神山城
魚津市歴史民俗博物館・吉田郷土記念館のすぐ裏手です。
歴史民俗博物館の建物の背後へ舗装された道を400mほど上がると二の丸と本丸の削平地にたどり着きます。
二の丸跡にお堂が、本丸跡に祠が建っています。
松倉城跡や海岸の魚津市街が望める場所ですが、本丸・二の丸は木立がありきれいに眺められません。
駐車場所は歴史民俗博物館または吉田郷土記念館の駐車場に限られますが、両館とも冬季は閉館します。
博物館の敷地へ入れない場合は丘の下の天神山球場から歩くことになります。
2012年09月20日 よね
天神山城
隣接する吉田記念郷土館では、平成24年9月14日〜11月11日の間、「北陸の山城展」を開催しています。