松倉城(まつくらじょう)

松倉城の基本情報

通称・別名

鹿熊城、松蔵城、金山城

所在地

富山県魚津市鹿熊字城山

旧国名

越中国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

井上俊清

築城年

建武2年(1335)頃

主な改修者

主な城主

普問氏、桃井氏、椎名氏、河田氏(上杉氏家臣)

廃城年

慶長年間(1596〜1615)

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切

指定文化財

県史跡(松倉城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

上梅沢館(富山県滑川市)[7.2km]
魚津城(富山県魚津市)[7.4km]
天神山城(富山県魚津市)[7.9km]
弓庄城(富山県中新川郡)[11.3km]
小出城(富山県富山市)[11.4km]
仏生寺城(富山県中新川郡)[12.9km]
若栗城(富山県黒部市)[14.4km]
内山城(富山県黒部市)[15.2km]
生地台場(富山県黒部市)[16.2km]
大村城(富山県富山市)[16.3km]

松倉城の解説文



松倉城(まつくらじょう)は、越中新川郡松倉村(現在の富山県魚津市)にあった日本の城(山城)。別名「金山城」または「鹿熊城」。富山県史跡[1]。越中三大山城の一つ。とやま城郭カードNo.3[2][3]

構造 

松倉山(鹿熊山)の山頂(標高430.9メートル)に位置する。本丸には数百本の桜が植えられていて(富山さくらの名所50選にも指定されている)、展望も良く、新川平野一帯を一望できる。三方は断崖で、5郭を構成している。城の規模としては越中最大級である[4]

昭和の初めにヤマザクラ111本が植樹され、うち40本ほどが現存しており、「富山さくらの名所70選」にも選定されている[5]。また、1995年(平成7年)には、入城の門広場が整備された[6]

歴史 

1335年(建武2年)頃の築城と言われている。城主は普門俊清、桃井直常と移ったが、1370年(応安3年)の長沢の戦いの後、幕府方によって平定されたと伝えられる。

南北朝時代のあとは椎名氏の居城として、越中東部の政治・軍事の中心として栄えた。豊富な産出量を誇った松倉金山を擁していた。 椎名氏は最盛期には富山県呉東地域にまで勢力を広げていたが、1570年(永禄13年/元亀元年)、城主の椎名康胤が、宗主の上杉氏から対立する武田氏に寝返ったために上杉謙信に攻められたが百日間に渡り攻撃を防ぎ、上杉謙信は越後に引き上げた(尻垂坂の戦いを参照) 。元亀3年(1572年)5月、武田信玄の西上作戦に呼応して、椎名康胤が上杉氏に対立したが、攻防戦の末に松倉城は開城した(松倉城の戦い)。

この結果、上杉氏方の拠点として河田長親が城将を務め、天正8年(1580年)10月には神保長住による攻撃を撃退している。天正10年(1582年)6月、魚津城落城直後に松倉城も織田信長方の手に落ちたが、本能寺の変後の混乱によってすぐに上杉氏方に復帰した。

その後、天正11年(1583年)に城将須田満親は佐々成政に開城し信濃の海津城に転出した。また成政も富山の役で前田・上杉軍に挟撃されたうえ秀吉の大軍の前に降伏、天正15年(1587年)に肥後移封されたが一揆が発生し没落した[7]

文禄4年(1595年)には前田利長に新川郡が加増され、土肥氏・舟見氏らの上杉家の越中衆から郡内の諸城を受け取る[8]。 前田氏は麓の鹿熊にあった城下町を魚津へ移す。松倉城は慶長年間に廃城となったと言われている。

遺構・復元施設 

  • 城址碑と案内板 - 巨石に「松倉城址」石板を填めた址碑。隣に場内案内。
  • 「松倉城主之碑」 - 天守入口付近にあり、桃井氏から須田満親まで歴代城主の顕彰碑。
  • 本丸跡 - 「松倉城本丸跡より富山方面を望む」写真パネル台。富山市方面が遠望できる。
  • 「松倉城跡地形模型」 - 水平に置かれた立体図に松倉城跡の全景が配置。1/1000の縮尺。
  • 「松倉城跡の構造」絵図 - 発掘調査の様子を写した写真も掲載[9]
  • 平ノ峰(のろし台) - 丸太を等間隔に敷いた山道が狼煙台へ続いている。
  • 水飲場跡
  • 八幡堂社殿 - 本丸跡南の曲輪にある祠。
  • 古道 - 旧城下町と本丸を結ぶ古道。2020年に0.6kmを遊歩道として整備した[10]

近隣施設など

  • 石の門砦 - 城下町があったとされる鹿熊集落の入口にある門。魚津市指定史跡。松倉支城群の中で唯一現存する石垣。
  • 「松倉城とその支城群」案内 - 角川ダム側の登城口にある。魚津市イメージキャラクター「ミラたん」により写真とイラストで紹介。
  • 松倉金山 - 椎名氏の資金源として採掘された金山。椎名氏は謙信に助勢を求め、1570~1595年頃まで上杉家が支配、運上金を春日山へ送る[11]。江戸時代初期には加賀藩が経営した越中七金山の一つとされ、坑道跡などを残しているが、危険な状態であるため、立ち入りが禁止されている[12]

支城 

松倉城はいくつかの支城をもっていて、魚津市山間部一帯に山城群を形成していた。尚、支城名は以下に記述する。近くに松倉金山があった。

イベント 

5月下旬には、この地及び升方城跡、北山城跡で「戦国のろし祭り」というイベントが開催される。

交通 

  • あいの風とやま鉄道魚津駅・富山地方鉄道新魚津駅(北陸新幹線・黒部宇奈月温泉駅乗り換え)から自動車で約25分[14]
  • 市民バス・松倉ルート「鹿熊小学校前」下車
  • 北陸自動車道・滑川ICから約20分
  • 同上・魚津ICから約25分
    • 城址駐車場あり

松倉城の口コミ情報

2024年06月26日 RED副将軍
石の門砦[松倉城  周辺城郭]



富山県内で随一の残存する中世石垣遺構

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代や築城主等の詳細不詳。松倉城の支城群のひとつです。戦国期末に築かれたと考えられており椎名氏の築城と思われます。
升方城と水尾城の中間に位置し、松倉城の大手門であったとの伝承もあります。

見所
松倉城の城下町があった鹿熊地区の西の入口にあたる丘陵の鞍部に築かれおり、中世の山街道がここを通っていたと云われることが松倉城の大手門と云われまる由縁です。
尾根上の街道を遮る様に川原石を約4m積み上げた石垣遺構が残ります。裏込め石が詰められていますが、隅石は算木積みとなっていない古い積み方です。
周辺に削平地や土塁も認められるため砦であったと考えられています。

行き方は、松倉城の西に位置し県道67号から林道が付いています。ロードサイドに案内板もあり簡単に辿り着きます。

2023年12月30日 RED副将軍
松倉城



越中最大規模で難攻不落と言われた巨大山城🏯

オススメ度 ★★★★★

1335年に井上俊清により築かれたと云われます。
井上俊清は、信濃源氏井上氏の一族とされ、越中守護職に任じられ、南北朝時代では北朝方の足利尊氏に与しました。また、父である普門院法印の号をとって普門俊清とも称されます。
1338年には井上俊清は南朝方の越後勢を防ぐため国境で待ち受けるも敗れて松倉城に籠城したとされます。
しかし1344年、東大寺領の違乱行為等により守護職を罷免、所領も没収され幕府より追討を受けます。今度は南朝方に属して幕府勢に反抗するも、桃井直常や能登守護である吉見頼隆が討伐軍として攻め寄せ、内山城に落ち延びたとされます。

その後は桃井常直の拠点となります。桃井常直は足利尊氏の弟である足利直義の重臣となりましたが、足利尊氏と直義が対立。相模国早河尻で足利尊氏軍との戦いで足利直義が敗れると反幕となり南朝方に付きます。
1369年に幕府軍と抵抗するも松倉城は落城。その後、桃井常直は飛騨の姉小路氏を頼ったとされます。

その後、松倉城は守護代である椎名氏の居城となります。椎名氏は上杉氏が越中に侵攻すると服従。
しかし、1568年に椎名康胤は武田信玄と内通し、本庄繁長の乱に呼応して上杉謙信から離反。
1569年に上杉謙信が松倉城に攻め寄せ包囲するも守りが堅く4ヶ月経っても落とすことが出来ず撤退。
1572年に加賀一向一揆衆に呼応し反上杉体制を示したため再度、上杉謙信が松倉城を攻め寄せると落城。椎名康胤は逃亡し、一向一揆衆と転戦したとされます。

松倉城は上杉氏家臣の河田長親が金山城から入城し、越中支配の重要拠点とします。
しかし、1582年に織田信長の家臣である佐々成政の侵攻により落城。しかし、その後間もなく織田信長が本能寺で没すると上杉方が混乱に乗じて取り戻しています。
1583年に佐々成政が再度侵攻し、城将の須田満親は開城。佐々成政の属城となりましたが、佐々成政も羽柴秀吉に降伏し肥後に移封となると、松倉城は前田氏の治領となります。
前田氏は麓の城下町を魚津へ移し、松倉城は慶長年間(1596年〜1615年)に廃城となった様です。

見所
越中三大山城のひとつに数えられ、周囲に多くの支城群も築かれている巨大山城です。
標高430mの松倉山に築かれており、本丸は南端の最高所に置き、北へ二の丸、蔵跡、三の丸、四の丸と連なります。
本丸の背後は詰めの丸があり大堀切で遮断されています。
本丸から西尾根を下ると鋭く高い切岸の段曲輪が連なり、大見城平と呼ばれ屋敷跡と考えられている広い削平地に辿り着きます。
本丸から四の丸までの間には馬出し状の空間や堀切などもありますが、あまりテクニカルな縄張りと言えずプリミティブな印象が残ります。

城域北側麓から直ぐ下まで車で登ることができ、駐車場も完備されているので気軽に訪れることができます。

2023年10月21日 かしよし讃岐守1181
松倉城



小雨の降る日暮れ時に来たのでじっくりとは見えませんでしたが車で上まで上がってしまうと数分で本丸にたどりつきます。

2023年08月28日 RED副将軍
水尾城[松倉城  周辺城郭]



松倉城の西方を守る支城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代、築城主ともに不詳。松倉城の西方を固める支城の一つです。
松倉城は、1335年頃の築城とされ、城主は普門利清、桃井直常と移り、南北朝時代になると椎名氏の居城として越中東部統治の中心でした。
水尾城はどの時代に築かれたかははっきりとしませんが、1346年に能登国守護である吉見頼隆が越中国守護の普門俊清を討伐するために越中に侵攻して来た際に、水尾城と水尾南城で衝突し水尾城は落城したとされます。
戦国時代の水尾城に関する史料は見つかっていませんが、戦国時代になると椎名氏は上杉謙信@@の侵攻により没落。その後、松倉城には上杉謙信の家臣である河田長親が入城しました。
引き続き松倉城の西方を守る支城として改修し利用されたものと思われます。

見所
早月川と角川に挟まれた標高303mの水尾山頂部に築かれ、南北に伸びた尾根沿いに堀切で区切られた大きく5つの郭群で構成されています。
堀切や郭はしっかりと残っていますがヤブ化。かつて公園整備された様ですが、堀切には朽ちた橋が崩れており、長年放置され整備は入っていない様子。樹木を適度に残さず全て伐採されているので日当たりが良くなりヤブ化していました。写真では遺構が伝わらない状態です。
整備せずに放置するくらいなら、伐採をせずにそのままの方が良かったという典型例。木陰となり遺構は見やすく残存状態も保たれたと思い残念でした。
北陸の雪深い地域であり4月下旬に訪れましたが、この状態ですので雪とヤブが無い時期は短いです。

行き方は、城域北東部の林道に登城口の看板があります。この先は未舗装であり、車は路側帯に停めて歩いた方が無難です。約1km近く進むと辿り着きます。

2023年05月21日 RED副将軍
武隈屋敷(小菅沼城)[松倉城  周辺城郭]



石積み土塁と外桝形虎口が明瞭に残る松倉城の支城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。松倉城主である椎名氏の家老である武隈氏の屋敷跡。松倉城と北方を押さえる出城であった北山城との中間に位置し、繋ぎの城として機能したとされます。

武隈氏は、1221年の承久の乱の後に地頭として入部し、その後に越中国守護代となった椎名氏の重臣とされます。1568年、椎名康胤は武田信玄や一向一揆勢力と与して上杉謙信に叛旗を翻しましたが、1573年に上杉謙信が攻め寄せて松倉城は落城、椎名氏は滅亡しました。武隈氏は、椎名氏が滅亡すると帰農しましたが、そのまま小菅沼に居住。近世まで代々続いていました。

見所
松倉城の北側、角川右岸の丘陵上に築かれています。高さ約1.5mの石積土塁が巡り、北側と東側に虎口が開口。北側虎口は外桝形虎口、東側虎口は折れ虎口となっており、石積みと虎口が見所です。現在の遺構は加賀藩の許可を得て江戸時代に築かれたものと考えられています。

行き方は、小菅沼集落上にあり車で行くことができます。

2022年08月23日 mootze
松倉城

魚津の山側に位置して、富山の東を支配した、お城と思われます、規模も、大きい感じがします。また周辺にも城郭がたくさんありますので、連携のとれた、いい、お城ですので、見ごたえ充分です。戦国時代の城主が、椎名氏だから、みんなが見に来てくれると、うれしい〜な、と思ってます。

2022年08月22日 Maru姫22
松倉城

2022/8月時点ですが、倒木のため本丸の一部が入れないようになっておりました。

2022年05月18日 陥陣営イコッキ
松倉城



本丸直下まで舗装路があります。自動車なら道は細いですが、楽に行けます。

2022年05月07日 【】修理大夫こーへー
石の門砦[松倉城  周辺城郭]



★松倉城の大手門として伝われており椎名氏が城下町の正門として支配者の権力を誇示するためにに石垣を取り入れたと推定される。新川郡守護代を勤めた椎名氏の権力を知る事が出来る素晴らしい遺構(石垣)です。

2022年03月21日 今孔明ユーチューバー
松倉城



2022年3月22日に行きましたがダム側から入る道すぐに倒木のために通行できませんでした。また中腹から雪が残り、本丸付近は50cmぐらい積もってました。

2021年01月04日 曲輪但馬守削平
坪野城[松倉城  周辺城郭]



5月に初めて登城した時は坪野側から林道に入り途中から踏み跡を辿りました。
その時に南側に登山道があるのを見つけました。航空写真で見ると同じ林道に通じている様子。今回は逆方向の大菅沼側からアタックします。

大菅沼の集落の南に地図にも出ている溜め池があります。路肩に10台程駐車可能と思います。ここに駐車して歩きます。林道を二度右折。12分で林道は行き止まりに。広くて平坦な登山道をさらに4分で見覚えのある場所に出ました。468mピークと城跡の間の鞍部から尾根に取り付きます。堀切、副郭の写真を撮りながら6分で主郭に到着。軽く刈り払われており、前回見つけられなかった城址碑も見つける事が出来ました。また、松倉城の姿も見えました。

城ポチするとGPSが黒部にワープして使い物にならなくなったため、北側の堀切まで見て撤退する事にしました。また来たいと思います。
2020.12.6

2021年01月03日 曲輪但馬守削平
護摩堂城(蓑輪城)[松倉城  周辺城郭]



山名は城山。滑川市蓑輪と上市町護摩堂の境界線にあり、双方の呼称があるようです。料理宿の八十八を過ぎると弘法大師の清水があり、向かいが駐車場になっています。そこから約50m戻ると東側に入る登山道があります。林の中をかなり明瞭な道が続いています。6分程で「火の用心伊折29」の看板があります。ここを左に行けば城址碑·三角点、しかし15分の登山と甘く見ていたせいで道なりに右へ行ってしまいました。

さらに8分で尾根に出ます。城跡から500m南です。ここまで来たら突っ切るのもありかと尾根沿いに藪漕ぎ開始します。3分で堀切らしきものを発見。が、遥か城域外なので素人判断はせず。30分で約400m移動し、城域へ。縄張り図通り二重堀切、大堀切を確認。が、この季節でも藪が邪魔で写真が撮りにくい。主郭は藪が濃く通り抜けるので精一杯でした。夏場は無理かも。主郭西側の下段はやや藪が薄く、Uターンして下から井戸跡へ。

主郭の北、一段下に鉄塔があり、下山道と尾根沿いに三角点に向かう踏み跡がありました。踏み跡をすぐで城址碑です。堀切を越えてさらに行くと物見台跡とされる三角点に到着。樹林で景色は得られず。鉄塔まで戻り、下山しました。予定では全行程1時間かからないはずでしたが結局2時間以上かかりました。景色は何ヵ所か得られましたが、道路を車で走っている途中が一番でした。
2020.11.29

2019年12月09日 雪那‪
武隈屋敷(小菅沼城)[松倉城  周辺城郭]



支城北山城跡から松倉城へ行く途中になります。屋敷の出入り口は升形。土塁と石垣が残っています。

2019年12月08日 雪那‪
北山城(金山谷城)[松倉城  周辺城郭]



細い舗装された山道を登ります。すれ違い出来ない道をどんどん奥まで行くと、整備された駐車場に出ます。そこから直ぐに本丸の広場に行けます。
城が築かれた山頂部は細長く平坦にならされ、その範囲は支城群の中でも升方城と並んで規模の大きな城郭です。
山頂からは魚津市街地が一望出来ます。
多数の曲輪、竪堀、堀切があるとの事です。

2019年10月22日 雪那‪
水尾城[松倉城  周辺城郭]



石の門砦から近いです。大きな看板から1キロ程歩きます。昔車が通っていたのが分かる位広い道もありますが、急でガタガタなので車は無理です。5箇所の空堀で区切り、4つの曲輪で構成されている、と書いてあります。

2019年10月22日 雪那‪
石の門砦[松倉城  周辺城郭]



松倉城の支城升方城から車で5〜6分で行けます。その通りにあり、説明板もあるので分かりやすいです。

2019年10月22日 雪那‪
升方城[松倉城  周辺城郭]



松倉城塁群の1つ。8号線金沢高岡方面より新潟方面行きでグーグルマップで進みます。城近くなると対向車とすれ違えない道になりますが、そのまま進めば整備された道に出ます。公園と名の付く場所からすぐ登り口があります。本丸跡自体は草ぼうぼうでしたが、そこまでの階段は整備され登りやすいです。虎口、郭、畝状空堀群があるようです。

2019年05月25日 龍馬備中守【】
松倉城



主郭とニの曲輪を分断する(手前)堀切(奥)二の曲輪(曲輪の右)土塁☆越中三大山城の一つ☆標高430mの鹿熊山に造られた☆

2019年05月25日 龍馬備中守【】
松倉城



ニの曲輪と三の曲輪を分断する堀切☆城主・椎名氏が宗主、上杉氏から武田氏に寝返える事で上杉勢に攻められた『松倉城の戦い』戦に敗れ椎名氏は城から逃亡☆

2019年05月25日 龍馬備中守【】
松倉城



主郭背後の堀切☆急激に落ちる先は崖☆戦国時代は椎名氏の居城☆越中東部の政治・軍事の中心として栄える☆

2019年04月30日 ピッケル下野守
松倉城



さすが地名が鹿熊だけあって、のろし台から四の曲輪に戻る途中カモシカに遭遇。
熊に会わなくて良かった。

2018年06月28日 安田大蔵卿秀俊
松倉城

同じ魚津市の天神山城にある歴史民俗資料館に『松倉城と支城群』のパンフレットが置いてあったので参考になります。

さすが越中3大山城だけあって支城群形成も壮大。石の門砦の石垣は見事!!
支城群による防衛網も含めてのリア攻めがオススメ。(ただしクマ注意)

2017年11月05日 なぁ姫
松倉城

台風の影響か500mほど手前から倒木により車が通れなくなっています。
狭い山道のためUターンしづらいのでお気をつけ下さい。
私はしばらくバックで逆送してからUターンしました。
2017.11.3確認

2017年09月17日 石畳治部少輔三成
松倉城

遺構が良好に残っていて、本丸からの景色も最高です。
城内に栗が落ちていたので、栗目当ての森のクマさんと出会うかもしれません。私はリスとニホンカモシカに出会いました。

松倉城は水尾城や升形城などの支城群を形成しているようですが、中でも石の門砦の大きな河原石を2メートルくらい積み上げた石積みは見応えがあります。
松倉城への案内板はいくつもありますが、他の支城への案内板は近くに寄らないとありません。下調べして行かないと農道の迷路で迷子になってしまいます。
升方公民館を目指して行けば、まず升方城の案内板、升方城の案内板を通り過ぎてしばらく行くと石の門に行く事が出来ます。
石の門から道沿いに行くと水尾城にたどり着けます。

2017年05月30日 りょうた
松倉城

登城断念しました。熊が絶対出そうです
林道は車両は管理車両以外立ち入り禁止と書いてあります。時期、装備とも出直してきます

2016年09月19日 まるき〜陸中守
松倉城

越中三大山城の一つ
ここは本丸〜二の丸〜三の丸〜四の丸〜狼煙台と一直線に連なる連郭式で郭の間に見応えのある深い堀切、空堀があり高い所で10メートル以上あるので…凄いですよ

城内はよく整備されていて探索は容易
要所要所凄〜く分かりやすくていかにも山城の造りのお手本?のような感じ、現在発掘調査中なのか所々ブルーシートで覆われていますが…
本丸奥には巨大な自然石←これ不思議な感じ、城山全体の模型、案内板

本丸、狼煙台共に眺望はかなり良くて景色を眺めに来るだけでも値打ちがある

駐車場にある城の案内を見ると城内端から端まで距離がある様に見えるが実際歩いてみるとそれ程ではない

県道67号線、角川ダムを超えた所に城への登り口があり車で約10分〜くらいで突き当たり、城の近くまで行けるが目的地までの道のりは枯葉、砂利、細いクネクネ道なので若干不安を感じるかもしれません
駐車スペースは5〜6台分、トイレあり。

2016年06月14日 鋸越中守鍬形左衛門
松倉城

続き


2キロほど進むと、作業小屋があり、その上に公衆トイレと物見櫓的なアスレチックがあります。
本丸下の駐車場にもトイレがありますが、古いので、利用するのであればこちらの方が良さそうです。
ここから、本丸に向かう「もののふ道」と名付けられた散策道がありますが、こちらも人が頻繁に歩いている雰囲気ではありません。
この公衆トイレから看板に沿って進むと、1キロ弱で本丸下の駐車場です。
駐車線、車止め等はありませんが、舗装されており、複数台停めることが出来ます。
こんなに山奥なのに、見学路も含めてきちんと整備されていてびっくりします。
ただ、どこから野性動物が出てきてもおかしくない環境です。
ラジオ、熊鈴等は必須です。
平日だったからかも知れませんが、山道に入ってから出るまでに人、車など全く出会いませんでした。
まさに貸し切りです。
ゆっくりと悠久に想いを馳せることが出来ました。

2016年06月14日 鋸越中守鍬形左衛門
松倉城

滑川市方面から向かいましたが、まず車がすれ違えないトンネルを抜けます。
一瞬、諦めようかと思いましたが、強行突破。
その後も山道が続き、前日の雨のせいかもしれませんが、所々落石あり。
民家など全くありませんので、女子一人で行くところではありません。
葛籠坂を上っていく途中で、二ヶ所ほど松倉城本丸に向かう遊歩道の入り口がありましたが、人が頻繁に歩いている雰囲気はありませんでした。



2015年06月13日 安田大蔵卿秀俊
松倉城

熊注意です。 地名が「鹿熊」となっている通り鹿も熊も出るそうです

2013年08月21日 芦屋能登守虎吉
松倉城

魚津市街から車で本丸下まで行けて、比較的気軽に散策できます。
気軽に行ける割には、本丸と八幡堂の間の深い堀切や、三の丸の規模、土塁など迫力満点で、本丸からの支城群と富山湾遠景も出色です。

本丸には支城群の模型もあり、全体像もわかりやすかったです。時間があればまとめてまた行きたいと思いました。

山城好きには是非ともオススメしたい城です。


松倉城の周辺スポット情報

 石の門跡(遺構・復元物)

 枡形虎口(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 升方城(周辺城郭)

 石の門砦(周辺城郭)

 水尾城(周辺城郭)

 北山城(金山谷城)(周辺城郭)

 武隈屋敷(小菅沼城)(周辺城郭)

 坪野城(周辺城郭)

 護摩堂城(蓑輪城)(周辺城郭)

 狼煙台(周辺城郭)

 南升形城(周辺城郭)

 水尾南城(周辺城郭)

 小菅沼B城(周辺城郭)

 小菅沼A城(周辺城郭)

 小菅沼C城(周辺城郭)

 長蔵砦(周辺城郭)

 後藤城(周辺城郭)

 中之堂砦(周辺城郭)

 やせもり砦(周辺城郭)

 西ノ番砦(周辺城郭)

 荒惣山砦(周辺城郭)

 大谷尾根砦(周辺城郭)

 稗畑砦(周辺城郭)

 千鳥遺跡(寺社・史跡)

 不水掛遺跡(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 松倉城址 入城の門広場公衆トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 松倉城址 入城の門広場(関連施設)

 松倉城シンボル広場展望台(関連施設)

 不水掛遺跡公園展示館(関連施設)

 水尾城跡登城口(その他)

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