水尾城
水尾城([松倉城 周辺城郭])
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水尾城の口コミ情報
2023年08月28日 RED副将軍
松倉城の西方を守る支城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代、築城主ともに不詳。松倉城の西方を固める支城の一つです。
松倉城は、1335年頃の築城とされ、城主は普門利清、桃井直常と移り、南北朝時代になると椎名氏の居城として越中東部統治の中心でした。
水尾城はどの時代に築かれたかははっきりとしませんが、1346年に能登国守護である吉見頼隆が越中国守護の普門俊清を討伐するために越中に侵攻して来た際に、水尾城と水尾南城で衝突し水尾城は落城したとされます。
戦国時代の水尾城に関する史料は見つかっていませんが、戦国時代になると椎名氏は上杉謙信@@の侵攻により没落。その後、松倉城には上杉謙信の家臣である河田長親が入城しました。
引き続き松倉城の西方を守る支城として改修し利用されたものと思われます。
見所
早月川と角川に挟まれた標高303mの水尾山頂部に築かれ、南北に伸びた尾根沿いに堀切で区切られた大きく5つの郭群で構成されています。
堀切や郭はしっかりと残っていますがヤブ化。かつて公園整備された様ですが、堀切には朽ちた橋が崩れており、長年放置され整備は入っていない様子。樹木を適度に残さず全て伐採されているので日当たりが良くなりヤブ化していました。写真では遺構が伝わらない状態です。
整備せずに放置するくらいなら、伐採をせずにそのままの方が良かったという典型例。木陰となり遺構は見やすく残存状態も保たれたと思い残念でした。
北陸の雪深い地域であり4月下旬に訪れましたが、この状態ですので雪とヤブが無い時期は短いです。
行き方は、城域北東部の林道に登城口の看板があります。この先は未舗装であり、車は路側帯に停めて歩いた方が無難です。約1km近く進むと辿り着きます。
2019年10月22日 雪那【槍の又左】
石の門砦から近いです。大きな看板から1キロ程歩きます。昔車が通っていたのが分かる位広い道もありますが、急でガタガタなので車は無理です。5箇所の空堀で区切り、4つの曲輪で構成されている、と書いてあります。