宮崎城(みやざきじょう)

宮崎城の基本情報

通称・別名

荒山城、泊城、境城、堺城

所在地

富山県下新川郡朝日町宮崎字城山(あさひ城山公園)

旧国名

越中国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

宮崎長康?

築城年

寿永2年(1183)?

主な改修者

主な城主

宮崎氏、椎名氏、上杉氏、佐々氏、前田氏

廃城年

慶長19年(1614)以前?

遺構

空堀、土塁、石垣、堀切

指定文化財

県史跡(宮崎城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

内山城(富山県黒部市)[12.2km]
若栗城(富山県黒部市)[12.8km]
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宮崎城の解説文

宮崎城(みやざきじょう)は、越中国(現・富山県下新川郡朝日町)に存在した日本の城(山城)である。富山県史跡に指定されている。別名境城。

概要
城山(標高149m)の山頂から山腹にかけ堀切・土塁などが残っている。越中国・越後国の国境に位置し、親不知の東側という条件から交通の要地として戦闘が行われてきた。

歴史
平安時代末期の寿永2年(1183年)木曾義仲が越中国に侵攻を試みた。その際、この城の城主であった豪族、宮崎太郎長康と共に、以仁王の皇子北陸宮をこの城に迎え入れ、御所を作り侵攻の足がかりとしたといわれてきたが、学問的根拠はなく当時から城であったという確証はない。

戦国時代、椎名康胤が上杉氏から叛き武田氏についた際、戦闘の最前線となり、上杉軍が攻略した。その後、織田氏の侵攻で、佐々成政の富山城の支城となる。成政は家臣の丹羽権平を入れて守らせていたが、天正12年10月、上杉景勝の攻撃を受け、城兵300人が27人にまで討ち減らされる激戦の後、籠城六日目に開城した。

佐々成政には富山の役での降伏後、越中国のうち新川郡のみが安堵されたが、新川郡内にある白鳥城には前田利長の、宮崎城には上杉景勝の城将が、成政に備えるため引き続き置かれた。佐々の肥後移封と関ヶ原ののち前田氏が砺波・射水・婦負に加え、新川郡をも治めるようになると境関所が設けられ、宮崎城は廃城となったといわれている。

宮崎城の口コミ情報

まー蔵人頭様[2016年08月15日]
駐車場まで車一台分の幅の道路が多かったが誰ともすれ違わなかった。城山公園内は第二次大戦中、陸軍の電波技術研究所が設置されたため笹川口から本丸までの道を建設するため空堀を埋めた、と説明書きされている。また本丸跡の石垣も後世のもの。二の丸・三の丸に石塁が残存。また三の丸には北陸宮御墳墓と宮崎太郎長康公の供養塔がある。そこから七曲りを下りてくると中曲輪の堀切があるが藪になって見えない。曲輪の跡にも遊具類があるが人が訪れた形跡はなかった。

カーネル様[2016年01月11日]
あいの風とやま鉄道線 越中宮崎駅の改札をでて左(西)へ行きます

線路沿いに歩くと、正面に城山が見えます。まだ遠い

駅から500mくらいのところで左折して南下し、線路を超えて国道8号線に出ます
国道8号を西に歩くと、トンネルの手前で宮崎城への看板があります
あとは広々とした車道を黙々と歩けば鷲野平に出ます。車道なので傾斜が緩く車通りも皆無なので歩きやすいです

さらに車道を進むと広い駐車場に。城山は公園化してますが、城に関する案内看板が多数あり、また天守台跡から見る日本海の景色は絶景です

帰りは車道の分岐を西方面に下り、泊駅へ

山道だと疲れは出にくいのですが、ほぼ舗装路なので、時間以上のダメージを受けつつ、越中宮崎駅をでて2時間半で到着しました

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

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