勝山城(かつやまじょう)

勝山城の基本情報

通称・別名

落水城

所在地

新潟県糸魚川市大字青海

旧国名

越後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

治承4年(1180)頃

主な改修者

須賀盛能

主な城主

須賀氏(上杉氏家臣)

廃城年

慶長3年(1598)

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

根知城(新潟県糸魚川市)[10.8km]
不動山城(新潟県糸魚川市)[16.0km]
宮崎城(富山県下新川郡)[17.4km]
平倉城(長野県北安曇郡)[25.0km]
内山城(富山県黒部市)[26.2km]

勝山城の解説文

勝山城(かつやまじょう)は、日本に存在した城。現在の新潟県糸魚川市大字市振に在った。戦国時代、越後国の戦国大名上杉謙信・上杉景勝の二代を通じて越後/越中の国境の要であった。安土桃山時代には上杉景勝が、越中国から侵攻する織田信長の軍からの防衛線の要として整備したことで知られる。当初の名を落水(おちりみず)城と云う。

概要
城の歴史は古く、平安時代末期の治承・寿永の乱(源平合戦)時に源義仲の軍勢を阻止するべく、地元の豪族が築城したという謂がある。

戦国時代になると春日山城を本拠に越後を治めていた上杉謙信が越中からの侵攻を防御する要として落水城に家臣を配置し、防衛に当たらせた。謙信の死後、上杉景勝の代になると織田信長の家臣である佐々成政の軍が上杉領侵攻を狙い、魚津城松倉城を攻略して来た為、景勝は急遽、落水城を整備し、自国領の絶対国防線の最後の砦とした。その際に勝山城と名を改めたという。

1585年に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が佐々成政を滅ぼした際に上杉景勝に会談を申し入れた。これを受けて上杉景勝は腹心の直江兼続を伴い、勝山城で羽柴秀吉及びその家臣の石田三成と会談を行った。このときに羽柴と上杉が同盟を結ぶ合意がなされたとされ、後世にはこの会談を『落水盟約』と伝わっている。

上杉景勝が1598年に越後春日山から会津120万石へ転封となった際に廃城となった。現在は春日山神社より勧請した祠が山頂に残っているのみである。

地理
場所:新潟県親不知子不知県立自然公園(新潟県糸魚川市大字市振)
標高:328メートル

勝山城の口コミ情報

安田大宰少弐秀元様[2015年06月09日]
急勾配を40分ほど登山すれば本丸跡です。

お様[2013年05月19日]
高さは300mそこそこだけど、250mを過ぎた辺りから、かなり急になり、ロープを掴んで登らないといけなくなるので、軍手が必須。

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年06月11日]
糸魚川市街地から国道8号を富山方面へ。トンネル入口手前山側に登山口があり、説明板があります。同じトンネル入口手前の海側に駐車できるスペースがありますが、トンネルから突然車が現れるから気をつけて

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