清水の古屋敷
清水の古屋敷([虚空蔵山城 周辺城郭])
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清水の古屋敷の口コミ情報
2026年08月18日 内記かずりヾ(・ε・。)
清水の古屋敷は虚空蔵山城の西南西約6.1km、会田川南岸(左岸)、標高約933.4mの長峰山の北東側斜面、標高約675m地点の平場に立地したと推測される屋敷です。但し、屋敷地の正確な位置は不明であり、信濃のお城の神は一帯の3箇所を比定地として選んでいる(比定地①〜③)。ちなみにスポット登録位置は比定地①とした。
行き方は…Googleマップに位置登録されている真言宗の寺院、清水山「光久寺」を当座の目標に設定しよう。後はリア攻めマップを参照して屋敷地を特定する。車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。ちなみにお寺さんは無住だが、安置されている「木造日光菩薩立像」、「木造月光菩薩立像」は、鎌倉時代の善光寺仏師、妙海の作と伝わり、境内に建つ「光久寺薬師堂」は、元禄三年(西暦1690年)の建立であり、当時の建築様式の中では特に優れた堂として評価が高い。像と堂は何れも長野県の県宝、山中の寂れた寺院に3つのお宝が残っている事には驚かされた。
築かれた年代、お住まいになられていた方は不明だが、伝承によれば、筑摩郡会田郷に拠った会田小次郎、「明科町誌」では、筑摩郡塔ノ原に拠った塔原氏、もしくはその一族と推測される大足氏が、会田川の谷筋を守るために武士を置いた場所ではないかと言っている。該地の清水は大足氏が在名を取った大足の上段に位置する集落である事から、町誌の推測の方が正しいような気がする。
3箇所の比定地がある訳だが以下に順を追って説明していく。
比定地①は長峰山の北東側斜面中の平坦地、天平を経て長峰山山頂や光城山へと通じる山道が屋敷地の東側下段を通っている。北側谷側前面には小城沢(小次郎沢)の流れが小さな谷筋を形成しており、それなりの要害地形ではある。ごく最近まで無住の一般住宅が建っていたそうだが現在は跡形も無い。城郭遺構は確認出来ず、西側には急な斜面が迫っている事もあり武士の住まう場所としては少し手狭のように感じる。ちなみに此処には「上ノ段(うえんだ)」の小名が残っている。
比定地②は比定地①の北側下段に位置し、現在は、田地、空地、墓所等となっている。こちらの方も城郭遺構は確認出来ないが、個人的にはこの比定地②が真の屋敷地であったと考えている。ちなみに周囲への展望が開けており、狼煙や物見の場等としても有効であったろう。
比定地③は比定地②の東側下段に位置し、現在は、畑地、空地、店舗併用住宅等となっている。神は「…その気になればまとまりのある屋敷にはなる。」とフィーリングのみで仰られているが、誰がその気になれば纏まりが出て来るのかは判らない。但し、以上、3箇所の比定地の内、最も城郭遺構らしき地形を確認出来るのがこの比定地③であり、堀形を思わせるような部分も見られたりする。
ちなみに比定地③の店舗併用住宅は「ちいさいぱんや」ていう自家製パンの工房兼販売所だ。こんな所で商売して成り立つのかと思いきや、遠方からもリピーターが来て大人気らしい。又、少しびっくりしたんだけど、中塔城のリア攻めマップにある小田多井の丸山氏屋敷の跡地に自宅が建っているんだそう。特に狙った訳ではないんだろうけど羨まし過ぎるわ…
比定地②の田地の所有者の方の話しによれば、一帯は時代不明なるも上段の斜面の地すべりによって全て流された事があったらしい。地すべりが引き起こした土石流は山麓の会田川まで到達したそうだから、それぞれの比定地の地形が大きく変わっている可能性を残す。
※「木造日光菩薩立像」、「木造月光菩薩立像」〜拝観は月に一度、日程等の詳細は安曇野市のホームページを参照してくらさいな。
※「ちいさいぱんや」〜当日はラッキーな事に工房販売日だった。腹ぺこだったんで4個喰い…おいらは普段、米派閥に属しているんだけどガチに美味かったよ。ちなみに営業日はインスタ等で確認してね。
※写真①は要るのか知らんけど比定地①〜③を含む一帯の近景っす。
※写真②、③は比定地①を撮影した物っす。
※写真④、⑤は比定地②を撮影した物っす。
※写真⑥〜⑧は比定地③を撮影した物っす。写真⑥、画面中央に写るのが文中にある「ちいさいぱんや」さんだ。









