笹沢城(落水砦)
笹沢城(落水砦)([虚空蔵山城 周辺城郭])
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笹沢城(落水砦)の口コミ情報
2026年08月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
笹沢城(落水砦)は虚空蔵山城の南西約4.1km、会田川南岸(左岸)、標高718.6mの笹沢山山頂部を中心に立地する砦です。北麓の会田川からの比高は130m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい…なんだけど、そのままじゃ行けないので同じく位置登録がある「ISN:International School of Nagano. Elementary and Middle School」を当座の目標に設定しよう。この学校の東側から会田川を渡る道が付いており、行ける所までを車で進み、残りの道程を徒歩で登る。途中には信じられない事にログハウス的な宿泊施設が建っており(たぶん現在は使われていないようだ。)、少なくとも此処までは明瞭な道が付いている。
前述した道程は結構な急登に変わるが、登らずに下る行き方もある。城地は南方から連なる段丘台地が会田川に消える場所にあり、笹沢山は連続する台地上、斎田原から張り出す小峰である。従って台地縁上からお山に入れば登る必要が全く無い。Googleマップに位置登録されている「JA松本ハイランド 四賀支所 畜産団地 共同育離場」の最奥部から取り付けるが、特に案内等はされていないため城地の正確な位置を把握しておく必要がある。
築城年代は不明、築城者には筑摩郡会田御厨、後の会田郷に拠った虚空蔵山城城主、会田氏が推測されている。「東筑摩郡誌」には、「山上の平南北九間(約16.4m)、東西六間(約10.9m)、東南に堀切あり。会田小次郎の持城にして、笹沢監物之を守れりと言ひ伝ふ」とある。
伊勢内宮御師、宇治久家が、天正九年(西暦1581年)に記した「信濃国道者之御祓くばり日記」の「あいた」には、「同名(岩下)監物殿」の名が見られるが、郡誌の言う笹沢監物の事であろうか。在名を称する、会田(岩下)氏の一族等が城主であった可能性は極めて高いだろう。
城地の西麓、会田川の対岸には「大木戸」の小字を残している。明科口の関門が設けられていたのであろうか。此処から南方へ向けて山中を進めば刈谷原へと抜けるが、同地は滋野姓会田氏と本姓を同じくする刈谷原氏(家祖は共に鎌倉時代初期の海野氏当主、幸継の子、即ち兄弟である。)が拠った所だ。
信濃のお城の神が描いた縄張図では2郭で構成されているが単郭で差し支えない。主郭も狭小だがこれ以外は更に小さな腰郭だ。主郭はしっかりと削平され、郭上には旧五常小学校の生徒さん達が作成した木製の標柱が立っている。この砦の問題点は主郭からの南東尾根にあるだろう。縄張図に描かれる堀切は総計で6条を数えるのだが、確実にそうだと言えるものは主郭に最も近い二重堀切とその先にある堀切の内の2条のみではないだろうか。この山尾根の直下には横堀が見られるとの指摘もある訳だが、これも単なる地すべりの痕か崩落痕としか思えない。続く尾根先には後世の改変としか考えられない一貫性に欠ける堀底道が通っていたりもする。乱雑に土の造作が集中する部分でもあり、これ等の全てを城郭遺構として捉える事が極めて難しい。ちなみに上記事柄等によってネガティブな印象を与えてしまったのかもしれないが、砦としての全体像は好印象であり、コンパクトながらも謂わゆる山城然とした佇まいが個人的には大好きだ。
この手の小さな砦の魅力は、俯瞰的にその形状が捉え易い事にあるように思う。主郭から見通せる範囲が城域の全て、探索にあれこれと悩む必要も無い。おいらは愛すべき小品を常に求めている。信濃以外にはこんなのがあるよてのを城めぐで紹介してもらえたら御の字だ。
※同じ虚空蔵山城のリア攻めマップにある西ノ宮笹ヶ城と混同しないように。殆ど対面だしね。
※西麓は法音寺の旧地と伝わり、現在は小字としてその名を残している。
※この辺のお山は全てと言ってもよいぐらい倒木等で荒れている。
※斎田原〜「斎田」は神前に供える米を栽培する田を意味しているが…
※会田小次郎〜一般的には会田氏初代、政広の事だが、小次郎は代々の当主の名乗りであろう。ちなみに室町時代以降の同氏は、滋野嫡流家、海野氏の分流である岩下氏に取って変わっており、同族とはいえ別系統である。









