中ノ陣城
中ノ陣城([虚空蔵山城 周辺城郭])
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中ノ陣城の口コミ情報
2021年12月15日 RED副将軍
会田氏の居城🏯虚空蔵山に築かれた峯の城、秋吉砦、天狗山砦、現城の中心的役割を担ったとされます。
オススメ度 ★★★★⭐︎
真田氏と同族の会田海野氏により鎌倉時代に築城されたと伝わります。会田氏は信濃守護の小笠原氏に属していたが、1553年、武田軍に侵攻され、火攻めで降伏し武田氏の支配下に。武田氏の滅亡後は上杉景勝に臣従。
1582年に徳川家康の後ろ盾により筑摩郡を回復した小笠原貞慶に攻められ落城。会田氏滅亡後は、小笠原氏の支配となり、現在の石積みの遺構は小笠原氏による改修と考えられています。
見所
主郭の大土塁には平石積の石垣が巡る。平場群の水の手。斜面には水路状の石組や斜行する石垣を伴う幅の狭い段郭が10数段。城域の中核地とも言われてます。
クマの棲息域であり、熊鈴を激しく振りながら登城。振り過ぎで次の日は腕が筋肉痛でした😂車ごと獣害柵の向こう側に行く地域です🐻
⚠️虚空蔵山は信濃には他にも上田に2ヶ所、佐久に1ヶ所ありますのでご注意下さい!ここで紹介しているのは松本市の虚空蔵山城です。
2020年04月24日 内記かずりヾ(・ε・。)
中ノ陣城は秋吉城の西側に存する谷間の平場群の上端を抜ける感じで5分位進むと到着します。虚空蔵山の東西に延びる山頂尾根から南西へ延びる尾根上、標高約940mのピークの一つに主郭が存します。秋吉城と共に谷間の平場群を東西から囲むように存し、3つのお城を1つとして考えるとよいかもしれません。
虚空蔵山城は武田氏の安曇、筑摩両郡侵攻の際、刈谷原城、塔ノ原城が落城した翌日、虚空蔵山山麓が放火され、これにより城主の岩下会田氏は武田氏に従う事となりました。以後、天正壬午の乱まで岩下会田氏はこの地に在地していましたが、天正壬午の乱の際の一時期、この地域は小笠原氏と上杉氏の最前線となり、小笠原氏に従ってはいたものの上杉氏への内通を疑われて松本城で謀殺されました。以後、小笠原貞慶の讃岐移封まで虚空蔵山城は小笠原氏の支配領域だったらしく、城砦群の一部はその際に改修を受けたと考えられているようです。
中ノ陣城はこの城砦群の中で最も小笠原ブランドを感じさせてくれるお城です。主郭北側山側には高土塁が見られ、主郭南側の切岸には石積みが確認出来ます。崩落石も考えると主郭部は結構石積みだらけだったかもしれません。又、主郭北側山側背後は往時は堀切だったと思うんですが今は土橋状の平場になっています。
虚空蔵山城の城砦群の中で見てて最も楽しいお城です。虚空蔵山城に来る事がありましたら此処だけは見逃さないようにして下さい。ちなみにこのお城の主郭西側から尾根伝いに南西へ下って行くと南西尾根ノ城に至ります。