くねの内館(城が平)

くねの内館(城が平)([小岩嶽城  周辺城郭])

小岩嶽城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「くねの内館(城が平)」の地図・口コミがご覧頂けます。

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くねの内館(城が平)の口コミ情報

2026年04月04日 内記かずりヾ(・ε・。)


あぁ…またこの季節がやって来た…

そう、本来なら無骨な輪郭な筈の城郭が、咲き乱れる桜でぼやけまくるあの忌まわしい春がやって来たのだ。探索者にとっては常に邪魔なものでしかない。木を植えるなら食糧にでもなる松の木を植えてくり。どうせだったら逆茂木と竹束を並べ連ねて来場者を阻害する、ディスコミュニケーションな仕様を希望する。いっその事、風雲!たけし城(所在地不明、未見なんでアテンドしてくりる城友さんを募集してやす。)みたいに突破して来た者だけが天守に上がれる感ぢ?にしたらどうだろう。オーバーツーリズムなんかも防げるて思うしねぇ…そう言えば、最近じゃ山城なんかにも桜を植えまくってる不届きな所が増えてきているらしいね…藪があって当たり前の山中の要害にひらひらしたもんなんか必要無いわ。そんなこんなでストイックなおいらは居館跡のリア攻めに精を出す事にする。此処なら桜の所為でリア攻めに支障を来す事もないだろう。

くねの内館(城が平)は小岩嶽城の西方約7.7km、犀川西岸(左岸)、高瀬川東岸(左岸)、両川の合流点から北方へ伸びる山脈中の一山、標高649.9mの押野山の東方裾野、標高約607m地点の丘陵台地上平場に立地した居館です。該地は平坦地ではあるが周囲よりも一段低い完全な窪地でもある。

築かれた年代、お住まいになられていた方は不明です。該地の安曇郡塩川原村は、江戸時代には松本藩領池田組に属していたが、中世には同郡大穴庄を構成する一村であった。天正検地によれば、村高は七十六石八斗四升九合だがどうやら高付けされていたらしい。同庄は「仁科之内」であり、館の主には、仁科氏の一族、もしくは被官衆が推測出来るが、時代における領主層等の変遷を考慮する必要がある。

「くねの内」ですわ…中世の城館跡を示唆する一般的な「堀の内」でもない…「くね」を辞書で調べたら、「竹などを編んだ垣根。また、いけがき。」て事らしい。史料、伝承等を欠き詳細は全く不明、むしろはっきりしていたらびっくりするわ…

居館の現況は…畑地、耕作放棄地、雑木林等だが、畑地を除けば殆ど原野に還っている。前述のとおり居館敷地範囲の全ては窪地であり、居館てよりは領内郷民等の逃げ込み城てのが適当な印象だ。確かに周囲から隔絶されているだけあって隠れるのには好都合だが、それだけに展望はゼロに等しく何も見えない。城郭遺構がどうだとかのレベルには全くなく、訪ねた人を困惑させるのには十分過ぎるものとなっている。ちなみに居館地に残る小名は、「くねの内」、もしくは「城が平」だが、付近には、「くねの外」、「たて」、「のぞき」、「すぐ坂」、「じん平山」等の小名も残っていたそうで、この窪地に城館の類いが存在したのだけは確実なところだ。

近くを通ったんで再訪してみたんだけど、実は一度位置の特定に失敗している物件でもある。おいらがよく参考にしている「長野県の歴史を探し求めて」て素晴らしいブログがあるんだけど、こりに掲載さりた位置図と、「信濃の山城と館7、安曇・木曽編」に掲載さりた位置図との間に相違があって現地ですっかり悩んでしまい、結局諦めてしまった過去がある。初訪問時は神本の位置図を頼りにしたんだけど、本当に此処が居館地なのかを確信するのに結構な時間を要してしまった。後背地の山脈は山上までかなりの範囲で耕作されており、周辺はこりに伴う農道と林道が縦横無尽に交錯する場所でもある。国土地理院地図ベースで道筋を逐一確認しないととんでもない所に迷い込んだりする。何処でもジモティーにしか判らない場所てあるて思うんだけど、くねの内館は正にそんな場所だった。

※「くねの内」〜「城が平」の小名も残る事から純粋な居館跡ではないのかもしれない。

※風雲!たけし城〜アプリの未登録城だが、城郭遺構としては全国で唯一とも言われる水堀(竜神池)の飛び石で有名らしい。第一砦と第二砦(後には城氏の改修を受けて玉RUN砦と呼ばれる事になる。)、悪魔の館等で構成される平場の城砦群だ。城名は城主の名(本姓は北野氏、武とも伝わり、実兄には大がいる。)から取られたとも云われ、赤鼻の家老、(石倉)三太夫の武名は全国のお茶の間にも轟いた。ちなみに城主は婆娑羅であり悪党でもあったらしく、北野衆を引率して金曜日別当政所を襲い謹慎していた時期がある。

※風雲!たけし城〜全国屈指の要害堅固を謳われ、近隣の谷城城主、谷隼人(隼人正であろうか。)との取り合いの舞台となったが、3年弱、134回に及んだ攻城戦における防御率は実に94.1%だったらしい。ちなみに自分はまだ産まれていなかったが、かつて朋輩と共に陣借り(応募)して功名を立てようとした事がある。

※城氏〜越後平氏の城氏であろうか、実名は「みちる」とも伝わる。

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