構えの墓館
構えの墓館([小岩嶽城 周辺城郭])
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構えの墓館の口コミ情報
2022年08月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
構えの墓館は小岩嶽城の南東約9.4km、標高約550mの平野部平場に存した居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。市街地ではありますが車はそこら辺に捨ててもOK♪レベルです。時間も取りませんし…
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは成相氏に関係する者と推測されているそうです。成相氏については同じ小岩嶽城のリア攻めマップにある成相氏館を参照して下さい。居館は同じ小岩嶽城のリア攻めマップにある法蔵寺館を堀の内とする出構えとされていますので、武田氏が棒道(武田氏が整備したとされる軍道っす。)沿いに築いたものとする説も正しいんでしょう。
法蔵寺館の口コミでこの出構えを「無視しても大丈夫です。」と書きましたが、信濃の城館全制覇を目指すおいらは無視しないっ!ただ写真見て頂けたら解ると思いますが、ノーマルな方は行ってもしょうもないので悪しからず…標柱が立っているのがせめてもの救いかと…
居館の現況は全てが正しく墓地となっています。墓地の全てが居館の敷地を示していると言っても過言じゃないです。出構えとは言いましたが、実際は周囲に堀を巡らせた屋敷割りで守る意識は希薄な印象、大体、武田氏時代に築かれた説を採るならば、安定した支配領域である当地の守りを南東方向正面に厳重にする必要が一切無い。もしそう考えるなら法蔵寺館は成相氏の居館等ではなく、純粋に棒道沿いに築かれた武田氏の中継点、安曇郡内における宿城の機能を有していたようにも思えます。少なくとも交通の要衝であった事は間違い無いしね。ちなみに堀はもやい堰て言う堰から導水されていたようで、敷地の東辺、西辺には堀形が残っているらしいけど現地ではちょと難しい…南辺、北辺は舗装路を堀跡と考えればすっきりするかな。
リア攻め当日は墓参に来ている家族連れが居館を占拠していて写真撮影待ちの状態に…墓参りの方が正しく、此処をリア攻めする方がおかしいとは自分でも思います。