古厩氏館(堀屋敷)
古厩氏館(堀屋敷)([小岩嶽城 周辺城郭])
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古厩氏館(堀屋敷)の口コミ情報
2025年08月19日 内記かずりヾ(・ε・。)
古厩氏館(堀屋敷)は小岩嶽城の東北東約3.6km、中房川南岸(右岸)、穂高川西岸(右岸)、標高約557mの段丘台地上平場に立地した居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。該地は古厩本郷交差点に面しているので位置の特定は容易だ。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは古厩氏です。同氏については同じ小岩嶽城のリア攻めマップにある古厩城も併せて参照して下さい。以下はその続きである。
古厩氏は、天正壬午の乱の際には府中を回復した小笠原氏に従っている。天正十年(西暦1582年)七月十六日、上杉氏の後楯を得て府中にあった小笠原洞雪斎(貞種、小笠原長棟の子、後に見える貞慶の叔父に当たる。)を逐った小笠原貞慶は、安曇、筑摩両郡の在地勢力の支持を以て勢力の拡大に傾注していく。古厩氏もそうした背景にあった安曇郡の在地土豪の一氏であり、早くも同年八月には日岐城(青柳城のリア攻めマップにスポット登録している。)に攻め寄せる小笠原勢の一手の中に古厩氏の名が見られる。
按天正十(西暦1582年)壬午年也、八月九日、塔原(海野)三河守、犬飼半左衛門(久知)宛、小笠原貞慶書状案には、「…然バ古厩、渋田見談合之子細候而、今夜穂高ニ陣取由、只今申越候、…」とあり、古厩、渋田見(何れも仁科氏の分流である。)が戦に先立ち穂高に陣取した事が判る。
「岩岡家記」には日岐城攻めの詳細が書かれており、文中には「古厩何右衛門」なる人物が登場する。小笠原勢は城攻めに難儀したようだが、犀川に架かる「とわりおとし橋」の詰で日岐衆を追い崩し、川を越せとの貞慶の下知で惣軍が乗り入れたところ人馬が溢れ返り、これを見て引き返した岩波平左衛門、岩岡織部(家記の作者である。)が貞慶の御座する中瀬に乗り付け、古厩何右衛門、今井小兵衛が歩立にて同所へ現れた際、平左衛門は矢傷を負い、織部は馬の口取を鉄砲で撃たれたとの記述がある。
按天正十一年(西暦1583年)癸未年也、二月十四日、犬かい殿(犬甘久知)宛、小笠原貞慶書状案には、「さくやねの刻、當城(松本城)において、古まや(古厩因幡守盛勝)成敗候、逆心必定まま如比候、以上上下廿人あまりうちとり候、則仁科へをのをのさしつかはし、道心、今井四郎次郎、両人打捕候、因幡守子息(古厩平三、盛時とも。)はかけをち候得共、定而たつね出候へく候、其外意逆之者共成敗申付候、就之、其もと用心尚以肝要候、よろつ仕置申付間、廿日比まては、はんかい(番替)こし申ましく候、仁科之仕置相すみ候はば、其内にもはんかいこし候へく候、此よしなりあい(成相)藤兵へ、いのすけ其外いつれへも、委傳達肝要にて候、恐々謹言、」とあり、小笠原貞慶は、日岐城に在番する犬甘久知に、昨夜(二月十三日)、子の刻(23時00分〜1時00分の間)、松本城において逆心が必定となった古厩因幡守盛勝を成敗し、上下廿人余りを討ち取り、仁科(古厩郷)へ各々を差し遣わし、道心、今井四郎次郎の両人を打ち捕らえた事を報せ、盛勝の子息は闕け落ちたが必ず探し出すとも言っている。日岐城の落城から半年を経ずして在地土豪としての古厩氏は滅亡した訳だ。
居館の現況は…畑地、空地、一般住宅地等となっており、前述したとおり古厩本郷交差点に面している他、東西に走る有明山通りによって僅かながらに分断されている。居館敷地範囲が明確ではないが、そのまま畑地に変貌した若干の堀形、屋敷林等によってその概ねは想像出来るだろう。ちなみに古厩城の口コミでも書いたが、該地は曹洞宗の寺院、梅林山正真院の旧地でもある。
古厩氏は一族、一党が小笠原氏によって誅殺されたが、時を殆ど同じくして、同様に上杉氏に通じた事を疑われた赤澤式部少輔は詰腹を切らされ、塔原(海野)三河守幸貞も誘殺されている。何れも日岐城攻め等において軍忠のある者達だが、実際には上杉氏に通じた事を理由とせず、過去の怨恨によるものだとの見方が多勢を占めている。小笠原貞慶が後世の人達から殆ど好かれない一因でもある訳だが、徒手空拳の状況から府中の回復を成し遂げたその手腕は高く評価されるべきであろう。ちなみに当時の人からも同名は嫌われていたようで、アプリの登録城、青柳城城主、青柳伊勢守頼長は小笠原氏に従いながらも諏訪社上社に貞慶の調伏(呪詛)を依頼しており、後には頼長も松本城城内で誘殺される事となる。
※古厩何右衛門〜誅された古厩因幡守盛勝の事であろうか。今井小兵衛は古厩氏の一族、もしくは郎党であろう。
※在地土豪としての古厩氏は滅亡した〜盛勝の次男等は後に小笠原氏に出仕している。
※安曇野は道端のお花がよく手入れされている。ほっこりするなぁ…