米沢城(よねざわじょう)

米沢城の基本情報

通称・別名

舞鶴城、松ヶ岬城

所在地

山形県米沢市丸の内1

旧国名

羽前国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

御三階櫓[3重3層/1613年築/破却]

築城主

長井時広?

築城年

暦仁元年(1238)?

主な改修者

伊達晴宗、蒲生郷安、上杉景勝

主な城主

長井氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、土塁、横堀(水堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

舘山城(山形県米沢市)[3.7km]
洲島城(山形県東置賜郡)[11.9km]
小松城(山形県東置賜郡)[12.3km]
萩生城(山形県西置賜郡)[19.9km]
桧原城(福島県耶麻郡)[20.2km]

米沢城の解説文

米沢城(よねざわじょう)は、山形県米沢市丸の内(出羽国置賜郡)にあった中世から近世にかけての日本の城(平城)である。江戸時代は米沢藩上杉氏の藩庁および、二の丸に米沢新田藩の藩庁が置かれていた。

概要
城は米沢市街地のほぼ中心に位置する。戦国時代後期には伊達氏の本拠地が置かれ、伊達政宗の出生した城でもある。江戸時代には米沢藩の藩庁が置かれて上杉景勝・上杉鷹山などの歴代藩主が居住した。平城で、本丸・二の丸・三の丸からなる輪郭式縄張りの城である。10基の櫓と17棟の門が開かれた。上杉氏築城当時30万石の大名の居城であって、石垣や天守は構えられず、土塁を築き本丸に2基の三階櫓を建てて天守の代用としていた。

現在、本丸跡は上杉神社の境内となっており、また、二の丸跡には米沢市上杉記念館(旧・上杉伯爵邸)がある。

また米沢図書館には享保10年(1725年)と文化8年(1811年)の米沢城城下絵図が所蔵されている。

歴史・沿革
鎌倉・室町・安土桃山時代
米沢城が最初に築かれたのは、鎌倉時代中期の暦仁元年(1238年)と伝えられる。鎌倉幕府の重臣・大江広元の次男・長井時広が出羽国置賜郡長井郷の地頭として赴任した際に築城されたと推定されているが、これを実証する史料や遺構は確認されていない。時広は赴任地の地名から長井姓を名乗った。以後、長井氏の支配が150年近く続いた。

8代広房は室町時代初期(天授6年(1380年)、応永9年(1403年)、応永20年(1413年)などの説がある。)に、伊達宗遠に侵略されこの地を追われた。以後、安土桃山時代までここは伊達氏の支配下に入った。天文17年(1548年)伊達稙宗・晴宗父子の対立である天文の乱を経て、晴宗は本拠地を桑折西山城より米沢城に移した。米沢に城下町が成立したのは伊達時代と考えられる。

天正17年(1589年)政宗は蘆名義広を破り、蘆名氏を滅亡させると黒川城に本拠を移し、晴宗の弟にあたる宗澄ついで宗清を城代に据えた。しかし、豊臣秀吉はこの会津攻略を認めず政宗から召し上げたため、翌年には本拠を米沢に戻すことになる。天正19年(1591年)政宗は豊臣秀吉の命により岩出山城に移った。

置賜郡は伊達氏代わって会津に封ぜられた蒲生氏郷の支配するところとなり、重臣・蒲生郷安が米沢城主となっ。郷安はこの時、城の改修を行っている。文禄年中に白子神社が米沢城鎮守となる。慶長2年(1597年)氏郷の子、秀行は下野国宇都宮に移封となり、会津には越後国より120万石で上杉景勝が入封し、米沢城主には重臣・直江兼続を置いた。

江戸時代
慶長5年(1600年)秀吉の死後、豊臣氏への恩義から徳川家康の専横を「直江状」という文書によって弾劾し徳川氏への宣戦布告に及んだ。結果的に西軍方となった上杉氏は、関ヶ原の戦いには参戦していないが西軍の敗戦により、置賜地方と陸奥国伊達郡・信夫郡30万石に減封された。以後、明治維新まで米沢藩上杉氏の居城となった。...

米沢城の口コミ情報

しろ様[2017年05月08日]
米沢城 近くに上杉家の御霊廟があり、上杉謙信公や上杉鷹山公の霊廟がずらりと一堂に会しています。また、林泉寺に直江兼続夫妻のお墓もあり、珍しく夫婦で横に並んで建てられており、生前どれだけ想いあっていたかを感じることができます。また、同お寺にには上杉家ゆかりの女性たちのお墓が集められています。仙桃院様のお墓もこちらにございます。米沢藩のお殿様方は女性を大切にされていたのだと感じました。また、鷹山公お手植えの桜もあり、直江兼続夫妻のお墓の近くにも立派な桜があり、見応えがありました。何より嬉しいのが、米沢城、御霊廟、林泉寺全て駐車場が無料で、本当に巡りやすかったです。御朱印を集めておられる方は三ヶ所全ていただくことができます。

まさ大膳大夫猛虎 様[2015年12月05日]
米沢城訪問時の失敗談です。奥羽本線が、4:30分位電車が無い時間帯が有ります。
時刻表の調査不足による失敗だが、その時間で付近の史跡や沿線の城攻略すれば良かったと、悔やまれる。本線で有っても、新幹線開通後は、ローカル線同様の時刻表になってます。注意を。

まさ大膳大夫猛虎 様[2015年10月29日]
米沢駅降りると、米沢牛と米沢城の看板が、目につく。御飯や麺どれにも牛ばかり、鳥は見掛けなかったかも?城へは、徒歩30分、バス10分。上杉神社には上杉家縁の武将銅像が、5個位有ったかも?
【為せばな~】の句に感動したケネディの説明文も、印象的です。

安田大宰少弐秀俊様[2015年09月22日]
武将像・城跡(上杉神社)に 上杉謙信、上杉景勝&直江兼続、上杉鷹山の3つがあります

金沢流北条掃部頭しんのすけ様[2013年09月21日]
上杉神社に併設している上杉博物館には織田信長公が上杉謙信公にプレゼントした「洛中洛外図屏風」のレプリカが展示してます!! 尚博物館内で鷹山公のミニシアターも上映してました♪
博物館は大人400円です!!

奥州王毘沙門天山城守乱丸様[2012年06月10日]
上杉神社から南の方へ、車で約15分のところに、直江兼続公ゆかりの龍師火帝の碑あり、その近くにトトロの森あり!
まさに森全体がトトロです!

タロウ様[2012年05月02日]
明日は川中島合戦です
午前中は甲冑姿の上杉軍が町を歩きます
午後の河川敷での合戦は陣形や高坂隊など見所一杯です

奥州王毘沙門天山城守乱丸様[2012年04月01日]
毎年5月の連休中に上杉祭りが開催されます!
4月29日~5月3日までで武帝式、武者行列、メインが川中島の模擬戦などのお祭りです(^_^)ノ

磐城守景綱様[2010年08月23日]
〜訂正とお詫び〜

以前、米沢城の周辺情報として『堂森に前田慶次の供養搭がある』と表記したつもりが誤って『お墓がある』と表記してしまっていました。
情報を見て頂いた方には大変ご迷惑をおかけ致しました。心よりお詫び申し上げます。
また、間違いに気付き御指摘下さった方に心より感謝致します。

磐城守景綱様[2010年06月09日]
米沢城周辺の情報です。
敷地内の稽照殿に直江兼続の愛の甲冑を展示。南約1㎞県道152の林泉寺には兼続のお墓、西約1㎞県道152に上杉家御廟所。南約5㎞は直江石堤、南東約3㎞国道121付近の宮坂考古館は前田慶次の甲冑を展示。東約5㎞堂森の善光寺は前田慶次のお墓があります。

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