平戸城(ひらどじょう)
平戸城の基本情報
通称・別名
- 亀岡城、亀甲城、(日之嶽城、日の岳城)
所在地
- 長崎県平戸市岩ノ上町1473
旧国名
- 肥前国
分類・構造
- 梯郭式平山城
天守構造
- 乾櫓[3重3階/1707年築/破却(廃城令)]、複合式層塔型[3重5階/1962年築/RC造模擬]
築城主
- 松浦鎮信
築城年
- 慶長4年(1599)
主な改修者
- 松浦棟
主な城主
- 松浦氏
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 櫓、門、石垣、曲輪、横堀(空堀)
指定文化財
- 県史跡(亀岡城跡)
再建造物
- 模擬天守、櫓、石碑、説明板
周辺の城
-
平戸御館(長崎県平戸市)[0.7km]
籠手田城(長崎県平戸市)[2.8km]
箕坪城(長崎県平戸市)[7.2km]
深江氏館(長崎県佐世保市)[9.4km]
大島城(長崎県平戸市)[12.1km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- 90 平戸城
設置場所
- 平戸城現天守閣[地図]
平戸城の解説文
[引用元:Wikipedia「平戸城」の項目]平戸城(ひらどじょう)は、長崎県平戸市にあった城。江戸時代には平戸藩松浦氏の居城であった。別名は亀岡城(かめおかじょう)、亀甲城、日之嶽城。
【概要】
平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。
三方を海に囲まれ天然の堀としている。丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配された梯郭式の平山城である。
最初は安土桃山時代の末期に松浦鎮信(法印)によって築かれたが破却され、江戸時代中期になって再建された。再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りがなされた。平城の赤穂城と並んで、平山城では唯一の山鹿流による城郭である。
【歴史・沿革】
〜安土桃山時代・江戸時代〜
下松浦党の棟梁である松浦鎮信(法印)は、豊臣秀吉の九州平定に加わり松浦郡と壱岐の所領を安堵された。文禄・慶長の役の後、慶長4年(1599年)現在の城地である日之嶽に最初の築城を開始した(現・平戸市岩の上町)。しかし、完成も間近となった慶長18年(1613年)自ら火を放ち城を破却した。理由としては、豊臣氏と親交が厚かったことによる江戸幕府の嫌疑から逃れるためとも、最愛の嗣子、久信の死によるものともいわれている。
鎮信は、平戸港を挟んだ北側に「中の館」と呼ばれる居館を構え、平戸藩の藩庁とした(現・平戸市鏡川町)。ここには明治時代に松浦氏の私邸が築かれた。現在は松浦史料博物館となっている。
元禄15年(1702年)4代藩主松浦鎮信(天祥)は幕府に築城を願い出て、翌年の元禄16年(1703年)許可された。江戸時代中期に築城が裁可されたのは異例である。これは徳川家との姻戚関係と東シナ海警備の必要性によるものと言われる。
鎮信(天祥)は山鹿素行の弟子であり、素行とともに全国を歩き資料集めを行い山鹿流軍学に基づく縄張りがなされた。素行を平戸に迎えたいと希望したが叶わず、実子の山鹿高基・義昌の兄弟が藩士として迎えられた。実際の築城指導は山鹿義昌によってなされた。
5代藩主松浦棟によって元禄17年(1704年)2月に着工され、宝永4年(1707年)にほぼ完成した。天守は上げられず、二の丸に建てた3重3階の乾櫓をその代用としていた。
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平戸城の口コミ情報
京急左京大夫ドレミファ♫様[2018年09月01日]
【アクセス】
予定では松浦鉄道・たびら平戸口駅からレンタサイクルだったのですが、佐世保で昼食難民となって予定の列車に乗れず。
駅内の観光案内所でバスでのアクセス方法を聞き、西肥バス・平戸行きで約90分、猶興館(ゆうこうかん)高校前で下車。
終点の平戸桟橋や市役所前での下車よりも、城攻め感を味わえます。
【スタンプ】
天守1Fにて。
入城料はJAF割引で1割引。
【見どころ】
亀岡神社の参道となっている登城路の石垣や枡形、模擬天守等からの絶景。
ただ、遠目からの見てくれを重視した結果、城内はニセモノ感に満ちていて、城としての魅力には乏しいです。
【その他】
佐世保から公共交通機関で目指す場合は、①松浦鉄道、②バス直の二本立てで計画するのがお勧めです。
バスも松浦鉄道も1時間に1本程だし、たびら平戸口駅からのバスは時刻表を調べるのが困難!
また、路線バスに90分の乗車はなかなかの苦痛です。
このように100名城でも屈指のアクセスの悪さなので、本来は平戸に腰を落ち着けて、城は平戸観光の一部というめぐり方が理想でしょう。
治部卿織田晃司様[2017年05月09日]
駐車場はありますが、一方通行もありますので気をつけて下さい。
北虎口門が唯一の現存木造遺構。そこから先(天守及び櫓)は有料になります。
狸櫓というかわいいネーミングの平櫓があります。
平戸城遠望は対岸の平戸港からの眺めがいいですよ。
以前は有料だった平戸大橋と生月大橋が無料になってて、アクセスも便利になった2つの橋を撮影するのもいいですよ。
カーネル様[2016年05月09日]
松浦鉄道 たびら平戸口駅から
城は駅の西にありますが、海があるので迂回しないといけません。駅から国道204号にでて南下
カメラの望遠を最大したら天守が遠くに見えます。まだまだ遠い
国道204号から平戸大橋入口信号を右折して平戸大橋を渡ります
橋は歩道も完備ですが、高所恐怖症でカナヅチの自分は、怖いので早足で渡りました
北上を続けると、小さかった天守がどんどん大きくなります
50分くらいで猶興館高校入口バス停先の歩道橋のある交差点で右折して亀岡神社を目指します
参道は石垣が迫力で二の大手門と思われる場所は虎口になってます。亀岡神社に参拝してから天守へ
櫓も石垣も山門も天守もあり、見どころたくさんですよ
平戸口駅まで往復して2時間45分でした
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
荒 心 様[2014年12月07日]
訂正です。
耐震工事のためです。
荒 心 様[2014年12月06日]
平戸城閉館中のお知らせです。
本年12月1日から来年2月28日まで耐震工場のため閉館中です。
尚、日本百名城スタンプは観光協会(レストハウス)にて押印できるとのことです。
閉館中とはいえ本丸天守以外の櫓等々はご覧いただけますので皆さんどうぞ平戸へお越しくださいませませ〜♪
アヴァンシアN.様[2013年10月20日]
日本100名城の名に相応しく平戸の松浦家は平安末期1220年頃に平戸港の北側に御館山城を築城して以来、廃藩置県まで約650年間この平戸地方を統治しています。
秀吉公と親交が深かった第26代の松浦鎮信公は関ヶ原の戦いに参戦しなかった事を理由に家康公に疑われた為に関ヶ原の前年に築城させていた「日の岳城」を敢えて、焼却処分として平戸の民と61,700石を守った名君です。
尚、近隣の田平地区から平戸港を望むと、美しい平戸城や聖ザビエル記念教会、平戸オランダ商館が一望出来ます。
平戸城へのアクセスは、九州の玄関口博多駅からJR、高速バス、マイカーなど何れも便利でとても風光明媚な城下町です。
是非、松浦家約800年の足音が味わえる平戸へ!
大宰少弐ためぞう様[2012年02月12日]
城壁から櫓に続く流れが美しいと思いました。二の丸の公園には、像や碑がこれでもかと設置されてます。
tomm加賀守様[2010年07月09日]
港から眺める城も風情があっていいですよ。
また「カスドース」は食感がたまらなく美味です!