籠手田城(こてだじょう)
籠手田城の基本情報
通称・別名
- 城山城
所在地
- 長崎県平戸市田平町山内免
旧国名
- 肥前国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 籠手田栄
築城年
- 文明年間(1469〜1487)
主な改修者
- -
主な城主
- 籠手田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
平戸城(長崎県平戸市)[2.8km]
平戸御館(長崎県平戸市)[3.5km]
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籠手田城の口コミ情報
2024年10月17日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
里城[籠手田城 周辺城郭]
長崎県平戸市の下里にある【里城】♪平戸街道を見渡せる、丘陵地に立地した里城です♪釜田川河口付近の東岸に立地する場所で、釜田川は内海である釜田湾に流れ出し、外海へと繋がる沿岸監視も出来る場所となります♪現在、主郭部にお住まいの方がいらっしゃいますが、一声かけてwell come見学可能となっています♪
別名を田平城と呼ぶこの城郭は、鎌倉時代初期♪伊万里の峯邑から峯五郎披という人物が田平に移り、里城を整備し、峯五郎披の3男・弥四郎馴と共に、田原里の開拓を行いました♪峯五郎披が平戸松浦氏の始祖となります♪平安末期以降から、一族野党で田平に勢力を奮っています♪峯五郎披は文治元年(1185年)源頼朝の家臣となり、建久3年御厨荘地頭職となり、田平町の北部里田原の地に移り、里城もこの頃に築城されたと云われています♪また、源五郎披の子・源持、その弟・源弥四郎馴に至るまで、田平は峯氏の拠点となります♪
延徳元年(1489年)、松浦一族である松浦弘定は田平里城主である田平峯昌を、里城で攻め破っています。平戸松浦弘定は、田平里城主である田平峯昌の兄であり、兄弟で家督を継ぐか?お家騒動による争いです(平戸田平合戦です)。
この平戸田平合戦の際、平戸松浦弘定は大島胤政を副将として、この里城を攻撃しました。田平峯昌は18日間籠城しましたが、ついに開城となり、この地は平戸領となっています(平戸郷土誌より)。
田平方には援軍として島原・有馬氏の大軍が来ていて、陣笠城に布陣しました。この勢いは平戸瀬戸を超えて、勝尾嶽城や箕坪城まで攻め入ったと伝えられています。結果的に、弟である田平峯昌は兄である松浦弘定と和睦し、松浦氏に帰属しました。
この戦いの際に有馬貴純は、大村純忠、西郷氏、志佐氏松浦定、佐々刑部を頼み、攻め込んでいます。見所は空堀、石積みで素晴らしく残っていました♪
2022年05月06日 MACHT征夷大将軍
籠手田城
どこからアプローチしていいのかよくわからなかったのでとりあえず西側から城内を目指してみました。民家ではなさそうなところを通っていくと松浦鉄道の線路あり。柵等がなかったので線路を渡ってさらに先に進み畑の間を通って行き着いた先が写真のような竹藪でした。ここからは簡単に入れそうなところがなかったので先に進むのは断念。
2019年06月15日 笑門来猫
籠手田城
世界遺産の春日集落。領主の籠手田安経と共に領民は一斉にキリスト教に改宗。その後の禁教令により迫害を受けながらも、信仰を代々受け継いだ春日集落は、潜伏キリシタンの地として世界遺産に。
2019年06月15日 笑門来猫
籠手田城
松浦隆信の有力家臣、籠手田氏の城跡。小高い丘にあり、石垣が垣間見える。しかし中は藪すごくて訳わからん。