箕坪城(みのつぼじょう)

箕坪城の基本情報

通称・別名

蓑坪城

所在地

長崎県平戸市主師町

旧国名

肥前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

15世紀後期

主な改修者

主な城主

松浦氏

廃城年

遺構

曲輪、石積、堀切

指定文化財

再建造物

周辺の城

平戸御館(長崎県平戸市)[6.9km]
平戸城(長崎県平戸市)[7.2km]
籠手田城(長崎県平戸市)[9.7km]
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箕坪城の口コミ情報

2023年10月21日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
春日集落案内拠点施設かたりな[箕坪城  碑・説明板]



長崎県の平戸市にある【春日集落と中ノ江島】♪本日は城郭ではありません♪長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 として2018年に世界遺産として登録されています♪

平戸にキリスト教が広まったのは、天文19年(1550年)♪往時の平戸の領主である松浦隆信は南蛮貿易の為にキリスト教を庇護しています♪フランシスコ・ザビエルを中心に九州で行われた、この布教活動により広まったキリスト教です♪この、春日集落のある春日は松浦氏の家臣でキリシタンになっている籠手田安昌・籠手田安経の所領となっていました♪弘治4年 (1558年)から宣教師ガスパル・ヴィレラによって布教活動がスタートしています✝️永禄4年 (1561年)にはルイス・デ・アルメイダが春日集落を訪れ教会堂を建立していますが、今はありません☆1587年、豊臣秀吉が発したバテレン追放令により、キリシタンは圧迫を受けます☆バテレン追放令はコノ春日集落にも波及していて、慶長4年(1599年)キリシタン籠手田一族は長崎に追放され、教会堂は失われました☆
因みにルイス・デ・アルメイダは同時に医学教育も開始し医師の養成を行っています♪

更に歴史は動き慶長17年 (1612年)に徳川幕府は禁教令を発布し、キリシタン信者は、更に肩身が狭くなり…圧迫、迫害へと進んでいく訳ですが…。。それでも…キリシタン信者は、ヒッソリと信仰を続けていくのです☆

潜伏しながら生きていくキリシタンですが、寛永14年(1637年)天草四郎時貞を中心に原城に籠った島原の乱が発生☆此れにより弾圧は始まり…コンフラリアは地下組織化して仏教・神道や土着の民間信仰を装い、納戸神やマリア観音を奉じ、神棚にはロザリオを隠すなど偽装棄教を共謀します☆(※コンフラリアとはある一定の活動や信心を行う信者集団という意味です✨)
この春日集落では、集落内の丸尾様や背後に聳える安満岳を遥拝の対象とする自然崇拝の要素も採り入れ、オラショを秘かに唱えるなどし、春日集落ならではのキリスト教、信仰を行いました☆
古くは畑作と漁労が営まれていましたが、江戸時代に年貢徴収目的で平戸藩が田圃整備を奨励した事で、棚田が形成されています♪キリシタンが造った棚田は今も生きています♪

春日集落のキリシタンが崇拝した丸尾様は丸尾山の事で、安満山から伸びる二筋の尾根に挟まれた、長さ1キロほどの谷状の地形上に立地する小山です☆この丸尾様の頂上には祠が建てられ集落のキリスト聖地として維持されました♪更にこちらからはキリシタン墓地が出てきています♪丸尾様からは、キリシタンが作った棚田の絶景も広がります☆
もう1つ安満山は標高534m♪元々は『休みの岳』とも呼ばれていた様で平戸鎮護の霊山として崇められていました♪

このエリアには他にも、キリシタン関連の遺跡があります♪平戸と生月島双方から、約2キロの沖合にある中江ノ島です♪

江戸幕府が発した禁教令後の元和8年(1622年)平戸や生月島で宣教した事で平戸藩により火刑に処せられたカミロ・コンスタンツォ☆神父に協力したとして、ヨハネ坂本左衛門とダミヤン出口が、更に次いでヨアキム川窪庫兵衛とヨハネ次郎右衛門、さらに2年後にはヨハネ坂本左衛門とダミヤン出口の子供三人を含む家族も、ここ中江ノ島で処刑されています…☆ヨハネ次郎右衛門は中江ノ島に向かう船の中で『ここから天国(パライソ)は、もうそう遠くない』と言ったと伝わります☆キリシタンに対してドンドン厳しくなっていく弾圧と迫害。。。この中江ノ島はキリシタンの処刑が行われた場所として、以降から隠れキリシタンの聖地となっています☆

その後のキリシタン達は、五島列島へと逃れていく訳であります☆何かにすがり、信仰を続けていく事☆興味深いです〜☆

平戸の沿岸部を走っていると幾つもの教会跡が残っていて、歴史を感じさせます♪

2022年12月15日 さすらいの征夷大将軍慶誾尼☆寧
箕坪城



登録城に行く時はまずフォトと口コミの投稿ハンネをチェックします。
『あら、ここならあたしでも単騎で行けそう♬』

『こ、この達人たちしか投稿してないやん!ここは単騎じゃムリそ〜』
はい、ここは間違いなく後者だね 

城友を2人丸め込みました。シメシメ
まんまと車に乗り込んできた♬
箕坪へ城GO GO

さてと、本題に入ります。
登山口は箕坪城西側。
平戸大橋からなら県道19号線沿いUカーブ手前の右側にあります。

駐車場なんてそんな洒落たものはありませんでした。
まともな道なんてそんな洒落たもんもありませんでした。


登り始めは、落ち葉まみれになってるけど木を打ちつけた階段が数十段ありちょっと油断させられます。
そう!その階段すぐなくなっとるし〜
とその先は…
み、道がないじゃん!!
まー何ということでしょう
獣道さえもない…

そこから先は
深い落ち葉で被われた山の斜面を
し、四足歩行だよ!四足歩行!!

滑る、滑る、滑る、滑る、滑る…
幹を掴むとやられます
中がスカスカですから
岩や石を掴むとやられます
崩落石ですから

一歩進んで二歩さがります。ズズズ〜って!!

365歩のマーチでさえも
『三歩進んで 二歩さがる』なのに
なぜ、あたしは
『一歩進んで 二歩さがる』なのか…
おかしいやろ!!

心折れた頃に場面は変わる。
山の斜面の木々に無造作にロープが結びつけられており
様々なロープをチョイスして落ち葉深い斜面を蹴りながら登って行きます。

こりゃ、もうアスレチックじゃけんの〜

ロープでトドメを刺され、先を行く城友に泣きを入れれば、子どもをあやすように上手に誘導してもらう始末。恥

上りがこげなざま、下りはどげんなるとかいな…怖

下りは…ね!
落ち葉の下に埋め込まれたトラップ(地下茎や石、木々に足を取られ)
尻もちや転倒を繰り返す

『きゃー』
『大丈夫ですか?頭打ってませんか?』
『背中打ったよー泣』

『あ"』
『大丈夫ですか?頭打ってませんか?』
『肩打ったよー泣』

自然環境の中で障害物を組み込んで造られた様々なアトラクションを通過し、冒険的要素で運動能力を高める城跡

デンジャラスミノツボ

2019年07月15日 内記かずりヾ(・ε・。)
箕坪城

今回の遠征でどうしても行きたかったお城。ネットで見て凄いなぁと感じて意地でも行こうと思ってました。なのに城めぐでは不遇な感じ、写真投稿数も少ないし不思議でした。

でも実際に登城してみてなるほど理解、まともな道がありません。獣道より酷いかも…雨の後だったし粘土質の土は滑りまくり、落葉はトラップ並だし、登城路の崩落石は全く信用出来ません。最初から心折れまくります。ちなみにお城への登城路入口はそれらしき場所が4つ位ありますが、正解は一つなので事前にネットで確認しときましょう。

お城は尾根に沿って基本V字型になっていて格好よいです。登城の酷さを最初に語りましたが最初の20分を我慢して下さい!実は登れば楽になっていきます。シダシダした獣道を突破して城域に入ればお宝が待っています。

逆に言えば人を寄せ付けないところが遺構の残存率を上げてる訳でして、苦労した分だけその見返りは大きいと思います。写真の方は明日アップしますが、未見の方に是非訪ねて頂きたいお城です。

もう一回言います。苦労するのはアプローチだけです!最初だけ!

2019年06月18日 笑門来猫
箕坪城



平戸の山中にある松浦氏の城。崩れやすく滑りやすい斜面が続いています。途中までスニーカーで登りましたが、短時間で5回以上滑って、さすがに断念(¯―¯٥) 奥も深いようだし、足下の準備はしっかりと。

2012年03月20日 ぽめ
箕坪城

この地域随一の山城。主郭を中心とした惣石垣、石塁の枡形虎口、舘跡の超絶な石壁。300m近い標高で足元危険。その分遺構は完璧!!

箕坪城の周辺スポット情報

 春日集落案内拠点施設かたりな(碑・説明板)

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