春日集落案内拠点施設かたりな
春日集落案内拠点施設かたりな([箕坪城 碑・説明板])
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春日集落案内拠点施設かたりなの口コミ情報
2023年10月21日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
長崎県の平戸市にある【春日集落と中ノ江島】♪本日は城郭ではありません♪長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 として2018年に世界遺産として登録されています♪
平戸にキリスト教が広まったのは、天文19年(1550年)♪往時の平戸の領主である松浦隆信は南蛮貿易の為にキリスト教を庇護しています♪フランシスコ・ザビエルを中心に九州で行われた、この布教活動により広まったキリスト教です♪この、春日集落のある春日は松浦氏の家臣でキリシタンになっている籠手田安昌・籠手田安経の所領となっていました♪弘治4年 (1558年)から宣教師ガスパル・ヴィレラによって布教活動がスタートしています✝️永禄4年 (1561年)にはルイス・デ・アルメイダが春日集落を訪れ教会堂を建立していますが、今はありません☆1587年、豊臣秀吉が発したバテレン追放令により、キリシタンは圧迫を受けます☆バテレン追放令はコノ春日集落にも波及していて、慶長4年(1599年)キリシタン籠手田一族は長崎に追放され、教会堂は失われました☆
因みにルイス・デ・アルメイダは同時に医学教育も開始し医師の養成を行っています♪
更に歴史は動き慶長17年 (1612年)に徳川幕府は禁教令を発布し、キリシタン信者は、更に肩身が狭くなり…圧迫、迫害へと進んでいく訳ですが…。。それでも…キリシタン信者は、ヒッソリと信仰を続けていくのです☆
潜伏しながら生きていくキリシタンですが、寛永14年(1637年)天草四郎時貞を中心に原城に籠った島原の乱が発生☆此れにより弾圧は始まり…コンフラリアは地下組織化して仏教・神道や土着の民間信仰を装い、納戸神やマリア観音を奉じ、神棚にはロザリオを隠すなど偽装棄教を共謀します☆(※コンフラリアとはある一定の活動や信心を行う信者集団という意味です✨)
この春日集落では、集落内の丸尾様や背後に聳える安満岳を遥拝の対象とする自然崇拝の要素も採り入れ、オラショを秘かに唱えるなどし、春日集落ならではのキリスト教、信仰を行いました☆
古くは畑作と漁労が営まれていましたが、江戸時代に年貢徴収目的で平戸藩が田圃整備を奨励した事で、棚田が形成されています♪キリシタンが造った棚田は今も生きています♪
春日集落のキリシタンが崇拝した丸尾様は丸尾山の事で、安満山から伸びる二筋の尾根に挟まれた、長さ1キロほどの谷状の地形上に立地する小山です☆この丸尾様の頂上には祠が建てられ集落のキリスト聖地として維持されました♪更にこちらからはキリシタン墓地が出てきています♪丸尾様からは、キリシタンが作った棚田の絶景も広がります☆
もう1つ安満山は標高534m♪元々は『休みの岳』とも呼ばれていた様で平戸鎮護の霊山として崇められていました♪
このエリアには他にも、キリシタン関連の遺跡があります♪平戸と生月島双方から、約2キロの沖合にある中江ノ島です♪
江戸幕府が発した禁教令後の元和8年(1622年)平戸や生月島で宣教した事で平戸藩により火刑に処せられたカミロ・コンスタンツォ☆神父に協力したとして、ヨハネ坂本左衛門とダミヤン出口が、更に次いでヨアキム川窪庫兵衛とヨハネ次郎右衛門、さらに2年後にはヨハネ坂本左衛門とダミヤン出口の子供三人を含む家族も、ここ中江ノ島で処刑されています…☆ヨハネ次郎右衛門は中江ノ島に向かう船の中で『ここから天国(パライソ)は、もうそう遠くない』と言ったと伝わります☆キリシタンに対してドンドン厳しくなっていく弾圧と迫害。。。この中江ノ島はキリシタンの処刑が行われた場所として、以降から隠れキリシタンの聖地となっています☆
その後のキリシタン達は、五島列島へと逃れていく訳であります☆何かにすがり、信仰を続けていく事☆興味深いです〜☆
平戸の沿岸部を走っていると幾つもの教会跡が残っていて、歴史を感じさせます♪