里城
里城([籠手田城 周辺城郭])
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里城の口コミ情報
2024年10月17日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
長崎県平戸市の下里にある【里城】♪平戸街道を見渡せる、丘陵地に立地した里城です♪釜田川河口付近の東岸に立地する場所で、釜田川は内海である釜田湾に流れ出し、外海へと繋がる沿岸監視も出来る場所となります♪現在、主郭部にお住まいの方がいらっしゃいますが、一声かけてwell come見学可能となっています♪
別名を田平城と呼ぶこの城郭は、鎌倉時代初期♪伊万里の峯邑から峯五郎披という人物が田平に移り、里城を整備し、峯五郎披の3男・弥四郎馴と共に、田原里の開拓を行いました♪峯五郎披が平戸松浦氏の始祖となります♪平安末期以降から、一族野党で田平に勢力を奮っています♪峯五郎披は文治元年(1185年)源頼朝の家臣となり、建久3年御厨荘地頭職となり、田平町の北部里田原の地に移り、里城もこの頃に築城されたと云われています♪また、源五郎披の子・源持、その弟・源弥四郎馴に至るまで、田平は峯氏の拠点となります♪
延徳元年(1489年)、松浦一族である松浦弘定は田平里城主である田平峯昌を、里城で攻め破っています。平戸松浦弘定は、田平里城主である田平峯昌の兄であり、兄弟で家督を継ぐか?お家騒動による争いです(平戸田平合戦です)。
この平戸田平合戦の際、平戸松浦弘定は大島胤政を副将として、この里城を攻撃しました。田平峯昌は18日間籠城しましたが、ついに開城となり、この地は平戸領となっています(平戸郷土誌より)。
田平方には援軍として島原・有馬氏の大軍が来ていて、陣笠城に布陣しました。この勢いは平戸瀬戸を超えて、勝尾嶽城や箕坪城まで攻め入ったと伝えられています。結果的に、弟である田平峯昌は兄である松浦弘定と和睦し、松浦氏に帰属しました。
この戦いの際に有馬貴純は、大村純忠、西郷氏、志佐氏松浦定、佐々刑部を頼み、攻め込んでいます。見所は空堀、石積みで素晴らしく残っていました♪