梶谷城(かじやじょう)

梶谷城の基本情報

通称・別名

松浦党梶谷城、勝谷城

所在地

長崎県松浦市今福町東免2288他

旧国名

肥前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

松浦久

築城年

延久元年(1069)

主な改修者

主な城主

松浦氏

廃城年

遺構

曲輪、物見台、門、石塁、井戸

指定文化財

県史跡(松浦党梶谷城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

日本山城(長崎県松浦市)[7.9km]
世知原氏館(長崎県佐世保市)[11.2km]
直谷城(長崎県佐世保市)[11.3km]
伊万里城(佐賀県伊万里市)[11.8km]
唐船城(佐賀県西松浦郡)[15.2km]
深江氏館(長崎県佐世保市)[15.9km]
大智庵城(長崎県佐世保市)[17.1km]
日在城(佐賀県伊万里市)[17.1km]
岸岳城(佐賀県唐津市)[17.6km]
青山城(佐賀県唐津市)[18.3km]

梶谷城の解説文



梶谷城(かじやじょう)は、肥前国松浦郡(現長崎県松浦市今福町東免)にあった日本の城。

概要 

松浦市今福の集落から北東方向にある城山(じょうやま、標高197メートル)の山頂部に築かれた山城。本丸跡からは玄界灘から伊万里湾まで一望できる。

城跡は「松浦党梶谷城跡」として長崎県指定史跡に指定されている。

歴史 

松浦党を率いた松浦氏の祖源久が築城者とされている。松浦氏に伝わる「松浦家世伝」によれば、延久元年(1069年)に久が京都より松浦郡に下向してきた際に築城されたと伝えられる。このほか、嘉保2年(1095年)あるいは久安元年(1145年)等、築城年代には異説があるが、少なくとも平安時代末期に築城されてその後長期間にわたり使用されたものと考えられている。

戦国時代に入り、平戸松浦氏の勢力が拡大すると、松浦宗家も平戸松浦氏に従属することとなった。

安土桃山時代末期の文禄の役に際して、松浦鎮信によって改修され、織豊系城郭となった。

城郭 

城山の山頂部分を削って本丸が作られ、南側に物見台、北側に二の丸が置かれた。遺構としては櫓台や井戸の跡、野面積みの石垣等がある。山の西麓には「千人枡」と称される居館跡があり、石壁・石塁・門等が残されている。

アクセス 

  • 松浦鉄道西九州線今福駅下車徒歩30分。

周辺 

  • 善福寺 - 今福町仏坂免にある真言宗の寺院。梶谷城に在った松浦直(丹後守)が、正平10年(1355年)に寄進した鰐口が県有形文化財に指定されている。
  • 文禄の役松浦家供養塔 - 源久の末裔たる宗家松浦氏の当主で今福領主となり、文禄の役において戦没した松浦定(丹後守)主従の供養塔。

参考文献 

  • 「長崎県の歴史散歩」(長崎県高等学校教育研究会地歴公民部歴史分科会編、山川出版社刊)

梶谷城の口コミ情報

2024年10月12日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
小城藩・浪瀬番所[梶谷城  周辺城郭]



佐賀県伊万里市にある【小城藩・浪瀬番所】♪松浦鉄道・波瀬駅の北側、伊万里湾にやや突き出した半島沿いの街道を、封鎖する様に番所は存在しました♪この沿岸部沿いの道は、松浦や平戸に抜ける街道だったのでしょう♪

別名を波瀬番所と云うこの番所は、幕末に小城藩によって設けられた番所の1つとなります♪
何故?小城藩が?という事についてですが…中世末(戦国末期)の動乱において、この地を領していた松浦党の諸氏は、龍造寺氏に征服されています。天正12年(1584年)、龍造寺隆信の戦死(沖田畷の戦い)は波多氏を離反させ、その支配地は後の唐津藩領となっています♪伊万里氏・山代氏・有田氏の旧領地は、龍造寺氏の所領を受け継いだ、鍋島氏の佐賀藩領となりました♪後の山代郷は小城支藩領となっていて、唐津藩領の中で大川野一帯は天領となる事もあり、現市域の行政区分と異なり、結構複雑だった様です。
唐津藩領と佐賀藩領との往来は、中世においては連携があったでしょうが、近世に至ると往来の板札の交付を必要とし、藩境の壁が作られたのです。コレは佐賀藩が外様大名である事に対し、唐津藩は寺沢氏の時代を除いては譜代大名であった事。また、佐賀藩・鍋島氏が地元同郷の大名の藩であるのに対し、唐津藩・寺沢氏は国替で入部した他郷出身の大名の藩であったという事もあり、現代に至っても、言葉や建築などに差異があります。そんな訳で、番所やいわゆる境界線は、結構ハッキリしているのです♪

『佐賀県の中近世城館』では、海岸沿いの番所跡の裏山山頂に、監視所跡と思わしき石垣造りを基調とした造成段が残るとありました♪
写真山間部は、その裏山山頂の監視所跡と思われる場所です♪海岸の番所跡というのは、民家の写真辺りだったのでしょう♪

因みに町内小島と云う場所があるのですが、現在は埋め立てられた状態となり、陸続きになっています♪古くはその名の通り、伊万里湾に浮かぶ小島だったのです♪大波瀬搦、小波瀬搦と字が残るのですが、これは宝暦7年(1757年)、『山代郷大波瀬・小波瀬・天神右三ヶ所搦地ニ相願候様御山方より被仰達ニ付而相願候処、御拝借銀等扨又くひ木迄被下、搦築立候事』(永尾家史料)とあり、江戸時代の宝暦頃の造成と思われます♪コレにより町、田畑合計が約二町五段だったものが、三町五段余に拡大しています♪伊万里もそうですが、北部九州沿岸部の西側は背面に山塊が迫り、居住、生活するスペースは限定的な為に干拓地を造る♪先人の知恵ですね♪

この小島には前方後円墳(小島古墳)があり、周囲からは埴輪円筒の破片などが採集され、6世紀後半に海上で活躍した人達の首長のものと考えられています♪古くからの歴史も残している波瀬エリアです♪

監視所跡と思わしき場所は2段の削平地、石積みの残片(旧畑か?)ありました♪城郭と違い、堀や土塁などは、見当たりませんが、虎口の様な開きは見受けられました♪森林が無ければ、眼下の平戸街道の監視は出来たでしょう♪番所があったと思わしき平戸街道は現在、旧道として、名残を見せます♪島の写真は、小島です♪

2024年04月04日 今孔明ユーチューバー
梶谷城



トイレと説明看板がある駐車場のかなり手前で井戸らしきの遺構を見つけました😀 多分、気づいておられない方が多いかもしれません。

2022年05月05日 水瀬筑後守名雪
梶谷城



梶谷城は、2022/04~2022/07まで通行止めのようです。リア攻めしようと計画中の方、いらっしゃいましたら、ご注意ください!

2018年01月23日 カーネル
梶谷城

松浦鉄道 今福駅から北東へ直線1.5km

今福駅の横には地図があり、いにしえの小径を辿れば、梶谷城に行けることがわかります

駅を背に狭い道を北上し、車が通れる生活道路にでたら右折して東へ向かいます

しばらくすると、道は登り道になります。若宮神社を過ぎた先に、梶谷城→の大きな看板あるので右折します

その先々の分岐には、標識があるので従います。大きな公衆トイレを過ぎた先の車道に副郭の看板があります

駅から30分で、林道の終点の大きな駐車場に到着。ここまで、車でこれます

駐車場から、時計回りに天守台を経て大手門へ。大手門の石垣がカッコよかったです。さらに進むと虎口にぶつかり、右に行くと駐車場に戻りますが、左折して遊歩道を進むと、行きに歩いた林道にでるので、ショートカットできます

駅に戻って1時間半でした


2010年07月07日 tomm加賀守
梶谷城

郭・石垣・物見台・大手門址の桝形虎口が残っており、石碑・説明看板もあって晴れていれば素晴らしい眺望です!

長崎県指定史跡ですが、夏は藪に覆われますし本丸東側石垣の整備などが求められます。

国道204号沿いに看板があり、トイレのある中腹の駐車場までは広い道ですが、その先の二ノ丸駐車場までは細いので注意が必要です。

梶谷城の周辺スポット情報

 大手門(遺構・復元物)

 松浦党の兜 オブジェ(碑・説明板)

 寺山団助公の墓(碑・説明板)

 小城藩・浪瀬番所(周辺城郭)

 駐車場と説明板(駐車場)

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