高越山城(たかこしやまじょう)
高越山城の基本情報
通称・別名
- 高越城
所在地
- 岡山県井原市神代町
旧国名
- 備中国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 宇都宮貞綱
築城年
- 弘安4年(1281)
主な改修者
- -
主な城主
- 宇都宮氏、伊勢氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀切
指定文化財
- 市史跡(高越城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
鴨山城(岡山県浅口市)[8.7km]
小笹丸城(岡山県井原市)[10.0km]
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神辺城(広島県福山市)[14.5km]
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高越山城の解説文
高越山城の口コミ情報
2020年11月08日 九曜紋東市正
高越山城
車で山中の駐車場まで移動可能。道路は広いとは言えないが、途中の分岐路には、親切な案内板があり、迷うことは無い。曇りがちだったが、朝早く一人占めできたので、山頂からの眺めも、爽快感があった。駐車場から、山頂までは、5分程度。駐車場にも、山頂にもトイレ有り。
2020年11月01日 ドクターイエロー
高越山城
車利用では途中の高越城址公園の駐車場(トイレあり)まで看板を頼りに国道486号から簡単に行けます。山道は一部細い箇所あります。そこから舗装された山道を数分で旗の立つ郭(現地の地図では四の郭)に到達します。このあたりでリア攻め可能です。ここにもトイレがあります。石碑の立つ一の郭(早雲ひろば)までもう少しです。見晴らしは良く、眼下には旧山陽道や出城の横畑、山上山も良く見えます。また二の郭北東の山道を少し下ったところには井戸も残っているのでお見逃しないように❗
2018年07月24日 カーネル
高越山城
井原線 早雲の里荏原駅から
駅前に北条早雲のファンシーな石像があり駅前には高越城への地図もあります。車だと遠回りの道のりを、歩行者用の近道が書かれている親切設計です
なので看板に従い、駅から北上すると歩行者用に「歩く人(近道)」の案内があります。案内に従うと、角之池を超えたあたりから道が狭くなり、緩やかに登り始めます。駅から見えていた山の左裾を回りこんで奥の山へ山道を歩きます。5分ほどで舗装路になり高越城の南端に出ます
北上すると本丸で、いくつかの曲輪をへ経て冠門まで行けます。一段下の道から南下して駅へ戻りました
城は公園として整備されております。案内図にあった堀は、言われれば堀に見えますが、よくわからなかった。駅に戻って70分ほどでした
2018年02月25日 内大臣織田晃司
高越山城
国道486号線からも看板があり迷う事なく行けると思います。
城跡は高越城跡公園になっており駐車場もトイレもあります。
冠門を抜け少し歩くと主郭に到着します。主郭付近にもトイレがあります。
主郭には北条早雲(伊勢新九郎)誕生の地の石碑。
一段下がると井戸跡があります。
地元で矢掛の壇と呼ばれる郭に向かう途中に堀切らしき跡があります。
矢掛の壇にも石碑がありますが古いため書かれてある文字は残念ながら読めません。
主郭下トイレ手前付近の斜面に石垣らしき跡がありました。
石切跡らしきものがありましたので私は高越山城の石垣かと勝手に思ってます。
なお急斜面になってるので決して無理はしないでください。
2015年12月17日 león☆鷹党
高越山城
早雲の里荏原駅から徒歩で30分程
駐車場・トイレ完備、周辺には城址への案内板も多く設置されていました。
遺構は各郭が残る他、駐車場から冠木門をくぐり三の郭へ至る道の途中に空堀が見られます。
麓に広がる荏原庄は北条早雲こと伊勢宗瑞の生誕地とされ、周辺には宗瑞が祀ったとされる新九郎薬師堂や、宗瑞と父・伊勢盛定の墓と伝わる宝篋印塔が残る法泉寺があります。
また本郭には周辺の史跡を記した井原市観光協会のパンフレットが置いてあり、巡る際とても役にたちました。
2012年04月24日 この家は滅亡しました
高越山城
北条早雲ゆかりの城跡です。城山東側の麓には早雲が寄進した薬師如来が祀られたお堂があります。
【歴史】
築城年代は定かではないが、宇都宮貞綱が弘安4年(1281)の蒙古襲来に備えて築いたとも伝わる。
享徳2年(1453)には伊勢新左衛門が居城としたといわれ、天文・永禄年間の戦いを記した軍記物には、備中諸将とともに伊勢氏の名が登場する。
元亀2年(1571)までは、毛利氏の支配下にあったと考えられる。
【遺構】
標高約 170mの高越山山頂に築かれている。南には山陽道と小田川を眼下に望み、笠岡から矢掛方面へ北上する往還が山陽道に合流する地点も見下ろせる。
後世の改変が著しいため全容は不明だが、山頂の主郭には一辺約15mの高まりがあり、そのまわりを曲輪がめぐっている。高まり部分の西側には石積みがあった。
主郭を中心に、北西側、東側、南側の3方向に曲輪を配置。北西側の尾根の鞍部には堀切が設けられ、現在は消滅しているが、堀切の北側にも曲輪があったようだ。主郭から東・南側にのびる尾根筋にも曲輪が広がり、東側尾根の2段下の曲輪北側谷部には石組みの井戸がある。
【交通】
山陽自動車道笠岡ICから車で約30分
【参考文献】
・『岡山県中世城館跡総合調査報告書 第2冊-備中編-』、岡山県教育委員会、2020年。