小笹丸城(おざさまるじょう)
小笹丸城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 岡山県井原市美星町黒忠
旧国名
- 備中国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 竹野井氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、竪堀、堀切、虎口、井戸
指定文化財
- 市史跡(小笹丸城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
鶴首城(岡山県高梁市)[9.2km]
高越山城(岡山県井原市)[10.0km]
戸屋ケ丸城(広島県福山市)[12.4km]
鬼身城(岡山県総社市)[13.9km]
猿掛城(岡山県倉敷市)[14.9km]
備中松山城(岡山県高梁市)[16.1km]
紫城(岡山県高梁市)[17.5km]
鴨山城(岡山県浅口市)[17.8km]
志川滝山城(広島県福山市)[19.2km]
神辺城(広島県福山市)[21.1km]
小笹丸城の解説文
小笹丸城の口コミ情報
2022年06月26日 かおちゃん美作守
小笹丸城
入口の看板が無くなっており迷いましたが地元の方の農機具の倉庫の所から登城できました。背丈ほどもある笹が酷く本丸をめざす方は長袖必需品、ナタもあった方が良いと思います。千田先生の地図も笹に埋もれる寸前です。4枚目の写真は入口ですが左手から登城口です。
2021年12月05日 織田上総介晃司
国吉城[小笹丸城 周辺城郭]
最初に断っておきますが若狭の国吉城ではなく備中の国吉城です。
高梁市川上町にある中世の山城です。登城口下まで舗装路があり駐車できますが、道は細く落ち葉や枝など荒れているので運転に自信のない方は歴史公園の駐車場に停めて歩いて行くのが無難です。とはいえ駐車場に行くまでの道中も細くカーブも多い道です。
備中兵乱の舞台にもなった城。
高梁市川上町に「吉備川上ふれあい漫画美術館」があり、大正時代から新作の漫画を所蔵するほか、高梁市名誉市民の故・富永一朗先生の原画など展示されてます。当日であれば何度も出入り自由なので長時間利用される方もいらっしゃるとか…
富永一朗先生も亡くなられ、天国で鈴木義司先生と再び「お笑いマンガ道場」因縁の対決が繰り広げられていると思います。(でもホントは仲の良いお二方です)
2021年12月05日 織田上総介晃司
小笹丸城
国道313号より星の里街道を進むと小笹丸城の案内板と5台位停めれる駐車スペースがあります。この先は生活道路となってますので車の侵入はご遠慮願います。
先ず千田先生制作の縄張り図を目指し奥の登城口(リア攻めマップ参照)より登城するも曲輪が胸の高さまでの笹に覆い尽くされており、これ以上の捜索は断念。一度下山して引き返し手前の登城口(リア攻めマップ参照)より再登城。どちらにしても手袋必須です。
井原市美星町に「中世夢が原」というテーマパークがあります。中世の町並みを再現しており「往年の小笹丸城はこんな様子だったろう…」と想像が膨らむと思うので是非訪れてみては…
2021年04月29日 ドクターイエロー
三村氏屋敷跡[小笹丸城 遺構・復元物]
備中国を一時平定していた三村氏の初期の屋敷跡と云われています。三村氏は三村家親の代にここ星田地区より鶴首城に移り、その後備中松山城に移り住みました。更に美作国、備前国へ進出を企むも、家親が美作・興善寺にて宇喜多直家の刺客に暗殺、嫡男元親も備中兵乱にて毛利・宇喜多連合軍により滅ぼされ三村家は断絶しました。
吉備高原上の小さな谷に向け突出した台地状の低丘陵尾根地に立地しています。谷部との比高差は約10mです。現在はほとんどが畑地となっており遺構は少ない模様です。隅っこの竹林の奥に土塁が残っているとされていますが竹藪に阻まれ良くわかりませんでした。
説明板は屋敷跡を見下ろす民家の前にポツンと立っています。明らかに私有地ですので立ち入りる際には必ず許可を頂いて(ついでに車も停めさせていただいて)からにしましょう。R3.4.29訪城
2021年04月12日 ドクターイエロー
金黒山城[小笹丸城 周辺城郭]
井原市指定史跡の案内看板は標高374mの城山の南東山麓の道べりに設置されています。看板近くのカーブには車を3~4台駐車するスペースが確保されています。看板の奥には細い山道がありますが、やがて行き止まりになり直登藪コキを強いられますのでご注意ください。看板より奥に約300m程進んだ地点が登城口になります。目印のピンクのリボンはちょっと分かりづらいかもしれませんがリア攻めマップを頼りに探してみてください。
最初は藪コキになりますが森の中に入ると比較的山道はしっかり確認できました。登ること約10分で最下段の曲輪に到着します。金黒山城は5つの曲輪から構成されており、主郭を挟んで東西に曲輪、北側には三重堀切で守りを固めています(特に主郭直下の堀切は綺麗に残っています)。主郭中心部には祠が祀られていてわずかに土塁も確認できます。また最下段の曲輪には井戸跡らしき遺構も残っていました。R3.2.18訪城
2020年12月27日 ドクターイエロー
小笹丸城
県道292号線、星の里街道沿いに案内看板が出ています。ここから先は生活道路にて徒歩での城攻めになります。なお看板付近に4~5台ほど駐車スペースはあります。道を登ること約400mほど、民家が途切れたあたりでUターンする形で城へ登る道があります。登りきると曲輪4に到達。リア攻め可能になります。ここには案内看板と遠藤周作氏記念碑がありますが、訪城当時(R2.12.27)は文字通りの「小笹」が行く手を阻み、主郭を取り巻く7つの曲輪や土塁、武者隠し、虎口、竪堀までには到達できませんでした。山頂の主郭も荒れ果てていましたが何とか登って城山神社と裏手の土塁は確認できました。ちなみに案内看板にある縄張り図はあの千田嘉博先生の監修によるものです。R2.12.27訪城
2017年05月05日 まるき〜
小笹丸城
県道292号線の脇、集落入り口付近に車を停めての探索。先ずここの集落、ぱっと見、かつて城であった事を意識しているかのような雰囲気のある石積みの上に家やそれらしい?蔵風な建物がありその先を登った先に城跡がある。
私は近道をしたようで竪堀付近から登城、素直に回り込めば楽に行ける道は付いていましたが…帰りに気づく。
主郭を囲む下段の曲輪まではすんなり行けるがそこから先に行くには藪をかき分けて直登しないと行けそうにありませんでした。
縄張り図には虎口が書かれていますが…現状はすっかり閉ざされてしまっています
無理をすれば行けない事は無さそうですが危険な蜂や蜘蛛等が居るので断念!
もし来る方がいらっしゃいましたら手袋とそれなりの格好で…σ(^_^;)
草木が生い茂っていてもなんとなくわかる主郭周りの腰曲輪、堀切、竪堀、土塁、少し整備していただければ見応えがあるのに、残念です。
小笹丸城の縄張り図は千田嘉博先生の作図が案内板になっています。
遺構
井原市の北東部、旧小田郡美星町の黒忠の集落北方に位置する。標高390m、比高90mの丘陵にあり、城域は東西150m、南北120mの規模で村落領主クラスの詰め城と考えられている。
丘陵頂部に円形の主郭があり、その外周を取り巻くように一段下がった場所に2~7の郭が配される特徴的な縄張りとなっている。
また、土塁や堀切、虎口、武者隠し、井戸などの遺構が残り、小規模ながらも見応えのある史跡(井原市指定史跡)として整備されている。
歴史
築城主・築城年代は不明だが、大永年間(1521~1528)には竹野井市朗衛門尉が、天正3年(1575)には竹野井氏高・春高が居城したことから、黒忠を治めた竹野井氏の城であったことがわかる。なお、小笹丸城は遠藤周作の小説『反逆』の舞台(荒木村重の家臣となった竹井藤蔵の故郷)にもなっており、城跡の南西に記念碑が建てられている。
交通
・井原鉄道井原線井原駅から車で約30分参考文献
・『井原市の文化財』井原市教育委員会、2009年。・『日本城郭大系 第13巻』新人物往来社、1980年。