鶴首城(かくしゅじょう)

鶴首城の基本情報

通称・別名

成羽城、(成羽陣屋)

所在地

岡山県高梁市成羽町下原

旧国名

備中国

分類・構造

連郭式山城、(陣屋)

天守構造

なし

築城主

河村秀清、山崎豊治(陣屋)

築城年

平安時代後期、万治元年(1658)(陣屋)

主な改修者

三村家親

主な城主

河村氏、三村氏、岡氏、山崎氏(陣屋)

廃城年

元和3年(1617)

遺構

曲輪、堀切、石垣(陣屋)

指定文化財

市史跡(成羽陣屋跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

備中松山城(岡山県高梁市)[8.7km]
小笹丸城(岡山県井原市)[9.2km]
紫城(岡山県高梁市)[13.7km]
鬼身城(岡山県総社市)[15.3km]
矢倉城(岡山県加賀郡)[16.3km]
戸屋ケ丸城(広島県福山市)[18.9km]
高越山城(岡山県井原市)[19.0km]
佐井田城(岡山県真庭市)[19.6km]
有漢常山城(岡山県高梁市)[19.9km]
猿掛城(岡山県倉敷市)[20.7km]

鶴首城の解説文



鶴首城(かくしゅじょう)は、備中国川上郡成羽(岡山県高梁市成羽町)にあった日本の城。別名・成羽城

沿革 

平安時代終わりの文治5年(1189年)に奥州合戦に功績のあった河村四郎秀清が築城したと伝えられている。

天文2年(1533年)、星田を本拠としていた備中の戦国大名、三村家親が城郭を整備拡張した。拠点を鶴首城に移した家親は、勢力を拡大した。

永禄4年(1561年)三村家親、元親父子は、本拠を備中松山城に移した。その後は一族の三村親成、親宣父子が城主となった。

永禄9年(1566年)宇喜多直家によって家親が暗殺されると、備中兵乱が激化した。元親は織田信長に味方し、これに反対した親成父子は三村一族から離反して毛利氏に味方し、鶴首城主には三村親重が城主となった。

天正3年(1575年)毛利軍により攻略され鶴首城は落城、城は再び親成、親宣父子に安堵された。しかし元親の毛利氏からの離反を止められなかったため、所領を削減された。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの功績により成羽の地で7千石を得た岡家俊が入城した。だが慶長19年(1614年)大坂の陣で家俊の長男岡平内が大坂方に味方したため、大坂落城後、家俊は切腹させられた。

元和3年(1617年)、成羽に移封された山崎家治が入部したものの鶴首山麓に成羽陣屋を築いて入ったため、鶴首城は廃城となった。

鶴首城の口コミ情報

2023年04月09日 織田上総介晃司
成羽陣屋[鶴首城  周辺城郭]

山崎御殿とも言います。

陣屋跡地は高梁市成羽美術館と成羽小学校が建ち、石垣が残る。駐車は美術館駐車場を利用。

讃岐丸亀藩山崎氏は3代治頼が後継者を決めぬまま病没したため幕府により丸亀城と領地を没収。叔父の豊治が成羽5000石を与えられ、鶴首城の麓に御殿を築き陣屋とする。

残念な事に大名ではなく交代寄合として赴任したので、せめて住居は石垣を備えた城に住もうと重厚な石垣を築く。これも山崎氏が丸亀城石垣を築くほどの高度な石垣築造技術を持っていたので為せる技である。

2022年03月21日 曹操VS劉備5年
鶴首城

美術館に駐車しましたが公園までがわかりにくかった。公園からは、案内板もあり、らよく整備されて登りやすかった。

2021年08月29日 安濃津中納言壱午
山崎御殿(成羽陣屋)石垣[鶴首城  遺構・復元物]



万治元年(1658年)、築城名人として知られた山崎家治の息子である山崎豊治が5000石で成羽に入封する。以来、11代210年間明治維新まで山崎氏の本拠となる。

現在、東西約300mの長さの石垣が残っています。虎口は御作事門、大手門、御庫門の3つが設置されており、大手門は枡形であったそうです。陣屋の割に、結構、厳重だったんですね。鶴首山を挟んで南側にも石垣が残っているそうです。鶴首城も登りたかったのですが、時間が無くて、陣屋の石垣だけ撮って帰りました。鶴首城登城のついでに、この陣屋を散策するのが良いかと思います。

2021年01月02日 ドクターイエロー大蔵大輔
鶴首城



車は麓のたいこまるプラザを利用させていただきました。見事な石垣残る成羽陣屋(現成羽美術館)裏手の舗装道を西進すると児童公園の横に登城道の看板があります。善意の杖と資料もあります。ここから約40分の道のりです。

2つ目の休憩所のある太鼓丸跡(曲輪の案内看板あり)を過ぎると山道は狭く急峻になります。しばらく登って切通に出たところで残り500mの看板と共に右手に進みますが、左手の山は出丸で僅かながら石垣を伴った曲輪が残っています。右手に稲荷神社を見て残り200m、視界が開けたら七ノ壇(馬場)に到達、いよいよ城内です。

更に登ると二ノ壇枡形虎口に出ます。目の前は案内看板のある一ノ壇の虎ノ口です。一ノ壇周囲には石垣が点在、北側には比較的状態良く残っている箇所があります。一ノ壇より奥に進むと下り雛壇状に曲輪が続き(案内看板あり)、五ノ壇の奥には二重堀切が睨みを効かせています。山道は一部朽ちている箇所もありますが看板もあり迷うことはなさそうです。R3.1.2訪城

2020年08月10日 しょう備中守
鶴首城

太鼓丸の後の急な坂を登り切り、主郭への案内板の反対側に行くと出丸が有ります。こちらも、なかなかのものなので、是非見てください。

2017年11月26日 織田上総介晃司
鶴首城

車は成羽美術館の駐車場に停車。そこには山崎御殿(成羽陣屋)の石垣があります。

美術館の裏手の道を進み遊具のある公園から登山道があります。そこには杖と鶴首城パンフがはいったポストがあります(訪ねた時は残念ながらパンフは無くなってました)

約20分ほど登ると一ノ壇(本丸)に到着します。

今までは備中松山城に行くため素通りしてましたが、登城してみると中々の城です。
ただ、備中松山城と鶴首城をはしごすると脚が笑うでしょう(笑)

旧成羽町吹屋地区は昔、ベンガラで栄えた街並みや木造建築の吹屋小学校、「八つ墓村」のロケに使われた城のような広兼邸があります。
距離がありますが行ってみる価値はあります。

2016年05月27日 カーネル
鶴首城

成羽小学校の南に遊具が設置してある広場があり、ここを通過して林道を登ります。広場には縄張り図が入ったポストがありました
林道を進むと後ろから軽トラが来て、この運転手のおじさんと話をすると、この林道を切り開いたんだという(すごい)
今日は除草剤を撒きにきたとおっしゃってました。このお城が市史跡になるとうれしいと話してました

太鼓丸までは林道で、ここから登山道。ここにあと730mの標識があり、傾斜もきつくなる
おじさんと立ち話したのも含めて、麓から20分ちょい。城域は順路の看板もあって、見学しやすいです
登って降りて、鶴首城北の麓にある成羽美術館(成羽陣屋跡)に寄る。ここの石垣は現存でカッコイイですよ

全部で所要時間は1時間半強でした

2013年03月05日 芦屋能登守虎吉
鶴首城

成羽小学校の裏山的な位置にあります。真夏に登ったせいか、昼間でも鬱蒼としていて薄暗く、虫と蜘蛛の巣だらけです。途中、登山道が崩れていたりもしながら、30分程度登ると本丸付近と深い堅堀に出会えます。遺構は多くないですが、道中しんどかっただけに格別でした。三村氏の往年の勢威がしのばれます。
駐車場はありませんが、成羽小学校裏手の公園に一台程度なら停められます。

2011年08月02日 摂政M三郎
鶴首城

近世成羽陣屋は、鶴首山北麓に水谷氏が築き、讃岐國丸亀から転封となった山崎氏が拡張した一郭の陣屋です。拡張部にあたる中央部以東表面の石垣は、高さはわずか4m未満ですが、打込接無反りで急勾配。緻密に積まれ、虎口部や上端は切石で角を立て正確な直線に仕上げられた姿は、清潔感さえ感じるほどの逸品です。また、平面形も雁行させることで横矢掛により虎口の防御性を高め、大手口には桝型まであったといいます。旗本五千石でもさすが城作りの山崎氏、感動です。現在、この逸品を損わず城域を利用している工夫にも感謝です

2010年08月29日 この家は滅亡しました
鶴首城

国道313号線沿いにある石垣は江戸時代になって築城された屋敷のもので、戦国期の成羽城はその屋敷跡の裏山になりますのでご注意を(^.^)b

鶴首城の周辺スポット情報

 山崎御殿(成羽陣屋)石垣(遺構・復元物)

 本丸石垣(遺構・復元物)

 三村氏居館跡(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 曲輪(遺構・復元物)

 三ノ檀(遺構・復元物)

 四ノ壇(遺構・復元物)

 五ノ壇(遺構・復元物)

 成羽陣屋(周辺城郭)

 稲荷神社(祠)(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

 分岐点(その他)

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