佐井田城(さいたじょう)

佐井田城の基本情報

通称・別名

才田城、斎田城、齋田城

所在地

岡山県真庭市下中津井

旧国名

美作国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

植木秀長

築城年

永正14年(1517)

主な改修者

主な城主

植木氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、堀切、切岸、井戸

指定文化財

市史跡(佐井田城)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

有漢常山城(岡山県高梁市)[6.0km]
矢倉城(岡山県加賀郡)[12.6km]
備中松山城(岡山県高梁市)[14.4km]
高田城(岡山県真庭市)[18.2km]
鶴首城(岡山県高梁市)[19.6km]

佐井田城の解説文

※この城郭は2019年4月6日に名称と位置が変更となりました。

佐井田城(さいたじょう)は岡山県真庭市下中津井にあった城である。才田城、斎田城とも書く。

遺構
岡山県の中西部を南北に流れる中津井川の西方、標高332mの山上に位置する。

北東に向かって伸びる尾根上に連郭式の曲輪が連なる。一ノ壇から五ノ壇までの5つの曲輪が一直線上に配され、尾根続きの一ノ壇の西端は二重の堀切で遮断している(『大系』)。

最高所となる二ノ壇が主郭となり、約350㎡の広さを持つ。また、最も東に位置する五ノ壇の下方には2つの出丸(陽の郭)が置かれ(『大系』)、大手方面の防備を固めている。

歴史
永正14年(1517)に、植木秀長によって築かれたとされる(『大系』)。ただし、鎌倉時代に山田重英が築城したという見方(『現板』)もあり、詳細ははっきりしない。

植木秀長は、はじめ同族の庄氏とともに尼子氏に従っていたが、永禄11年(1568)に宇喜多直家の弟・忠家が1万近い兵を率いて佐井田城に侵攻すると、抗しきれずにその軍門に降った(『大系』)。

その後、佐井田城は尼子氏・宇喜多氏・三村氏・毛利氏による争奪が繰り返され、植木氏が城を追われることもあったが、天正8年(1580)に秀長の嫡子・秀資が城主に返り咲き、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後、廃城となった。(『岡観』)。

交通
JR伯備線木野山駅から車で約20分

参考文献
『大系』:『日本城郭大系 第13巻』新人物往来社、1980年。
『現板』:佐井田城跡現地説明板。
『岡観』:公益社団法人岡山県観光連盟公式サイト(https://www.okayama-kanko.jp/)。

佐井田城の口コミ情報

【磊】石工集団穴太衆さん[2019年04月06日]
【周辺の史跡、名勝】
(中津井陣屋)
江戸時代に備中松山藩主が伊勢亀山藩に移る際には、亀山藩の飛地領となり代官所が置かれ、そのときに設けられたのが中津井の陣屋です
現在の中津井陣屋跡地には陣屋跡を復元した農村型リゾートの宿泊施設、「なかつい陣屋」があります。
(大谷1号墳)
大谷1号墳は3段の墳丘と前面に2段の基壇をもつ、5段築成の方墳という全国的にもあまり例のないものです
(鍾乳洞)
地殻変動によって地上に隆起した石灰岩が、気の遠くなるような長い年月をかけ、雨水や地下水で浸食を受けて形成された洞窟です
(醍醐桜)
後醍醐天皇が隠岐還幸の際、立ち寄り賞賛したといわれるアズマヒガン、推定樹齢1000年ともいわれる県下一の巨木で、のどかな山里の丘の上に1本だけそびえ立つ『新・日本名木100選』の一つで、県の天然記念物です【アクセス】
高梁方面、北房方面ともに313号線からデイリーヤマザキ方向に曲がってもらい願成寺を目指してください。願成寺から山上に向かって行くとY字路があり左手に行くと佐井田城の駐車場があります、車はそこへ駐めれます

【磊】石工集団穴太衆さん[2019年04月06日]
【説明】
佐井田城の麓の駐車場の奥に鳥居があり、そちらが登城口です、鳥居をくぐると尾根の先端部から5段の段曲輪が現れます、そこからつづら折れの道を登っていくと中腹に石積みで囲まれた番所跡があり、さらに登ると下段の出丸の虎口が現れます、出丸の下段は緩やかな勾配を描き馬蹄型になり上段は三段構造になり奥には辰巳櫓が付帯する、計四段構造の出丸になります、出丸を過ぎると五の段、四の段、三の段があり、脇道を左下に降りると水の手である井戸があります、三の段の先は主郭を南から西へL字型に囲む二の段があり、一段下がり帯郭があり三の段と連携してる構造になってます一の段である主郭は方形型で現在、城山稲荷神社が祀られてます、主郭部の西側背後は二の段が張り出して、急峻な切岸下には二条の堀切があり、堀切から落ちる竪堀もあり、尾根続きの先には支城である加葉山城があり、佐井田城と互いに連携し合っていたと思われます*出丸から堀切までは、下草や木々が伐採されて、遺構が見やすく良好でした。

【磊】石工集団穴太衆さん[2019年04月06日]
【概要】
標高332mの山上にある山城跡で鎌倉時代初期の築城で文治2年、山田駿河守重英が築城したと言われてます、その後戦国時代に庄氏の一族植木秀長、孫下総守秀資へと受け継がれ、戦乱の続く中、備中北部攻防の中心城で、津々の加葉山城と連携し、要害堅固な備中三名城のひとつと称えられました。
築城主の山田駿河守重英の子孫が幕末期の備中松山藩の財政を建て直した山田方谷です
地元では山田方谷を大河ドラマに売り込もうと
方谷ゆかりの地や史跡の整備に力を入れてます。

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