竜王山城(りゅうおうざんじょう)
竜王山城の基本情報
通称・別名
- 龍王山城
所在地
- 岡山県久米郡久米南町下籾
旧国名
- 美作国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 岸氏秀
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- 町史跡
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
金川城(岡山県岡山市)[12.6km]
徳倉城(岡山県岡山市)[15.4km]
院庄館(岡山県津山市)[16.9km]
周匝茶臼山城(岡山県赤磐市)[17.2km]
津山城(岡山県津山市)[19.0km]
岩屋城(岡山県津山市)[19.2km]
神楽尾城(岡山県津山市)[20.4km]
井の内城(岡山県美作市)[20.6km]
矢倉城(岡山県加賀郡)[20.8km]
有漢常山城(岡山県高梁市)[21.0km]
竜王山城の口コミ情報
2024年09月16日 風魔播磨守小太郎
竜王山城
籾山神社目指して進む。途中三叉路直ぐの分岐(写真1)を舗装していない方の道を進むと、神社がある。神社本殿手前の三叉路(写真2)を右に入るとすぐ本丸に着く。リア攻め地図参照しながらでも凄く分かりにくかったです。また道が細い所が多いので行く方は注意してください。
2024年01月18日 tracer_azu
伊勢畑城[竜王山城 周辺城郭]
伊勢畑城 美作国
土塁囲繞の巨大城です。マイナーなお城の割にただならぬ巨大さ、、相当数の兵が入ったことが予想されます。 東西約200m、南北約300m曲輪に土塁が巡り横堀、横矢掛けといった織豊の香りもします、一部削平が甘いところもありますが、楽しめるお城でした。
恐らく宇喜多が織田家に寝返った後の改修があったように見えます。
行き方ですが、私は伊勢畑城の北の林道の手前の集落の余白に車を置かせていただき、2キロくらいただひたすら歩きました、小さな軽自動車であれば林道を城前まで乗りつけることは可能かもしれませんが、悪路なので車が気になる方はオススメできないです。
2022年03月04日 ドクターイエロー大蔵大輔
立畑城[竜王山城 周辺城郭]
すぐ横に誕生寺川が流れる尾根筋に築かれた比高差90mの城です。主郭の南側に大小2つの曲輪を配置する連郭式構造となっており、東側には帯曲輪らしき細長い曲輪も有しています。尾根筋上には二重堀切で、南側の尾根最先端は小さな堀切と天然石による切岸で見事に遮断されています。また二重堀切の南側は高さもあり石積みの遺構も少しだけですが伴っています。一部は回り込む形で横堀と化しています。
国道53号線からの分岐する交差点より登城道があります。車もちょっと広くなったスペースに停めることができます。最初あったピンクのリボンの目印はやがてなくなり道も定かではなくなりますが尾根筋上をひたすら信じて登ると石積み切岸に15分程で到着します。休憩等は道の駅くめなんをご利用ください。R4.3.3訪城<久米郡久米南町指定史跡>
2022年03月04日 ドクターイエロー大蔵大輔
草木城[竜王山城 周辺城郭]
細い尾根筋の最先端に築かれた比高差80mの城です。道路に被る鞍部に堀切を有し、その背後にもう一つ大きめの堀切と竪堀で遮断されています。主郭には小さな社が二つ祀られており、尾根先端にかけて5面の小さな曲輪を伴った連郭式構造となっております。また南側にも細長い曲輪があります。
佛教寺南参道の超細い舗装された山道を国道から分岐して500m程登ると右手に破壊された堀切(竪堀と化しています)が現れます。この付近はやや広くなっているので何とか1台くらいならば駐車は可能です。竪堀の横から上に登っていくとすぐに大きめの堀切に出ます。転回の際に竪堀に落ちないように気をつけてください。休憩等は道の駅くめなんが近くにあります。R4.3.3訪城
2022年02月03日 ドクターイエロー大蔵大輔
上殿城[竜王山城 周辺城郭]
上殿(うえんと)城
標高350mの尾根筋頂部に位置しています。主郭に相当するエリアには現在河島神社が築かれており宝篋印塔が2基納められています。神社の影響で遺構はかなり失われているものの、社殿の北側に1本、東側に2本の堀切が藪の中に佇んでいました。
神社手前に小型車2台程度の駐車スペースはありますが、何せ道幅が狭いので大型車はおススメできません。R4.2.3訪城
2022年02月03日 ドクターイエロー大蔵大輔
下風城[竜王山城 周辺城郭]
下風(しもかぜ)城
隣国の備前にほど近い美作國最南端の城のひとつで、標高230mの山頂に築かれています。周囲を土塁で囲まれた四角形状(約30m四方)の主郭の周囲に幅のある曲輪で囲んだ輪郭式構造となっています。また主郭の一部では人為的に折れを設けて横矢掛かりが可能になっているようです。
あまり防御態勢の遺構は少ないようですが、南西側には竪堀を有しています。岡山県中世城館跡総合調査書によると北東側には堀切があるとのことでしたが残念ながら雑木林に阻まれ確認には至りませんでした。
城山のすぐ西側には舗装路が通っています。しかし明確な登城路はなく、駐車スペースの南側道路沿いに人為的に山肌が削られた箇所を見つけて(リア攻めマップ参照)躊躇することなく木々を伝って約3mの崖を登り、藪コキしながら進むと竪堀を発見します。更にそこから崖、…ではなく今度は切岸をよじ登るとやっと雑木の中に平坦な広い城内が眼の前に拡がります。R4.2.3訪城
2022年02月03日 ドクターイエロー大蔵大輔
鶴田城[竜王山城 周辺城郭]
鶴田(たづた)城
旭川沿いの標高263mの山頂に築かれています。美作國の南端に位置しており、東方の下風城、伏山城、伊勢畑城らと共に国境の監視に携わっていたのでしょうか?
城域は結構広く、曲輪の両端は約200mの距離で、三日月のような少しカーブした形です。岡山県中世城館跡総合調査書によると中央部の最高峰部に広い主郭があって西側には広い曲輪があります。北東側には雛壇状に5~6段の小曲輪を配し、最北端の広い曲輪には付随して北東方向には井戸、北西方向には土壇らしき遺構が確認されます。また各所に石垣も見られますが、土塁はほとんど見られませんでした。
急峻な城山ですが、唯一傾斜の緩いのが北西方向(登城道もこの方角です)。ここには畝状竪堀群や土橋を伴なった堀切を配して尾根筋を遮断しています。防御力は高そうです。
県道30号線から分岐する道は舗装されているもののかなり道幅狭く、離合する箇所も少ないため小型車がおススメです。登城口にはちゃんと案内看板が設置されており、付近にはやや道幅の広くなったスペースがあります。登城道は結構荒廃していますが、赤のリボンのエスコートで数分程で堀切上の土橋を渡り最北端の曲輪に到着します。城域は広いので予め縄張り図を用意される方が賢明です。R4.2.3訪城
2021年04月04日 龍馬備中守【】
伊勢畑城[竜王山城 周辺城郭]
岡山県の美作市にある伊勢畑城♪1月27日に行って来ました♪溜まりに溜まった未登録城出していかなきゃ汗という事で伊勢畑城の詳細は…正保書上五四城の1つで「古城之覚」では久米南郡下神目原村の「伊勢畑」として城主を赤松上野守とすると載っている為、赤松氏が関わってます☆赤松左衛門尉家盛は「伊勢旗」にあり、のち上野守家盛というと言う事でこの方が城主様なのでしょう♪嘉吉年中には「伊勢国長野の一党」が遷座、城郭を構えて伊勢畑城とあって、その頃には一族の「伊勢守藤原兼光」が城主にともあります☆
城郭としては主郭から南東に向かって段郭を連ねます☆主要部分である主郭、副郭の輪郭には土塁で囲みこみます♪更に南側、北側には三重の堀切を設けていてこの辺りは戦国期の顔をしています☆南側の三重堀切側が大手と思われます☆
歴史詳細は不明な点が多くその後の歴史が伝わっていないのですが、見た印象、恐らく戦国時代に誰かが入り改修したと感じました♪土塁囲み、三重堀切の防御体制を見ると宇喜多氏の陣城として活用?した物に見えます☆津山市にある岩屋城を取り囲んだ宇喜多氏はここを落とす為に砦群(楽万の上砦等)を築いていてその時の造り方に非常に良く似ている♪この頃の宇喜多氏は毛利家を離反して織田方へ行った後なので城の造り方にも変化が出てくる過程でもあります☆(織田方の築城技術が入ってくる)
不明な事が多いからこその妄想癖w
これはこれで楽しいですね♪.
2021年02月18日 ドクターイエロー大蔵大輔
竜王山城
国道53号線の上神目交差点を折れて上籾方面へ県道375号線を進み、ひたすら籾山神社を目指してください。神社(城跡)のある山の西側の三叉路付近よりアクセス。ここからは道幅狭くなりますが、約200mで神社に到着します。境内下に駐車させてもらい、奥の坂を登り本殿手前より右に折れて山道を約100mほど進むと間もなく主郭の標識に到着します。周囲には横堀が巡らされ、一部で土塁や石積も確認できました。
なお近所(直線距離で約1キロ)には備前国侵略を図った三村家親が宇喜多直家の刺客に暗殺されたとされる興善寺跡があります。小さい池沿いの道から約30mほど奥の山際にひっそりと宝篋印塔が3つ佇んでいます。非常に分かりにくい場所ですが、池の淵に赤い矢印の小さな看板が立っています。リア攻めマップを参考に是非とも頑張って探してみてください。R3.2.11訪城
2020年09月24日 しおうまる美作守
伏山城[竜王山城 周辺城郭]
美作国伏山(ぶしやま)城
弓削庄27ヶ村の総氏神として祭られた志呂神社のすぐ南、標高130m比高60m。東西20m、南北170mの丘陵上に築かれる。最初地図で見る限り古墳?と思えるほど形の良い小山。現在つつじの丘展望所として名が残るが、その実かなり荒れており舗装がわずかに確認できる。しかし小城と侮ることなかれ、短路ではあるが急峻な傾斜と、尾根上は大人が2並べない場所もあり足元要注意である。
遺構としては北端の堀切1条竪堀1本。小ぶりで何とも可愛らしいが、容赦なくぶった切っている所はさすがである。
さて、足を南に向けよう。南西の主郭まで細長い曲輪が4面ある。その中央付近には巨石がゴロゴロしており、おっさん1人がようやく通れる幅を行く。眺めはここが1番良い。北東には伊勢畑城の山が見える。
メインとなる主郭部周辺は石垣が複数残存している。今にも崩れそうだがこれがまた格別。石垣はこうでなくっちゃ♡"とテンションが上がること請け合い。
主郭北西側には折れや屈曲する高さ1~2m程の石垣があり食い違い虎口となっている。また東側は高さ3~4m、長さ20mにも及ぶ石垣があったとされ、東側の防御力を高め、曲輪の幅を広げる目的もあったそうな。しかし現在一部を残すのみとなっている。
【登城日】令和2年9月16日
引用参考文献、岡山県中世城郭館跡総合調査報告書 他
2020年09月17日 しおうまる美作守
伊勢畑城[竜王山城 周辺城郭]
美作国有数の土の城郭、伊勢畑城。標高249m、比高170m。城主は1504年、赤松左衛門尉家盛のち上野守と伝わる。
北より徒歩で林道を抜け城域へと侵入。城郭まではなだらかな道が続きとても歩きやすいが、釣り糸の様な女郎蜘蛛の糸には悩まされた。
さて、まず出迎えてくれたのは、堀切、竪堀、横堀のお決まり3英傑!残念なことに林道により一部埋められてはいるものの、その存在感は十分。
一歩曲輪に足を踏み込めば、東西240m、南北320mと、その城域の広大さにまず目を見張る。
西側面は南に向けて①土塁が綺麗に曲線を描く。と思いきや、各郭の殆どが土塁に囲まれていることが分かるのは、もっと先のお話。
西の土塁に沿って南へ移動。縄張り図がなければきっと見つけられなっかた②石積み。専門家の皆様に感謝したのは言うまでもない。
その先は西北の曲輪Xと南の曲輪Ⅶ間に位置する、緩急のある広い空間。ここで土塁が途切れる。下方を見ると傾斜が一点に集中するかの様に③虎口(大手?)がある。近づいて上から見下ろすと食い違い虎口になっていることに気づく。
さらに南に行けば、こちらも堀切、土塁、桝形状の竪堀、横堀が複雑に絡み合い④横矢に狙われながら急な⑤切岸にぶち当たる。
その切岸に沿って侵入口付近へ戻ると、周囲を土塁で囲まれ横堀をあつらえた虎口に遭遇。ここから主郭まで、4つの曲輪を攻略しないと辿り付けないが、塀も柵もないので一気に駆け上がる。周囲は他にも竪堀が複数張り巡らされいる。
参考文献:岡山県中世城館跡総合報告書、他