神楽尾城(かぐらおじょう)
神楽尾城の基本情報
通称・別名
- 平家城
所在地
- 岡山県津山市総社、上田邑、一宮他
旧国名
- 美作国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 宇都宮教貞
築城年
- 正平年間(1346〜1370)以前
主な改修者
- -
主な城主
- 宇都宮氏、山名氏、尼子氏、大蔵氏、千場氏
廃城年
- 天正7年(1579)頃
遺構
- 曲輪、腰曲輪、帯曲輪、土塁、堀切、竪堀、畝状竪堀、虎口、土橋、馬場、武者溜り
指定文化財
- 市史跡(神楽尾城跡)
再建造物
- 碑、説明板
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神楽尾城の解説文
神楽尾城の口コミ情報
2017年07月16日 大隅守上
神楽尾城
神楽尾キャンプ場の駐車場に車を置きます
神楽尾城へは小原ルートで行くのが距離的には短いです。
帰りは総祉東ルートで帰りましたが
こっちのルートは距離的には長いです。
登城道は整備されて歩きやすいです。
2010年10月31日 徳川内大臣源朝臣康武
神楽尾城
平成22年10月30日、国民文化祭岡山大会、中世山城の祭典&全国山城サミット津山大会
神楽尾城の現地見学会は、非常に盛り上がっておりました
イベントもさることながら、保存会の皆さんの素晴らしい保存、整備、活用への取り組みに、頭が下がります
津山盆地の内、小原・総社方面と上田邑方面とを画する標高308mの神楽尾山山上に築かれた山城。
【城史】
築城年代は不明であるが、美作国府に近く、国府との関係を指摘する意見がある。また、江戸時代の地誌である「作陽誌」によると、承平7年(937)頃に同一山塊に宇都宮教貞が築城したとの記載がある。さらに、「作陽誌」には建武3年(1336)頃の城主名があらわれることから、南北朝時代には既に城として存在していたことがうかがえる。
室町時代後期に至り、天文年間(1532~55)以降、山名氏、尼子氏、次いで毛利氏の勢力下に入ったが、天正7年(1579)に城在していた千場土佐(三郎右衛門)らが、敵対関係にあった荒神山城主で宇喜多氏の部将であった花房職秀に敗れてのち廃城となったとされる。
【縄張】
山頂の本丸を中心に、南西側に武者溜・馬場、堀切を挟んで三の丸、南東側に独立した別郭の二の丸から構成される。
主郭は1辺約40mのほぼ方形の区画で、地形に沿って腰曲輪が配される。本丸と三の丸をつなぐ武者溜・馬場は城内で最も広い空間であり、東側と南側正面に平入り虎口が設定されている。東側虎口は二の丸へ、南側正面は城道に通じる。三の丸は城道を制する役割を果たし、南側斜面に帯曲輪と畝状空堀群による遮断線が設定されている。
二の丸は、堀切を挟んで北側の主郭部と南側の土塁を配した郭群に分かれる。二の丸だけで縄張りが完結しており、本丸や三の丸との連携はほとんど見られない。
情報提供:津山市教育委員会