医王山城(いおうやまじょう)

医王山城の基本情報

通称・別名

祝山城、岩尾山城

所在地

岡山県津山市吉見1609他

旧国名

美作国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

上道是次

築城年

南北朝時代以前

主な改修者

主な城主

山名氏、三好氏、湯原氏、宇喜多氏

廃城年

天正9年(1581)頃

遺構

曲輪、石垣、虎口、桝形虎口、土塁、堀切、畝状竪堀

指定文化財

市史跡(医王山城)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

矢筈城(岡山県津山市)[8.6km]
神楽尾城(岡山県津山市)[8.6km]
津山城(岡山県津山市)[9.0km]
有元城(岡山県勝田郡)[10.1km]
院庄館(岡山県津山市)[13.2km]

医王山城の解説文

立地
標高340m(比高約190m)の山頂に築かれた山城。東に加茂川が流れ、西には深い谷が入り込み、北に続く峰と南端は堀切で画してあるため、天然の要害となっている。因幡から津山盆地へ抜ける往来筋にもあたるため、この往来筋の掌握も意識して築かれたと考えられる。

城史
初めて築城したのは、南北朝期以前の上道是次とされている。南北朝期の美作では山名氏と赤松氏が抗争を繰り広げており、医王山城も両氏が交互に拠守した。天文年間(1532~55)には出雲の尼子氏が2度侵攻し、その度に城は尼子氏の手に落ちた。尼子氏滅亡後の美作は、毛利氏と宇喜多氏の対立に巻き込まれ、医王山城には毛利方の湯原春綱が籠り、宇喜多勢と激しい攻防を繰り返した。

縄張
北側の山頂部と南側の尾根頂部を中心に南北に長い城域を持つ。本丸を北端に置き、北東を大手、南を搦手とし、南北に細長い郭を配置する。本丸北側の尾根筋に連続堀切、南側尾根頂部の南面に放射状の畝状空堀群を配し、堅固に防御している。

本丸では西側と北東側に石塁を設け、両石塁が少し食い違っているため、西側の石塁隅でひと折れして中へ入る虎口となっている。南側尾根頂部の郭では石垣の桝形虎口がみられる。また、本丸付近では瓦が採集されており、瓦葺きの建物があったと考えられる。虎口や瓦の様子から、織豊系縄張り技術による改修がおこなわれたと考えられる。

情報提供:津山市教育委員会

医王山城の口コミ情報

INO-C-C左近衛少将様[2015年02月05日]
登山口は岩尾寺の裏からです。駐車スペースもあります。(寺の土地ですが。。。)

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