院庄館(いんのしょうやかた)
院庄館の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 岡山県津山市院庄(作楽神社)
旧国名
- 美作国
分類・構造
- 平城(方形館)
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 鎌倉時代前期
主な改修者
- -
主な城主
- 後醍醐天皇
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀、井戸
指定文化財
- 国史跡(院庄館跡(児島高徳伝説地))
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
神楽尾城(岡山県津山市)[4.5km]
津山城(岡山県津山市)[5.6km]
葛下城(岡山県苫田郡)[7.7km]
岩屋城(岡山県津山市)[10.0km]
医王山城(岡山県津山市)[13.1km]
西屋城(岡山県苫田郡)[13.5km]
竜王山城(岡山県久米郡)[16.9km]
三星城(岡山県美作市)[19.2km]
井の内城(岡山県美作市)[20.0km]
周匝茶臼山城(岡山県赤磐市)[20.5km]
院庄館の解説文
[引用元:Wikipedia「院庄館」の項目]
作楽神社(さくらじんじゃ)は、岡山県津山市神戸にある神社である。鎌倉時代から室町時代にかけて美作国守護の館(「院庄館」)があった地に、後醍醐天皇とその忠臣児島高徳を祭神として、明治2年(1869年)、津山藩主松平慶倫により創建された。
境内には約100本のソメイヨシノが植えられている。また、神社の敷地全体が、国指定の史跡「院庄館跡(児島高徳伝説地)」となっている。
由緒
1331年(元弘元年)に鎌倉幕府の打倒に失敗し囚われの身となった後醍醐天皇は光厳天皇への譲位を強制された後、翌年3月になって京から隠岐へ配流されたが(元弘の乱)、その途上、美作国院庄の守護館に宿泊した。一方、備前国の土豪児島高徳は手勢を率いて、護送の途中で先帝(後醍醐天皇)を解放しようと企てたが、好機を見いだせないまま院庄まで追跡してきていた。厳重な警護をかいくぐり守護館の庭に単身潜入した児島高徳は、桜の木の幹を削って白くなった所に、次のような十字詩を刻んだ(「白桜十字詩」と呼ばれる)。
- 天莫空勾践 時非無范蠡
- 【書き下し文】天、勾践を空(むな)しうすること莫(なか)れ。時に范蠡無きにしも非ず。
- 【大意】天は、呉との戦いに敗北し捕らわれた越王・勾践を見捨てなかったように、先帝を見捨てることもありません。勾践に范蠡という忠臣がいたように、先帝を助け出す忠臣が必ず現れましょう。
江戸時代になって津山藩家老、長尾勝明は児島高徳の忠義心を讃え、1688年(貞享5年)、その桜の樹があったと伝わる場所に、高徳顕彰碑を建てた(現存、外部リンク参照)。
そして、津山藩主松平慶倫は、1868年(明治元年)に政府から神社創設の許可を得て、翌1869年(明治2年)11月27日に社殿が完成し、作楽神社の創建となった。1877年(明治10年)、県社となり、1903年(明治36年)、従三位の神階を贈られた。
歴史
児島高徳を主人公にした史劇を公演していた俳優川上音二郎は、1907年(明治40年)に新たな拝殿を寄進した。この建物は、後に神楽殿に転用された。
1922年(大正11年)3月8日、敷地全体(30,189平方メートル)が、「院庄館跡(児島高徳伝説地)」として国の史跡に指定された。1973年(昭和48年)11月から1974年(昭和49年)3月までと1980年(昭和55年)11月から1981年(昭和56年)1月までの2度にわたり、津山市教育委員会によって発掘調査が行われた。
達筆であった後醍醐天皇と児島高徳にあやかり、1981年(昭和56年)以降、毎年1月中旬(2007年は1月14日)に、古筆感謝祭(筆まつり)が行われている。
神紋
丸に桜花
社宝
- 太刀(銘国行) - 重要文化財(1929年(昭和4年)4月6日指定)。松平慶倫寄進。
- 児島高徳公木造 - 津山藩主松平斉孝(康孝)の命により1812年(文化9年)製作。
- 古刀3口
主な年中行事
- 古筆感謝祭(1月中旬)
- 例祭(4月第2日曜日)
交通
- JR姫新線院庄駅から徒歩で約15分
- 中鉄バス・おおぞらバス「作楽神社前」停留所下車
- 中国自動車道院庄インターチェンジ出口から西へ約500メートル
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院庄館の口コミ情報
2024年07月07日 ザビ
院庄館
落ち着いた雰囲気 いろいろな説明あり じっくり見学できました。
2022年12月25日 国府左京大夫城介
院庄構城[院庄館 周辺城郭]
美作守護または守護代の館跡
【歴史】
築城者・築城年代は共に不明。
戦国時代には複数の勢力により城主は、山名氏→赤松氏→山名氏→浦上氏→毛利氏→宇喜多氏→毛利氏と激しく変遷している。天正9年(1581)6月頃には、毛利氏の家臣片山杢之助宗満が在城し、「皿山の取手」(嵯峨山城)に拠る宇喜多氏の家臣河端丹後と対峙している。
慶長8年(1603)に、小早川秀秋の後に森忠政が美作に入ると、津山に移るまでの「仮居所」となる。津山城が完成した後も暫くは残っていたが、寛永15年(1638)に破却された。
【遺構】
院庄館の南に約650mに位置していた方形居館であったが、現在は石碑のみがあり、遺構は消滅している。
「岡山県中世城館跡総合報告書」によると、東西約140m、南北約150mの歪な長方形(復元想定図を見ると、平行四辺形に近い)で、周囲を水堀が巡らされていた。また、南側には旧出雲街道が東西に走っている。
【感想】
完全に遺構は消滅していますが、石碑がある部分は周囲(水田)より僅かに高いことが分かります。また、同じ場所に石碑が二つあり、一つは全く城とは関係ない石碑(貞烈純孝島田母子之碑)で、こちらの方が大きいので最初勘違いしてしまいました。城址碑の方が小さく木の影に隠れているので注意してください。
【アクセス】
院庄館(作楽神社)から徒歩10分。
【写真】
①遠景(北側から)
②入口
③周囲より高い地形にある
④城址碑
⑤貞烈純孝島田母子之碑
⑥出雲街道と石灯篭
2022年08月15日 為せば成る
院庄館
美作の守護職館の跡に作楽神社、後醍醐天皇が立ち寄った、厳かでパワーが宿る歴史を感じる場所でした。
2022年06月05日 播磨守風のこうちゃん播守
院庄館
中国自動車道・院庄ICから直ぐです。作楽神社を目掛けて行きましょう☝️院庄駅から徒歩15分と書いてました。現地、無料駐車場有り。トイレ有ります。
2021年05月03日 ドクターイエロー大蔵大輔
鬼山城[院庄館 周辺城郭]
標高170m(比高50m)山頂に築かれています。交通の要衝に造られていて、周辺地域をくまなく押さえることのできる位置にあります。北側と南側に城域が区分され、それぞれに階段状の曲輪(北に6段、南に3段)が配置されています。城の西側は切り立った切岸で固められ、更に上部には土塁が続いています。北の曲輪には鬼の井戸跡と竪堀もわずかに確認できました。コンパクトな山城ですが、主郭、切岸、土塁、堀、曲輪等の遺構が比較的良く残っているようです。
地元の保存会の尽力により県道70号線からの案内看板が整備され迷うことなく城に行けます。ただし道は細く急勾配なので大型車には不向きです。有り難いことに西側切岸直下まで車で乗りつけることが可能で小さな駐車場(2台可能)も用意されています。更に仮設トイレやパンフレットも用意されています。ベンチも設置してあり、見学しやすい城です。地元愛、素晴らしいですね!感謝感謝です。
この地には元祖・美咲桃太郎伝説が伝えられており、岡山市、香川県高松市、愛知県犬山市の桃太郎三大伝説地よりも2年前に発表された日本一早いものとのことです。鬼が住みついていた山なので鬼山、納得ですね!城の周りには伝説の地が点在しています。地名にも残っています。パンフレットをゲットしてゆかりの地ウオーキングも良さそうです。
またここ美咲町は幕末から明治にかけて活躍したジャーナリスト岸田吟香(麗子像で有名な洋画家・岸田劉生の父)の出身地でもあります。吟香は明治5年(1872)卵かけご飯を食べた日本で初めての人物とされ、周囲に卵かけご飯を勧めたとされています。城の南東2キロの美咲町運動公園内には美味しい卵かけご飯のお店があります。おかわり自由!城攻めの疲れを癒してください。R3.5.3訪城
2021年04月09日 しおうまる美作守
美和山古墳群[院庄館 寺社・史跡]
岡山県津山市二宮に所在する、国指定史跡美和山古墳群です。
美作地方最大の前方後円墳である全長80mの1号墳(胴塚)2号墳(円墳、蛇塚、直径34m)3号墳(円墳、耳塚、直径37m)と6号墳(円墳、直径16m)の4基で構成されています。戦国期においては山城としても利用され、江戸時代にまとめられた作陽志には、城主立石掃部亮久朝のとき三星城主、後藤勝基によって陥落したとあります。南には隣接する龍潭寺がありますが、西方に駐車スペースがありますのでご利用はこちらがお勧めです。
山城跡と言うことで訪ねましたが、どこからどう見ても気持ちよく古墳です。
しかし…周囲には人の気配が全く無く、前線の出城に取り残された足軽の気分。
城郭遺構としては北側の紫竹川を天然の堀とし、前方後円墳の前円部と後円部の先端部、曲輪となる上部の削平地に土塁が残っています。丘陵からの見晴らしは良く、周囲を見渡すと北部に神楽尾城、南は嵯峨山城、東へ目を向けると津山城と、周辺の城の位置関係がハッキリ分かります。以前、神楽尾城に登城したときは美和山城が上から丸見えでした。神楽尾が落ちれば必然的に落ちる城ですね。
ジャンルは違いますが、古墳が好きって方の気持ち分かった気がしました♪
【フォト一覧】
上左より
① 北側より前円より後円方向
② 現城主様のお宅入り口…笑
③ 東側後円部の土塁
④ 西側前円部の土塁
下左より
① 主郭となる後円部上の土塁
② 北部神楽尾城遠望(中央)
③ 東部津山城遠望(中央)
④2号基
【登城日】令和3年4月2日
2020年10月19日 織田上総介晃司
院庄館
院庄IC近くの作楽神社が院庄館跡となります。作楽神社参拝者用駐車場が南側にあります。
作楽神社からほど近い場所の「道の駅久米の里」に全長7mのZガンダムがあります。
院庄ICから北上すると美作三湯の1つ奥津温泉があります。津山藩主専用の鍵湯があるなど由緒ある温泉です。冬場を除く毎週日曜朝8:30より早乙女姿の女性の方による足踏み洗濯の演習が行われております。宿泊者や朝駆けの方へのちょっとしたご褒美です。
2020年10月19日 ドクターイエロー大蔵大輔
院庄館
中国自動車道・院庄ICよりすぐのところにあります。駐車場も広く用意されています。敷地内には作楽神社があって、御城印ではなく御朱印を授かることができます(15時までです)。広くて静かな佇まいに圧倒されます。R2.10.18訪城