津山城(つやまじょう)
津山城の基本情報
通称・別名
- 鶴山城
所在地
- 岡山県津山市山下
旧国名
- 美作国
分類・構造
- 梯郭式平山城
天守構造
- 独立式層塔型[4重5階地下1階/1616年築/破却(廃城令)]
築城主
- 山名忠政
築城年
- 嘉吉元年(1441)
主な改修者
- 森忠政
主な城主
- 山名氏、森氏、松平氏
廃城年
- 明治6年(1873)
遺構
- 曲輪、石垣、横堀
指定文化財
- 国史跡(津山城跡)
再建造物
- 備中櫓、塀、石碑、説明板
周辺の城
-
神楽尾城(岡山県津山市)[3.1km]
院庄館(岡山県津山市)[5.6km]
医王山城(岡山県津山市)[9.0km]
葛下城(岡山県苫田郡)[12.3km]
三星城(岡山県美作市)[13.9km]
有元城(岡山県勝田郡)[15.4km]
岩屋城(岡山県津山市)[15.6km]
井の内城(岡山県美作市)[15.8km]
西屋城(岡山県苫田郡)[16.0km]
周匝茶臼山城(岡山県赤磐市)[17.4km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- 67 津山城
設置場所
- 津山城備中櫓受付[地図]
津山城の解説文
[引用元:Wikipedia「津山城」の項目]
File:Aerial photo of Tsuyama Cstl 1976.jpg|thumb|250px|right|津山城の空中写真(1976年(昭和51年))
:File:Tsuyama cstl stereo 1976.jpg|主要部のステレオ写真はこちら津山城(つやまじょう)は、美作国 苫田郡(のち西北条郡)[1]津山(現在の岡山県津山市山下)にあった日本の城。別名・鶴山城(かくざんじょう)。城跡は国の史跡に指定されている。津山市は建造物の木造復元など保存計画を行なっている。
概要
城郭の形式は梯郭式平山城。日本三大平山城のひとつ。津山盆地の中央部に位置し、城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取り入れている。城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要部を形成している。
往時は外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並び[2]、明治初頭にその様子を撮影した写真が残されている。また、近隣の津山郷土博物館には、文献や古写真に基づいて製作された津山城の復元模型があり、往時の姿を窺うことができる。明治6年(1873年)の廃城令により天守・櫓などの建物が破却され、現在は遺構の石垣や建物の礎石が残り、2002年(平成14年)から2006年(平成18年)までに再建された備中櫓と土塀がある。
現在は鶴山公園(かくざんこうえん)として桜の名所となっており、日本さくら名所100選にも選ばれている。例年4月1日から15日には城跡公園を中心に津山さくらまつりが催される。
構造
天守は破風を持たない4重5階地下1階の層塔型天守で、南側に六番門(櫓門)を付属させる複合式平面の天守であるが、天守へは東側の穴蔵入り口から出入りする構造であった。天守台の高さは約3間、穴蔵の高さは11尺5寸、天守建物の全高は約23メートル。平面規模は初重、梁間10間(65尺)、桁行11間(71尺5寸)であった。初重の壁面の四隅には袴形の石落としを付け、各階4重目までに鉄砲狭間と矢狭間を開けた。最上階は明治期の写真では、戸板に覆われている様子が写されており、その下階の4重目は最上階とほぼ同規模に造られていることが寸法からも伺われることであるが、創建当初は外廻縁に高欄を廻らせていた。4重目の屋根は板葺きで、軒出も浅く造られていた。これは、言い伝えによると幕府からの咎を避けるためという[3]。一方、国立公文書館に所蔵されている正保城絵図の『美作国津山城絵図』では天守の傍らに「天守五重高十一間」と注記がある[4]。
津山城天守寸法一覧 階数 梁間(東西) 桁行(南北) 5階 (5重) 5間(33尺8寸) 6間(39尺3寸) 4階 (4重) 5間(33尺6寸) 6間(39尺5寸3分) 3階 (3重) 6間(41尺2寸) 7間(47尺8寸2分) 2数 (2重) 8間(50尺8寸7分) 9間(57尺2寸) 1階(初重) 10間(65尺) 11間(71尺5寸) 地下階(穴蔵) 4間半 5間 伝承
小倉城の天守を模して造られたともいわれているが[5]、これに関してひとつの伝承がある。小倉城の天守の評判を聞いた森忠政が築城にあたって小倉に家臣の薮田助太夫を派遣した。海に面して築かれた小倉城は海の上から検分できたため、船を出して津山から同行した大工と絵師に天守を見取らせようとしたが、検分していたところを小倉の家中に見つかってしまった。事情を伝え聞いた小倉城主の細川忠興は、薮田一行を城内に招き入れて好きなだけ調査させ図面まで手土産に持たせたという話が伝わっている。
同様の話で慶長8年(1603年)に津山築城に携わっていた大工の保田惣右衛門が小倉城の天守を写して津山に帰ったという伝承がある[6]。ちなみに、小倉城天守の竣工は慶長15年(1610年)である。
また、関連は定かではないが、津山城天守最上階には小倉藩細川家(後の熊本藩細川家)から贈られた西洋風の鐘が明治期まで釣られていた[7]。
森忠政の領する津山に5重の天守が建ったことを知った幕府は、さっそく忠政にこの旨を問い詰め、忠政はとっさに「4重である」と主張したが、幕府は疑いをぬぐえず津山に調査の使者を向かわせた。忠政は急ぎ家臣伴唯利を津山に先回りさせて、天守の4重目の屋根瓦を破棄し「あれは庇(ひさし)であって4重である」と言い切り、難を逃れたと伝えられている。ちなみに、伴唯利は仙術を使って一夜のうちに江戸から津山に到着したという。
歴史・沿革
室町時代
- 1441年 - 1444年(嘉吉年間)、美作国の守護大名であった山名教清が、一族の山名忠政に現在の津山城のある丘陵(鶴山)に鶴山城を築かせたのが最初である。しかし応仁の乱で山名氏衰退ののち廃城となる。
江戸時代
- 1603年(慶長8年)森忠政が18万6千石で入封し津山藩が立藩。同年、現在見られる津山城の築城に着手。また、城地の名を「鶴山」から「津山」に改めた。
- 1616年(元和2年)13年の歳月をかけ完成。天守、櫓、城門などを合わせ80余棟が建ち並ぶ近世城郭となった。
- 1697年(元禄10年)森家断絶。安芸国広島藩主・浅野綱長の預かりとなる。
- 1698年(元禄11年)松平宣富(越前家)が越後国高田藩より10万石で入封。以後、明治4年(1871年)の廃藩置県まで城主となる。
- 1809年(文化6年)火災により本丸御殿焼失。
近現代
- 1873年(明治6年)廃城令により大蔵省管理となり競売される。
- 1874年 - 1875年(明治7年 - 明治8年)天守・櫓などの建物がことごとく破却される。四脚門については、美作国一宮の中山神社に移築されたことが、唯一確認されている[8]。
- 1890年(明治23年)腰巻櫓跡石垣の崩落。これを契機に城の保存運動が起こる。
- 1900年(明治33年)城跡は町有化され鶴山公園となる。以後、津山町の管理下のもと保存整備され、桜の木が多数植えられる。
- 1905年(明治38年)三の丸に藩校の修道館を移築し、「鶴山館」と改称する。
- 1936年(昭和11年)姫津線全通記念産業振興大博覧会(3月26日から5月5日まで開催)で模擬天守を建てる。
- 1945年(昭和20年)博覧会模擬天守を空襲の目標とされる危惧により解体。
- 1963年(昭和38年)国の史跡となる。
- 2002年(平成14年)築城400年記念行事の一環として、備中櫓復元工事に着手。平成17年(2005年)完成。
- 2006年(平成18年)天守台南側に太鼓塀を復元。
- 2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(67番)に選定された。
- 2013年(平成25年)天守台に創建当時の天守外観を模した1/2規模の模擬施設を期間限定で設置[9][10][11][12]。
整備計画
昭和63年、津山市によって「史跡津山城跡保存整備計画」が策定された[13][14][15]。平成10年度から平成29年度までの予定で復元・石垣修復・通路や樹木の整備などが行われた。
- 第一期
- 本丸曲輪周辺の虎口の整備、本丸五番門南の石垣、天守曲輪北腰石垣を修復した。
- 備中櫓を復元した。
- 鶴山球技場・鶴山動物園を撤去し整備した。
- 第二期
- 第一期中に実施できなかったもの、追加の整備を行った。
画像集
ファイル:tuyama castle tensyudai.JPG|天守台 ファイル:tsuyama castle tensyunaibu.JPG|天守台内部 ファイル:Tsuyama Castle08s5s4272.jpg|天守台の入口 ファイル:Tsuyama Castle02n3200.jpg|石垣 ファイル:tuyama castle uratetumon.JPG|裏鉄門跡 ファイル:Tsuyama Castle14n3200.jpg|鶴山館 ファイル:Tsuyama Castle09n3200.jpg|天守台から見る備中櫓 ファイル:津山城 備中櫓と桜.jpg|備中櫓と桜 ファイル:Tsuyama_castle_mogitenshu.JPG|備中櫓から見る模擬天守 現地情報
城跡は鶴山公園(かくざんこうえん)として整備されている。入園は有料。
アクセス
- JR姫新線・津山線 津山駅から徒歩で約15分。
- 中国自動車道 津山インターチェンジまたは院庄インターチェンジから約15分。
参考資料
- 【書籍】「定本 日本城郭事典」
- 『史跡 津山城跡』 津山市教育委員会作成パンフレット
- 『津山城跡(鶴山公園)・衆楽園』 現地配布冊子
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津山城の口コミ情報
2024年10月15日 自転車制覇
津山城
「夏草や兵どもが夢の跡」
いつも植物の逞しさに驚きます。石垣と彼岸花です。
2024年07月21日 ドクターイエロー大蔵大輔
津山城
7月15日に大雨の影響にて津山城二の丸長柄櫓石垣が幅30m高さ12〜13mにわたって崩落して、26日まで鶴山公園(津山城)は立入禁止になっています。お気をつけください。
2024年05月08日 たくのすけ近江守
津山城
非常に綺麗に整備されておりました。石垣は非常に見応えがあり、桜や紅葉の時期にまた訪れたいです。
2024年04月03日 NAO蔵人頭
津山城
桜もキレイで復元された備中櫓では映像も流れていて見学でき天守閣跡も見晴らし良くステキなお城
2023年04月02日 ゆらキング⭐️左衛門佐信繁
津山城
日本100名城に名を連ねる美作は津山城ですが、桜の名所としても有名🌸今回は津山さくら祭りに呼ばれました😊めっちゃ綺麗で、また賑やかで、コロナ禍の時を考えると夢のようです😂
2023年03月31日 水野山城守祐利【7】
津山城
桜満開の津山城。桜の名所だけあって、この時期は城を見る前の駐車場探しが大変。城の直下にわりと駐車場はありますので、満車でも待っていれば意外と早く車停められます。桜まつり限定ピンクのご城印(400円)がありますし、城下、城内にキッチンカーなど多数出店されていますので、食事もできます。桜まつりは4月9日まで開催されています。期間中開園時間は7:30〜22:00。入園料は大人310円、お子様は無料ですよ!
2023年03月30日 山下相模守正成
備中櫓[津山城 遺構・復元物]
「備中櫓」という名前は初代津山藩主・森忠政の娘婿にあたる「池田備中守長幸(ながよし)」に起因するとされており、長幸が津山を訪れた頃に完成したのがこの櫓だと言われています。また、発掘調査時には櫓跡付近から池田家の家紋である「揚羽蝶」が刻まれた瓦が出土しており、その瓦が写真のように復元されています。
2022年09月21日 くっしー治部大輔尚人
津山城
総石垣の素晴らしいお城です!
桝形虎口がこれでもかってぐらいたくさんあって、平山城ですが、守りは堅いですね。
石垣は野面積みですが、あちこちに矢穴が見られます。
本丸には備中櫓が復元されています。天守は復元されていませんが、そこからの眺めはとても良いですよ!!
平日だったので、発掘している様子も見ることが出来ました。
駐車場は無料、入場料は310円です。
2022年09月13日 戒能中務少輔桜
津山城
先日、津山城へリア攻めしてきました。天守閣がないのとこじんまりしているので、それほど時間はかかりませんでした。備中櫓が復元されてみることができます。畳が敷かれているのが珍しいです。また壁には唐紙が貼られていて、とてもおしゃれでした。
桜の季節は、上から眺めたら、ピンクの絨毯でさぞかし綺麗でしょうね。ポストカードで見ましたが、生で見てみたいなあと思いました。
ハートの石を見つけようとは思ってませんでしたが、上に上がるとありました。眺めは良いですが、ロープが貼られているだけなので、なんとなく心細かったです。実際花見の時に酔って落ちた人もいるそうなのでお気をつけください。
2022年07月24日 MY中務少輔
津山城
今日津山城に行ってみました。
御城印は四種類あります。ちなみに100名城スタンプと御城印は備中櫓あります。そのほか100名城、続100名城スタンプラリー帳等の書籍📚があります。
丘を登ると綺麗な景色が観れます(丘を登るのは少しきついけど💦)
天守台にハート形の石があります。(ハートの奇石)(写真参照)・・・
まあとにかく行ってみられるといいよ。
2022年04月06日 るん山城守⛄
津山城
城めぐり12周年おめでとうございます㊗️
記念すべき4月6日、城の日に津山桜まつりに行ってまいりました😆満開の桜の間に見える、備中櫓は圧巻のものでした🌸
桜まつりは4月10日まで開催中です!週末には、イベントステージでたくさんの催しが行われているみたいですので、桜まつり最終の土日に足を運べそうな方はまだ桜間に合います😄
駐車場は、城の周り3ヵ所あり、お手洗いは本丸広場まで点々とありますので、安心感もバツグンです😆
2022年04月06日 土佐香美真乃佐
津山城
本日、桜満開石垣と重なり見事でした。更に石段にかぶさってきている桜は素晴らしいと感じました。
2021年08月15日 けいご主殿頭
津山城
津山城に行ってきました。
津山観光センターに車を止めてパンフレットや絵図,マンホールカードをもらって城へ向かいます。復元された備中櫓を目指して歩くと,多数の門跡や櫓跡を見ることができます。跡には石垣が残っていたり,看板が立っていて分かりやすいと思います。備中櫓の中は二階建てで大分再現度が高いのでは無いでしょうか。一回の受付で御城印などグッズを売っています。備中櫓の裏(横?)から天守台へ向かうまではくねくねと曲がった石垣や,ハート型の石があります。カップルの方はぜひ(^^) 天守台の上に上がって景色を堪能できました。
2021年05月17日 lucky1023
津山城
津山城(岡山)🏯⚔️🇯🇵
岡山県津山市山下にある梯郭式平山城で、本能寺の変で討死した森蘭丸の弟森忠政が築城した日本三大平山城(姫路城、松山城)。別名、鶴山城と呼ばれ、日本100名城🏯、日本の歴史公園100選🚶♂️にも選出されています。天守台石垣にはハートロック💙がありGood!👍
2021年05月09日 石工集団穴太衆【兒】
1号硝煙蔵[津山城 寺社・史跡]
【津山藩、硝煙蔵跡】
江戸時代に津山藩主森長成が、古墳を改造して、当時山北村にあった硝煙を移したもので
その時、移転された煙硝は約二十万斤(102t)もあったといいます
移転された硝煙蔵は4基あり
1864年にそのうち1基で古い火薬を取り出す作業中に大爆発がおきたと記録されています
現在、硝煙蔵跡は3基残り、その内の2号、3号硝煙蔵は古墳の石室内を改造したもので
1号硝煙蔵は江戸時代に津山藩が火薬庫として建造したもので、入口は2ヶ所あり
内部の構造はL形になり
壁面と天井は凝灰岩の石材を利用して、床から天井に向けて崩落防止の為の支柱もあります
写真①
1号硝煙蔵への進入路
写真②
1号煙硝蔵跡(入口1)
平成13年3月津山市の重要文化財に指定
煙硝蔵跡の碑あり
写真③
1号硝煙蔵跡(入口2)
写真④
1号硝煙蔵内部
写真⑤
2号、3号硝煙蔵への進入路
写真⑥
2号煙硝蔵跡
写真⑦
2号硝煙蔵内部
古墳の石室を利用
写真⑧
3号煙硝蔵跡
古墳の石室を利用
入口は土砂の流入あり
詳しくはリア攻めマップを
2021年03月29日 しおうまる美作守
美作国一宮中山神社[津山城 寺社・史跡]
国指定重要文化財である美作国一宮中山神社(社殿)は、津山城より北へ約5㌔の場所に位置します。
古くは文武天皇の慶雲4年(707)此の地に、社殿を創建して鏡作神(かがみのつくりのかみ)を奉斎したと伝わっています。
本殿は中山造りと言うそうで、他に例を見ない?珍しい造りだそうです。
話は一気に戦国期へと飛びますが、山陰の雄、尼子晴久の美作侵攻により社殿、宝物の類は放火により焼失しました。後、晴久によって再建されますが、ここ中山神社の他にも同じように同軍により焼失した社が美作地域にはあります。
我らお城好き戦国好きにとって特筆すべきは、中山神社戦国武将文書と、津山城二の丸にあった四脚薬医門だと思います。
戦国武将文書は、美作を支配した戦国武将の戦勝祈願・奉納の文書。尼子晴久判物、毛利元就判物、毛利元就書状、吉川元春外三名連署書状、浦上宗景判物の計5通を、津山藩家老の長尾勝明が元禄3年に1巻にまとめたものです。
勉強不足ゆえどこに保管管理されているのか知らないので、ご存じの方は是非ご教示くださいませ!
口コミなのに口コミになってませんね…
( ̄▽ ̄;)ゞ
何はともあれ、津山城ご訪城の際には足を運んで見てはいかがでしょうか?
2020年12月10日 あるくま
津山城
岡山から一時間半。津山駅からはレンタサイクルで。現在一部工事区間あり。櫓は入れました。紅葉祭りは中止だったようですが御城印get。さくらの木が多いので、春にくるとよいかも。
2020年10月21日 ドクターイエロー大蔵大輔
津山城
現在「晴れの国おかやま 御城印めぐりキャンペーン」好評開催中です。岡山城、備中松山城の御城印3つ集めて応募してください(令和3年3月1日まで)。100名城スタンプと共に最上階、本丸内の備中櫓にてどうぞ。なお只今搦手側の法面復旧工事のため、一部通行止になっています。裏のゲートから城外には出られません(令和3年3月中旬まで)。R2.10.18訪城
2020年08月25日 がくちゃん
津山城
城趾は歩きやすく、眺めも良かったです。桜の時季がとても良さそうだったので、次回こそはです。城下町も風情を残し、周遊バスもあります。名物のホルモンうどんも沿線なので是非。
2020年08月15日 生駒讃岐守江現蔵✿
津山城
駐車場の入り口が狭いので、大型車は気を付けてください。鶴山公園の入り口から入場料が入りますが、駐車場は無料です。復元の備中櫓は中も見学出来て、2階もあります。桜祭りの季節が一番オススメです。
2020年04月15日 ミヤゴン
天守台[津山城 遺構・復元物]
津山城の桜は見事!
素晴らしい石組みと満開の桜のコラボ。絶景の写真スポット。
2020年03月29日 しょう備中守
津山城
津山桜まつり限定の御城印、4/12まで発売です。
2019年12月28日 摂津守いくpika
津山観光センター[津山城 その他]
津山観光センターで津山城の石垣とごんごがデザインされたマンホールカードが貰えます。
2019年05月22日 中垣内征夷大将軍瑞賢
備中櫓受付[津山城 スタンプ]
備中櫓は4時30分で受付終了です。その後スタンプは5時頃入城受付に降りてきます。
2019年03月27日 薩摩守道雪⚡︎、
津山城
3月から登城記念の城郭符が貰えるようになってます。書き置きタイプですが、購入すると日付を入れて貰えます。備中櫓内で販売してますので、石段登った後に頂くとなおさら達成感があります。
2018年05月29日 石工集団穴太衆【兒】
津山城
河辺上之町(桝形)津山市指定史跡
[歴史]津山藩は、「百姓村の山上がり」と言われる農地拡大政策を断行しました。中でも、寛文4年(1664)に実施された河辺村の移転は大規模なもので、57戸が対象になりました。農民たちは「しとと原」と呼ばれる丘陵への移転を命じられましたが、その場所は暮らしに不便な上、牛の餌や肥料にする大切な柴草を刈る場所であるため無くなると困ると、藩に訴えましたが聞き入れられませんでした。しかし、農民は土地にかかる年貢を免除する、津山城の草刈を認めるなど条件が整ったことから移転に応じました☆現在、河辺上之町の残っている桝形(石塁)は、当時の名残りで、耕地拡張政策と同時に、また旧出雲街道に面していたことから、津山城の外郭防備のため関的役割としても利用した施政者の意図が伺われる遺跡であります。 [案内]津山駅から国道53号線を津山インターに向けて行くと、津山インター手前の新河辺交差点を179号線に右折して新姫線の線路を超えて2本目を左折、こちらが旧出雲街道で河辺地区の桝形の入口で300mほど行くと東側の桝形があります、*駐車場はありません
2018年05月28日 石工集団穴太衆【兒】
津山城
津山藩 硝煙蔵跡
津山市街地の南に聳える神南備山、その南西麓に近い中腹に、津山藩が設置したもので、文献によれば元禄時代に山北村から移転され南に向いた斜面の林の中に、今は3基硝煙蔵が現存しています2号と3号の煙硝蔵は古墳の横穴式石室を利用したもので1号煙硝蔵は、開口部が2か所にあ内部でL字に折れ曲がる長さ29mのトンネル状石室で天井を支える石柱や石の積み方などから、これはさすがに古墳と思われず、津山藩が築いたものだろうと推定されます。幕末に大爆発を起こした煙硝蔵もあったそうで、現在では3基が残っているわけですが、そのうち2基は紛れもない横穴式石室古墳
[案内]国道53号線から県道449号線に入り、神南備山へ登る車道に入り、老人福祉センターの先で右折。そこから200mほど先のカーブ地点に、「煙硝蔵跡」への標識が立っています、ここから徒歩数分 地元の方が切り拓いてくれたらしい山道をくだれば、まず2号煙硝蔵跡2号から南東へ少しだけ下った場所に3号煙硝蔵跡山道が通じていて迷うことはありません、2基から東へやや離れた位置のYM工業の脇に市指定史跡の1号煙硝蔵の看板があり少し下ると辿り着きます
2018年05月28日 石工集団穴太衆【兒】
津山城
森忠政が津山城の築城に際し、石垣に使用する石材の切り出しを、 吉井川を挟んで南岸の現在石山(大谷)や金屋一帯の山から切り出しました、石積みを担当したのは、穴太衆と呼ばれる石工集団に属していた戸波平 左衛門と伝えられている。
現在の石山(大谷)の石切り丁場跡は、石山寺の境内に巨大な岩盤が露出しており、その岩盤に石を切り出す時のくさび(矢穴)の跡を明瞭にとどめています。
また 石を切り出す際には事故などが少なくありませんでした、そのため、家臣に命じて摩利支天を勧進しお祭りしました、それ以来、庶民の祈願所として崇敬され、石山摩利支天として今日に至っています。
平成14年5月には、津山市重要文化財に指定されています。
[案内]
天台宗 長寿山 石山寺
岡山県津山市大谷47
2017年04月11日 織田上総介晃司
津山城
津山城専用アプリをダウンロードして城内3ヶ所で天守台を撮影すると津山城天守が撮影できます。
が、やはり実際に天守の復元を切に願いたい。
津山に来ればご当地グルメ・津山ホルモンうどん(焼きうどん)は是非ともご賞味してみてください。(津山城入場券売場のそばにパンフレットもあります)
私は津山城から東へ進んだ所にある橋野食堂でいただきました。
そしてそのお店のご近所にB'zの稲葉浩志さんの実家・イナバ化粧品店があります。
B'zファンの聖地として店は賑やかでお母さまも気さくな方らしいですが、あくまでも一般の方なので節度はわきまえてくださいね。
2016年05月07日 まるき〜陸中守
津山城
津山城駐車場は有料の所と無料の所があります。
無料駐車場は県道394号線鶴山西口より東に入り突き当たりを右折して右手に25〜26台分?夕方4時まで駐車可で表門に近いですがイベント中は使用不可のようです。
有料駐車場は突き当たり左、1日500円でした。裏門に近いです
城の開門時間は午前8:40分から、100名城スタンプは備中櫓内(9:00から)
ここの石の量も凄いですね〜
いろんな角度から石垣と石垣が重なる様子が歩いていて楽しく思えてきます
再現された備中櫓内には厠(トイレ)も再現されています
天守は無いけど積み上がった石を見ているだけで癒されますね〜
天守台からは津山の町並みが一望できるし
また、およそ東方向約3〜4キロ先の地点にB'zの稲葉浩志さんの実家、イナバ化粧品店があるそうです(笑
津山城再現アプリを導入して撮影ポイント3カ所を回ると3Dの津山城天守が現れるので是非天守台に天守を再現してみて下さい。
2014年03月04日 真牛織部正@地元イベ不参加
津山城
津山の万里の長城ですが、サテライト津山の裏、津山高校同窓会館跡地にひっそりと存在しています。
ここは津山城の大手門であった、京橋門があった場所でわずかながら石垣も残っています。
2013年07月14日 尾張守ひろっちぃ
津山城
名城100選のスタンプは備中櫓にありました。
櫓に限らず聳え立つ高石垣は見事で、石垣が連続して聳え立つ姿は圧巻です。
残念ながら天守台は工事中で登ることはできませんが、城山公園は高い小山の上にあるためそこからの眺めは素晴らしいです。
2013年05月02日 この家は滅亡しました
津山城
城跡(鶴山公園)への立ち入りには300円いりますが、備中櫓の見学は無料なのでかなりお得(^ω^)
ですので、櫓は必見です。
2013年04月28日 小鉄馬単騎周防守黒煤蕪
津山城
秋に行くと十月桜が咲きます。秋の桜を見ながらの登城も一興かと…
2013年04月14日 備前守知守
津山城
4/1~15まで、桜まつりを開催。期間中は近隣駐車場(だいたい500円)のみの利用になる。入場料は一般300円。ペット入場不可。
2012年06月12日 赤松貞明
津山城
城下を通る国道53号線から津山城跡を見上げてみましたが、誇らしげで鳥肌が立ちました。
規模も凄かったですが、石垣が立派でした。
思わず見とれました。
2011年07月14日 摂政M三郎
津山城
津山城の主要部は、断崖となっている東面を除き、山頂の本丸を幾重にも郭と堅牢な高石垣が取り巻き、まさに全山総石垣の要塞となっています。本丸東端には向かいの山からの攻撃を意識して、盾となる防塁を配する厳重さです。また、大手側の登城路は幅広い階段となっており雄大、城門を引き込んだり、石垣下に沿わせる配置は、石垣上からの攻撃機会を増やすことで防御力を高める工夫ではないかと感じています。復元された備中櫓とその瓦に刻まれた鶴丸紋も素敵であり、私的には、建物は少なくとも平山城中随一と思っています
2011年05月04日 中務大輔播磨の将軍
津山城
津山城入口に森忠政公の銅像が鎮座!
2011年01月09日 出雲守りらくま
津山城
ここは桜の名所・歴史公園・名城100選に選ばれてるんですね。毎年4/1~15の15日間が津山さくらまつりだそうです。
2010年12月23日 摂政M三郎
津山城
今日、三度目の登城ですが、やはり、この城は凄い。高石垣といくつもの石垣が複雑に重なってできあがる景観が圧巻です
下から見上げて良し…天守台から城内を見渡して良し…
前回の登城時より、東面や天守閣付近の復元が、進みさらにグレードアップしてました。
2010年10月31日 徳川内大臣源朝臣康武
津山城
下から、もしくは遠方から城を望むと、一二三段の高石垣が見事
市内の高いビルからの写真をアップしましたが、城の際にビルやホテルがあったりして、一二三段石垣見えるかな
2010年09月15日 maru弾正忠
津山城
入場に210円必要です。
天守台跡からは、津山市街が一望できます。
津山城の周辺スポット情報
天守台(遺構・復元物)
備中櫓(遺構・復元物)
京橋口西側石垣遺構(遺構・復元物)
表中門跡(遺構・復元物)
四足門跡(遺構・復元物)
表鉄門跡(遺構・復元物)
石山(大谷)の石丁場跡(遺構・復元物)
荒神曲(遺構・復元物)
大曲(遺構・復元物)
肘櫓跡(遺構・復元物)
辰巳櫓跡(遺構・復元物)
大戸櫓跡(遺構・復元物)
荒和布櫓跡(遺構・復元物)
多門櫓跡(遺構・復元物)
昇櫓跡(遺構・復元物)
長柄櫓跡(遺構・復元物)
塩櫓跡(遺構・復元物)
弓櫓跡(遺構・復元物)
矢切櫓跡(遺構・復元物)
玉櫓跡(遺構・復元物)
腰巻櫓跡(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
二の丸(遺構・復元物)
三の丸(遺構・復元物)
薬研堀(遺構・復元物)
厩堀(遺構・復元物)
粟積櫓跡(遺構・復元物)
長屋櫓跡(遺構・復元物)
包櫓跡(遺構・復元物)
長局(遺構・復元物)
長櫓跡(遺構・復元物)
八番門(遺構・復元物)
七番門(遺構・復元物)
六番櫓(遺構・復元物)
白土櫓跡(遺構・復元物)
桜門(遺構・復元物)
鉄砲櫓跡(遺構・復元物)
到来櫓跡(遺構・復元物)
見付櫓跡(遺構・復元物)
冠木門(遺構・復元物)
五番門(遺構・復元物)
色付櫓跡(遺構・復元物)
紙櫓跡(遺構・復元物)
裏下門(遺構・復元物)
月見櫓跡(遺構・復元物)
衆楽園(旧津山藩別邸庭園)(遺構・復元物)
北門跡(遺構・復元物)
作事門跡(遺構・復元物)
作州城東屋敷(遺構・復元物)
旧梶村邸(遺構・復元物)
十四番門(遺構・復元物)
太鼓櫓(遺構・復元物)
忘れ去られた石(遺構・復元物)
十二番門(遺構・復元物)
瓦櫓(遺構・復元物)
十一番門(遺構・復元物)
東大番所跡(碑・説明板)
森忠政公像(碑・説明板)
福井純一説明板(碑・説明板)
森侯入封満三百年紀念碑(碑・説明板)
新宮城(周辺城郭)
荒神山城(周辺城郭)
美作国一宮中山神社(寺社・史跡)
2号硝煙蔵(寺社・史跡)
3号硝煙蔵(寺社・史跡)
1号硝煙蔵(寺社・史跡)
千代稲荷神社(寺社・史跡)
寺町(寺社・史跡)
備中櫓受付(スタンプ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
津山駅前駐車場(駐車場)
鶴山公園(関連施設)
鶴山公園広場(関連施設)
鶴山館(関連施設)
津山郷土博物館(関連施設)
津山駅観光案内所(関連施設)
津山観光センター(その他)
新宮城登城口(その他)
案内板(その他)
案内板(その他)