有漢常山城(うかんつねやまじょう)
有漢常山城の基本情報
通称・別名
- 常山城
所在地
- 岡山県高梁市有漢町有漢字土居
旧国名
- 備中国
分類・構造
- 山城
天守構造
- 独立式望楼型[2重3階/1997年築/RC造模擬]
築城主
- 秋庭重信
築城年
- 鎌倉時代前期
主な改修者
- -
主な城主
- 秋庭氏、新山氏(三村氏家臣)、肥田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(常山城跡)
再建造物
- 模擬天守(風と化石の館)、模擬冠木門、模擬塀、碑、説明板
周辺の城
-
佐井田城(岡山県真庭市)[6.0km]
矢倉城(岡山県加賀郡)[7.9km]
備中松山城(岡山県高梁市)[12.6km]
高田城(岡山県真庭市)[19.7km]
鶴首城(岡山県高梁市)[19.9km]
竜王山城(岡山県久米郡)[21.0km]
鬼ノ城(岡山県総社市)[22.2km]
鍛冶山城(岡山県岡山市)[23.0km]
岩屋城(岡山県津山市)[23.2km]
冠山城(岡山県岡山市)[24.7km]
有漢常山城の解説文
有漢常山城の口コミ情報
2020年11月22日 ドクターイエロー
有漢常山城
岡山自動車道有漢IC近くのうかん常山公園が目印になります。駐車場も広く、便所や食事処もあります。目の前に模擬天守閣がありますが名義は「風と化石の館」です。ここでリア攻め可能ですが真の城跡は裏の階段を下りた休憩所のある看板の裏山にあります。更に少し下った先から今度は左に階段を上がりきったら二の壇に出ます。奥に行くと三の壇には標識が立っています。背後は一段高くなり主郭となります。裏手には虎口があり畝状竪堀を横目に連続堀切方向(休憩所)に降りることもできますが、堀切は雑草だらけでよくわかりませんでしたが、遺構は良く残っています。また城山の麓には秋庭氏居館(正尺屋敷)跡や先祖墓も残っています。一緒に見学されてはいかがでしょうか。R2.11.22訪城
2019年11月30日 内大臣織田晃司
有漢常山城
有漢ICからすぐの「うかん常山公園」に駐車場とトイレ、食堂と売店があります。
石の風車がモアイ像のように立っているのと模擬天守が目を惹く公園ですが模擬天守の裏に常山城跡があり、曲輪や土塁、竪堀、堀切が残ってます。
模擬天守だけだと思ってすぐ撤退しないように…
2019年05月06日 石工㊻備中守境目集団穴太衆
秋庭氏居館[有漢常山城 周辺城郭]
秋庭氏居館【正尺屋敷】方形に築かれた立派な石垣、出角部分(隅石)は未発達の算木積みになってます、築城年代については定かではないですが、鎌倉時代の初頭、承久の乱に戦功のあった相模三浦氏の一族秋庭重信が有漢郷の地頭職に任じられ居館を構え、居館前面に詰城である常山城を築いたとされてます
2016年05月09日 まるき〜陸奥守
有漢常山城
岡山自動車道の有漢インターを出る際に見えてしまった…ので行ってみました
高速を出て数分でうかん常山公園があり結構賑わっていました。
山の上に模擬天守、中に入ると使用済みハイウェイカードやスッポンの模型、この地から出土した化石等が展示されていました
また公園内には石でできた風車のモニュメントが立ち並んでいます。
食事する所、何やら怪しい雑貨屋さん、トイレもありますが道の駅ではないようです。
模擬天守を見てほっこりしたい方は是非!
2013年05月02日 この家は滅亡しました
有漢常山城
岡山自動車道、有漢インターチェンジを降りてすぐ、うかん常山公園内にあります。
天守風展望台が建っており入場は無料。
お城の跡というよりは公園ですので、のんびりしたい人にオススメ。
【歴史】
鎌倉時代初頭に地頭職を務めた秋庭三郎重明が築城したと伝わるが、定かではない。
『備中府志』には、天正2~3年(1574~1575)の備中兵乱の際、新山玄蕃亮家健が籠城したとある。
【遺構】
高梁川と有漢川の合流点から約12km東側にある、標高260mの山上に築かれている。備前・備中・美作の三国に通じる交通の要衝で、東流する有漢川と、北へ谷沿いに流れる川関川の合流点にあり、川関川沿いに三飛峠を越えれば美作、有漢川沿い笹目峠を越えれば備前に至る。
現在は市道により分断され、北東側の曲輪群と南西側の曲輪群に分かれている。北東側の曲輪群は、最高所に東西約70m×南北約30mの主郭を置く。主郭中央の高まりは櫓台だった可能性がある。南西側に折れを伴う土塁が築かれ、北西側に2段の曲輪が置かれている。
主郭南側斜面の切岸直下は防御性が高く、南東側には畝状竪堀が掘り込まれ、やがて竪堀となるL字型の高さ1.5m×長さ20mの横堀と連動している。南東隅は高さ3mを越える 3本の堀切でしっかりと分断されている。
主郭南側斜面の西側にある最大幅10mの大きな竪堀も、曲輪直下の屈曲する横堀と連動して効率よく横矢が掛けられている。横堀の両端は、土橋と接続させて侵攻を阻止。北側斜面には長さ30~45mの畝状竪堀を設けて、有漢川側からの侵入に備えている。
南西側の曲輪群は、北東側の曲輪群と比較すると防御機能が脆弱といえ、竪堀や横堀などはみられない。現在の姿は、在地領主の城を天正年間に改修したものだろう。
【交通】
岡山自動車道有漢ICから車で約30分
【参考文献】
・『岡山県中世城館跡総合調査報告書 第2冊-備中編-』、岡山県教育委員会、2020年。