鬼身城(きのみじょう)

鬼身城の基本情報

通称・別名

鬼ノ身城

所在地

岡山県総社市山田

旧国名

備中国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

今川氏、上田氏、宍戸氏

廃城年

江戸時代前期

遺構

曲輪、石垣、土塁

指定文化財

市史跡(鬼ノ身城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

猿掛城(岡山県倉敷市)[9.1km]
福山城(岡山県総社市)[9.8km]
鬼ノ城(岡山県総社市)[10.2km]
亀山城(岡山県総社市)[11.1km]
冠山城(岡山県岡山市)[13.3km]
小笹丸城(岡山県井原市)[13.9km]
備中松山城(岡山県高梁市)[14.0km]
鍛冶山城(岡山県岡山市)[14.0km]
備中高松城(岡山県岡山市)[14.4km]
鶴首城(岡山県高梁市)[15.3km]

鬼身城の解説文

鬼身城(きのみじょう)は、岡山県総社市山田にある山城。

歴史
築城年代や築城者は定かではないが、神代において吉備ノ冠者に与力した有木の冠者が居住していたとの伝承がある。

戦国時代には、天正2~3年(1574~1575)の備中兵乱の舞台となった。『備中兵乱記』によれば、天正3年1月14 日に鬼身城攻めが開始され、同月29日に城将の上田実親が自刃して開城したという。上田実親は三村元親の弟にあたり、上田氏の養子となっていた。備中兵乱の後、鬼身城には毛利氏の家臣が入った。

天正7年(1579)以降、高梁川流域は毛利氏と宇喜多・羽柴両氏の勢力の境目となって緊張が高まった。天正 11年(1583)12月の小早川隆景の書状から、鬼身城が境目の城として認識され、軍勢、兵糧、弾薬などを備えるよう指示していたことがわかる。

天正14(1586)年の秀吉による領地裁定後、毛利輝元が重要な城として鬼身城を改修した可能性がある。廃城時期は不明だが、関ヶ原の戦い後の毛利氏の移封と同時期のようだ。

遺構
標高284mの山頂に築かれている。最高所の主郭からは南麓の新本川流域から総社平野までを一望でき、児島、玉島灘まで見渡せる。西麓には戦国時代に高梁川の河口域だった玉島があり、美袋まで南北に通じる間道が通っていた。

諏訪神社がある主郭を中心とした曲輪群のほか、北東側に派生する2本の尾根上に曲輪群を配した、備中屈指の規模を誇る山城だ。

主郭は横矢が掛かるよういくつかの曲輪が高低差も利用しながら配置されている。最大の特徴は、東側の虎口。2つの土塁で枡形のような空間を形成し、執拗に横矢が掛かる複雑な通路を生み出している。北側から敵が侵入した場合は、土塁により行く手を阻まれ、迂回しながら主郭を目指すことになる。さらに、虎口の南側には20m×10mほどの馬出しのような空間が設けられている。

土塁の周辺には転石があり、土塁を石材で固めた石塁になっていたらしい。馬出しのような空間の直下にも石垣が見つかっている。

交通
JR倉敷駅から車で約40分

参考文献
『岡山県中世城館跡総合調査報告書 第2冊-備中編-』、岡山県教育委員会、2020年。

文:萩原さちこ

鬼身城の口コミ情報

2021年06月01日 ドクターイエロー
真壁城[鬼身城  周辺城郭]



JR総社駅から西に約100m、民家に囲まれた中に真壁城は位置しています。築城年代等詳細は定かではありませんが、下野国小山氏の一族といわれる薬師寺公義の築城と云われています。

岡山県中世城館跡総合調査報告書によると溝口公会堂の一帯が城跡とされていますが、公会堂北側に少し土が盛られた箇所があり社が祀られています。土塁の一部であろうと思われます。しかし周囲にはこれ以上の遺構は全く残っていないようです。

付近に駐車場はありません。総社駅東側の駐車場は30分までは無料です。道に迷うことがない限り30分以内には戻ってこれると思います。R3.5.16訪城

2021年05月05日 ドクターイエロー
伊与部山城[鬼身城  周辺城郭]



高梁川と新本川の合流地点にある標高80mの山城です。天正3年(1575)備中兵乱で鬼身城攻撃の際には毛利方の大将・小早川隆景が布陣したと伝えられています。

現在は健康づくりの道(伊与部山八十八箇所霊場巡り)として地元の方により整備されていて登りやすくなっています。麓には専用駐車場(3~4台)も用意されています。9号目までは舗装路を通り、仮設トイレの横から頂上を目指します。ベンチも設置されていて麓住民の憩いの場となっているようです。

残念ながら遺構はほとんど失われており、一部にわずかながら超低い土塁が確認できる程度でした。展望所からの眺めは抜群で、鬼身城をはじめ鬼の城、備中福山城もよく見えますよ!また南方向の眼下には平成30年(2018)西日本豪雨から復興を遂げつつある倉敷市真備町、総社市下原地区が広がります。「がんばろう真備!」R3.5.2訪城

2021年05月05日 ドクターイエロー
岡田陣屋[鬼身城  周辺城郭]



代々伊東家が岡田藩を務めました。現在は岡田小学校の敷地となっています。行程の片隅に 石組みの御中囲炉裏が残っている以外には遺構はありません。門の外からも見ることはできますが、校内立ち入りには許可が必要です。

西隣にある真備町ふるさと歴史館(無料)には岡田藩の資料などが展示されています(開館日注意)。また小説家・横溝正史が戦時中に約3年半ほど疎開していた住民も陣屋近くにあります。付近一帯は「金田一耕助の小径」(ウォーキングコース)として整備されています。道中には金田一耕助シリーズ登場人物のキャラクター像が6体立っていて、金田一耕助の世界を楽しく味わうことができます。是非体感してみてください。R3.5.5訪城

2021年05月05日 ドクターイエロー
市場古城[鬼身城  周辺城郭]



高梁川の支流・新本川に面した小さな丘陵上に築かれた小さな城です。それゆえに畑地や住宅地と化した部分も多いようです。城の南西からあぜ道を北に進むと竹藪の中に堀切の遺構が見られます。更に道を進むと高さ2m程の石垣が現れますが、地元の方にお聞きしたところかつて石垣の上に住宅があったとのことでした。民家の間をぬって城山に向かうと整備された二の壇に出ます。ここは総社市所有の土地でその名も「天守公会堂」が建っています。また奥には祠が3つ祀られており、背後にも石垣があります。その上は一の壇ですが個人の私有地で碑が建立されているとのことでしたが激しい藪に阻まれて発見には至りませんでした。また二の壇の下は畑地と化した三の壇です。

二の壇以外の曲輪は個人所有の私有地になります。それぞれ所有者も異なるようですが、見学の際にはどなたか一人でも許可をいただいてからにしましょう。駐車場は南を通る道の広いところに停めさせていただきました。R3.5.5訪城

2021年04月17日 ドクターイエロー
浅尾陣屋[鬼身城  周辺城郭]



浅尾陣屋は総社の地を治めていた蒔田氏が幕末に高直しを許されて再び1万石の大名に復活した際、文久3年(1862)この地に陣屋を構築しました。元治元年(1864)「蛤御門の変」の際に京都見廻り役として長州勢を撃退したことを逆恨みされ慶応2年(1866)長州浪士らによって襲撃され(倉敷浅尾騒動)、陣屋の大部分は焼失。その後十分な再建もされることなく明治維新を迎えました。

総社市中心部の天満屋リブ21を遠くに臨む丘陵上に陣屋は位置しています。麓には有り難いことに見学者専用の駐車場まで用意されています(5~6台駐車可能)。脇には馬場用水跡の井戸があります。ここから陣屋までは150mですが、きちんと案内看板があり道に迷うことはありません。山頂には稲荷神社が祀られており立派な石碑と説明板が設置されています。公園として整備されているので遊具もあります。一方、神社右手には復元された土塀が並び、当時の面影を忍ぶことができます。残念なことに御本殿跡には民家が建っており奥に進むのは気が引けます。

現地の説明版に従って遊歩道を進むと西側には当時の土塀が朽ち果てた状態ながらも連続して残っていて浅尾騒動の凄まじさを物語っているようです。また神社裏手の玉合薬蔵跡周辺には土塁とその背後には横堀らしき遺構も見られました。なお陣屋のある山の東山麓には御台場跡の碑が立ち、南西山麓には藩校の集義館が復元されていています。R3.4.15訪城

2021年04月11日 ドクターイエロー
荒平山城[鬼身城  周辺城郭]



永享年間(1429~1440)に地元の豪族、川西氏によって築城されたと言われていますが、備中兵乱にて川西氏が三村氏に味方したため天正3年(1575)に毛利方の小早川隆景に攻められ落城後は廃城となったもようです。

サントピア岡山総社に駐車させていただき、フットサル兼テニスコートの横から山道を進みます(金比羅神社を目指してください)。地元の秦地区の保存会等により道はたいへん良く整備されておりハイキングコースにもなっております。城跡まで約1キロの尾根付近のコース上には一丁𡉕古墳群や茶臼嶽古墳もあり、それぞれには看板が設置されているので非常にありがたいです。登城のついでに見学されてはいかがでしょうか?見晴らしもまずまずです。

のんびり徒歩で約30分、荒平山城のお手製ゲートをくぐると城域に突入です。堀切上の土橋を渡ると眼の前には切岸がそびえます。横から登り城内へ。荒平山城は全部で7つの壇より構成されています。切岸上の7の壇には土塁も綺麗に残っていて土塁上には柵も設置されており、臨場感を掻き立てられます。奥に進み最高峰の2の壇には説明版を伴なった東屋があり、1の壇側にも柵が設置されています。いずれの壇にも案内看板があり非常に解かりやすく見学できます。また3の壇より50m程下った斜面には立派な井戸も残っており、傍らには水(竜)神様を祀った祠がひっそりと佇んでいます。なおトイレが3の壇と途中の金比羅神社前にありますが仮設トイレなのでサントピアのトイレの方が安心です。自販機も横にあります。

蛇足ながらこの城は国道180号線の豪渓側からもアクセス可能です。駐車場は小さいですが石畳神社前に、そして神社の参道を通り、秦パノラマ展望台(東屋あり)を経て1の壇に行けます。ただし距離は短い分だけ急斜面の連続になります。R3.4.11訪城

2020年11月23日 ドクターイエロー
鬼身城



総社大橋を渡り県道80号線を西へ約5キロ、産直市店を過ぎて約300mの右斜めに折れる細めの道をひたすら約2キロ北方向に直進します。真正面の山が鬼身城です。山が近づき民家を過ぎて道幅が再び急に狭くなった先に右方向鬼の身城址の看板が初めて出てきます。ここから道路は激狭&荒路面になります。大型車や自信ない方はこの周辺(といっても道幅狭いが😅)から徒歩オススメです。更に奥に700m程なら何とか進むことは可能ですが運転ご注意ください。転回可能な場所に2台程度なら駐車できると思います。そこから登って400m程で切通の所(ドラム缶の標識あり)から更に上を目指します。そこから約500mでやっと鬼身城・扇の縄の要に相当する虎口が見えてきます。リア攻めも可能です。一の壇の本丸には諏訪神社が祀られていて、眼下には玉島往来、遠くには瀬戸内海が見えます。なお道中は階段はなく、急勾配な坂道もありますので、それなりの格好で城攻めしてください。R2.11.23訪城

2019年02月09日 安那備後守はるか
鬼身城

主郭までは北側、南側の山道から
アプローチできますが北側は1ヶ所
山道が崩れかけているので南側の方から
が良いです。
山田八十八箇所を目指してください。
ちょうど、ここあたりで道が二股になり
ます。右側の道から行きます。
ここから道幅狭く土の道になるので
慎重に登ります。半ば過ぎたあたりから
急勾配になるので四駆あたりの車
じゃないと厳しいです。
ちょうど広くなってるので駐車可です。
後は徒歩にて。
車であがってこられる方は蟻ヶ峠にて
駐車可です。峠より右側に登ります。
そこそこ登りますし、土が滑るところも
あるので登山靴等がおすすめです。
土のお城独特の縄張りが良かったです。

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