志川滝山城(しがわたきやまじょう)

志川滝山城の基本情報

通称・別名

四川滝山城

所在地

広島県福山市加茂町北山145

旧国名

備後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

宮(高尾)義兼

築城年

明応8年(1499)

主な改修者

主な城主

宮氏

廃城年

遺構

曲輪、堀切、井戸跡

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

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志川滝山城の解説文

志川滝山城(しかわたきやまじょう)は、戦国時代に備後国(現在の広島県福山市)にあった山城。

概要
志川滝山城が築かれたのは備後平野の北部、芦田川水系四川の水源地に近い急峻な山中であった。標高392mの山頂部の尾根に城郭を構築したもので、備後平野を一望できる位置にあった。この城の城主は戦国時代に備後国で一大勢力を誇っていた宮氏であった。『西備名区』等の郷土史書によると山野の戸屋ケ丸城主宮三郎義兼が明応元年(1462年)に築城したものとされている。

天文21年(1552年)、中国地方の覇権を掌握しようとした毛利氏が備後国へ侵攻し、志川滝山合戦が勃発した。宮氏は志川滝山城に篭城したが、毛利氏の軍勢は背後の尾根伝いに攻略し落城し、宮氏は滅亡した。

現状
志川滝山城跡の南側にある渓谷には現在四川ダムが設置されており、当ダムの貯水湖は滅亡した当城にちなみ「城山湖」と名づけられた。なお四川ダムまでは大きな道路が整備されているが、そこから直接城跡に行くのは急峻な崖であり難しく、さらに上流の大谷池(明治期の貯水池)の土手に行きそこから目指すしかない。

志川滝山城の口コミ情報

2020年05月05日 大納言織田晃司
志川滝山城

まずは四川ダムを目指しましょう。
四川ダムから見える山が志川滝山城です。

ダムカードを集められてる方はダムカードを貰い、次は大谷池を目指します。
(ここからは悪路となるので運転に自信のない方は遠望を見て引き返してもいいと思います)

大谷池の堰堤に着くと大谷池改修記念碑のある場所に車を停めて歩いて行くのが無難です。
何故なら今、掘削作業が行われダンプがひっきりなしに通ってます。車で上がり、帰るときダンプと鉢合わせするとオーマイガーだからです。

城までの道には地元の広瀬中学校の生徒さんが作成した案内板がナビゲートしてくれます。写真にいくつか投稿してます。

地元愛のつまったお城でした。

志川滝山城の城主・宮氏に仕え、毛利氏との戦いに敗れ岡山県井原市芳井町に落ち延びた家臣の子孫が千鳥のノブさんです。




2019年05月26日 因幡守幸運兎
標識(滝山城跡まで3.1km)[志川滝山城  その他]



広瀬地区側からの案内です。
車がなんとか通れる道ですが、運転に自信のない方は、大谷池側から歩かれた方がいいと思います。

2017年05月10日 まるき〜上野介
志川滝山城

たまたまダムカードを貰いに四川ダムを訪れ、そこでポチったら志川滝山城が攻略できました。(^o^)/

城跡は四川ダムの真上に見える山の上とダム管理所の方が教えてくれました

城跡に行くにはダムの道からは行けず、山の裏(ひと山向こう)からでないと道がないらしいです。詳しくは聞いてませんが…

またこの地域に住んでらっしゃる方は毛利系の家臣が先祖って方が多いらしいですよ。

管理人さんは尼子氏の末裔だとか…

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