鷲尾山城(わしおさんじょう)

鷲尾山城の基本情報

通称・別名

鷲城、霊鷲城、釈迦ヶ峰城

所在地

広島県尾道市木ノ庄町木梨

旧国名

備後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

杉原信平、杉原為平

築城年

延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)

主な改修者

主な城主

杉原氏

廃城年

天正12年(1584)

遺構

曲輪、横堀(空堀)、井戸、土塁、帯曲輪、出丸(馬場跡)

指定文化財

県史跡(鷲尾山城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

鳴滝山城(広島県尾道市)[9.2km]
勝山城(広島県三原市)[9.2km]
相方城(広島県福山市)[10.1km]
楢崎城(広島県府中市)[11.9km]
桜山城(広島県福山市)[12.0km]

鷲尾山城の解説文

建武3年(1336)足利尊氏に従い九州多々良洪(博多)の戦いで戦功を立てた杉原信平、為平が木梨13ヶ村(尾道・後地・栗原・吉和・久山田・木原・猪子迫・白江・三成・市原・木梨・小原・梶山田)を賜わり、木梨に鷲尾城を築き居城とした。

以来、信平、光信、元盛、元直、光恒と続き、備後の覇者として武威を張ったが、天文12年(1543)6月、雲州富田城主尼子義久によって城は攻め落され、光恒は城内で自害、その子高盛は捕えられ投獄されたが、家臣角屋与八に助けられ、大内義隆の助けを得て鷲尾山城を棄還し、名も釈迦が峰城と改めた。

その後、石原小次郎忠直に再び攻られ、高盛は戦死、その子元恒は古志氏をたよって新庄に落ちのび、小早川隆景にたより、再度木梨に帰り石原氏を滅ぼし、鷲尾山城の回復を計った。

天正12年(1584)元恒は千光寺山に権現山城を築き城替となった。建武4年(1337)築城以来実に247年木梨杉原氏の本城として盛衰をみた鷲尾山城も、毛利氏の中国統一、更には秀吉の全国統一によって、事実上廃城となった。

情報提供:尾道市企画財務部文化振興課

鷲尾山城の口コミ情報

青き巨星弾正忠かみさん様[2014年09月18日]
鷲尾山城は山の麓に城照庵と言う庵があり、ここまで車で行きました。
本丸へは2つのルートがあり、南東側から墓所を通って4段の郭群から登るルートと、山の西側の中腹にある駐車場まで車で行き、階段が整備された道を行き8段の郭群を通るルートです。
南東側のルートは岩肌が露出している道なので非常に滑りやすいです。
今回は南東側ルートから西側ルートへ行くつもりでしたが、日本城郭大系に無い洞穴と大岩の案内板があったので、そこへ行くと洞穴は若干の水が底にあり東側へ向けて延びているようでした。大岩は5m程の高さがある露出した岩肌で、そこを登ると小さな郭があり、さらに竹藪を掻き分けて行くと、外郭にでました。外郭は雑草が生い茂り、その上にある本丸も祠と説明板付近以外は同様でした。4段の郭や8段の郭は枯葉と低木があるのみで、案内板もあることから良く分かります。本丸から下を見れば西は鳴滝山城、東は大場山城まで見え。尾道、瀬戸内海が一望できます。

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