亀迫城
亀迫城([高越山城 周辺城郭])
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亀迫城の口コミ情報
2024年04月01日 織田上総介晃司
亀迫城山公園として整備され駐車場があり、トイレと公衆電話も設置されてます。
駐車場から見える風景は後年に削平されたもので曲輪ではありません。城跡は頂上の主郭と主郭北東と南の曲輪のみです。写真では曲輪跡のみ撮影してます。
南の曲輪から箱式石棺が発掘されて、復元された石棺があります。
毛利元清(元就の四男)が備中侵攻のため築いた砦規模の城。後に元清は猿掛城の城主となり穂井田元清と名乗る。
元就の四男といえど正室・妙玖との間に生まれた三兄弟(隆元・元春・隆景)が大切にされたのに対し、側室との間の子なので「虫けらなるような子どもたち」と、どちらかといえば冷遇されていた。
2021年04月16日 ドクターイエロー大蔵大輔
元亀元年(1570)にこの地に侵攻してきた毛利元清は敵を防ぐ要路に位置するこの地に亀迫城(砦のような小さい城)を築いたとされています。関ヶ原合戦後は徳川幕府の支配地となり、この頃廃城になったと思われます。
城としての遺構はほとんど見られず現在は亀迫城山公園として整備されています。専用の駐車場も広く、トイレも併設されています。東屋とベンチのある頂上まで雛壇状に整備されていますが、曲輪跡とは思えません。見晴らしも南側には良好で、ピクニック気分で訪城できそうです。
また上から2番目の曲輪?上には昭和35年(1960)発掘調査により城内より発見された箱式石棺(板状の石を箱のように組み合わせて古墳の石室としたもの)が説明版と共に移設されています。井原圏域ではこの手の箱式石棺が多く出土しているようです。R3.4.15訪城