西荏原陣屋
西荏原陣屋([高越山城 周辺城郭])
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西荏原陣屋の口コミ情報
2021年06月03日 ドクターイエロー大蔵大輔
築城の年代は明らかではないものの森長継(津山藩2代藩主)によって築かれたようです。津山藩は4代長成が嗣子なく断絶となり、 長継は何とか西荏原に陣屋を移し森氏は存続しましたが宝永3年(1706)長直の時に播磨国赤穂へ転封となりました。森氏転封の後は、徳川一橋家の所領となり代官所が設けられ、後の興譲館となる教諭所が一橋家の有志により設けられました。
ちなみに興譲館は現在は女子陸上部で有名な高等学校として存続しています。初代館長の阪谷朗蘆(さかたにろうろ)。一橋家に仕えていたあの渋沢栄一とは親交が深い間柄でした。当時一橋家には兵備がほとんどなく、領主・一橋慶喜(後の徳川慶喜)が京都守衛総督となったことから急遽領内で農兵を募ることとなり慶応元年(1865)渋沢自ら当地に赴いて募集活動を行いました。当初は難渋していましたが、阪谷と面会後には領内より200名余の志願者があり大成功を収めたとされています。開校当時から残る校門には渋沢栄一が揮毫した「興譲館」の扁額が掲げられています。
現在の興譲館高校付近が陣屋跡で、西江原郵便局近くの川沿いの道にひっそりと案内看板が建てられていますが、残念ながら他に遺構は残っていないようです。R3.6.3訪問