髻山城(もとどりやまじょう)
髻山城の基本情報
通称・別名
- (大城・小城)
所在地
- 長野県長野市若槻西条
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 上杉謙信
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- 武田信玄
主な城主
- 上杉氏、武田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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髻山城の解説文
[引用元:Wikipedia「髻山城」の項目]
髻山城(もとどりやまじょう)または髻城(もとどりじょう)は長野県長野市と上水内郡飯綱町の境にあった日本の城。
概要
上杉謙信が、川中島の戦いに備えて築いたとされる。北国街道沿いにあり、川中島と春日山城の中間にある交通の要所であった。
主郭部には石垣が残り、謙信が掘った井戸、「観音清水」が残る。
所在地と地形
髻城には、大城(おおじょう)と小城(こじょう)があった。一般的には大城のことを髻城といっている。本丸の頂上と南斜面は長野市大字若槻西条字髻、北斜面は飯綱町大字平出字泥ノ木と字一杯清水・清水久保にまたがっており、小城全体は長野市大字西条字髻の地籍であった。
大城は三登山(923.0m)山系の東端にある髻山(744.5m)に立地した山城であり、小城は大城の東南麓約350mの位置に突起した小円頂丘火山(650m)に立地していた。
大城は南と東斜面が急峻でことに東斜面は断崖絶壁をなしており、自然の要害であった。小城は南斜面だけがやや急峻で大城ほど険しくはない。大城の東麓、小城との間に竪穴式古墳が発見され、鉄鏃などが出土した。
参考文献
- 牟礼村誌・学校誌編纂委員会『牟礼村誌』上巻、297-298頁(所在地と地形)。
- 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書3』 1993年
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髻山城の口コミ情報
2021年12月03日 かわわろ左衛門督のめしこき
髻山城
このお城の城主だったという伝承が、新潟県妙高市の除戸にある願生寺さんに残っているそうです。このお寺自体も現在の真宗大谷派新井別院に元々は所在しており、教義をめぐるゴタゴタで江戸時代に越後から信濃に、ごく一部の寺宝以外は本山に取り上げられ所払いにされ(寺号も!)70年前に寺号だけは取り戻したという数奇な運命を辿った寺院です。
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