北熊井城(きたくまいじょう)

北熊井城の基本情報

通称・別名

熊井城、城山城

所在地

長野県塩尻市片丘北熊井

旧国名

信濃国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

小笠原氏?

築城年

不明

主な改修者

武田氏

主な城主

小笠原氏、武田氏、溝口美作守(小笠原氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

埴原城(長野県松本市)[7.1km]
武居城(長野県東筑摩郡)[9.2km]
井川城(長野県松本市)[10.4km]
花岡城(長野県岡谷市)[10.6km]
山吹城(長野県諏訪郡)[10.6km]
林城(長野県松本市)[10.8km]
山家城(長野県松本市)[12.0km]
松本城(長野県松本市)[12.1km]
桐原城(長野県松本市)[12.5km]
有賀城(長野県諏訪市)[15.4km]

北熊井城の解説文

※この城郭は2026年4月6日に名称と位置が変更となりました。

北熊井城の口コミ情報

2026年04月30日 気分爽快権大納言
北熊井城



2026年より城郭変更で3000城の一つとなった城に行ってきました。中野陣屋からの変更ということですが、見応えのある城を知ることができました。
上ノ平城のような縄張りですが、堀はこちらの方が立派だと思います。

①「本城」と「中の城」間の深い堀。この先駐車場
②南の堀
③②南の小川
④本城の南
⑤本城にある「大空の一本桜」
⑥城の南にある土塁
⑦本城東の三重の堀
⑧東一曲輪と堀

2026年04月06日 ほりーないと信濃守
北熊井城



北熊井城へ初めて訪ねたのは桐原城リア攻めの後でした。塩尻市道東山山麓線を塩尻インターへ向って進む途中に「北熊井城→」看板を見つけて、素直に矢印方向へ曲がりました。車から素敵な堀が見える♪ この車道は堀底道♪ 日没時間にしっかり楽しむことができました。それ以降「北熊井城にも寄ってみて」と城友さん達にオススメするお気に入りのお城の一つとなりました。

気になるのは…駐車場。久しぶりに訪ねると「大手門」の看板の前に2〜3台停められる駐車場が整備されていました。城内もキレイに草刈りされています(広いお城ですので草刈りがされていない所もあります)。タイミングが合えば桜も楽しめます。地元の皆様に感謝です。

★祝★16周年!!「ニッポン城めぐり」重大(10大)ニュースで「狼煙ミッション」の復活が発表されました(運営様、ありがとうございます)。狼煙は様々な形で各地で上がっています。伊那谷(長野県南部)では「武田信玄狼煙リレー」が毎年開催されています。諸事情により信濃国→甲斐国へは複数の開催日で狼煙をリレーしています。
北熊井城も武田信玄狼煙リレーのポイント(会場)の一つです。伊那谷から北熊井城がある塩尻市へ狼煙が繋がります。他のお城からの狼煙は何回も見たことがありますが、北熊井城の狼煙はまだ見ていません。2026年4月6日城郭変更の記念に見に行ってみたいです。お城を通じての繋がりが広がります!

2023年05月08日 ᴿᴱᴰ副将軍
北熊井城



武田氏改修の周辺では珍しい台地城郭🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。松本平の南方を押さえる為に小笠原氏により築かれたとか、犬甘氏の一族である村井氏により築かれたとか諸説あります。 1546年、武田氏の侵攻により自落し武田氏の支配となります。1552年、高白斎記には「熊野井ノ城鍬立」とあり、武田氏が改修し深志城の小笠原長時を攻略する拠点とした様です。1582年に武田氏が滅亡すると、徳川家康の配下となっていた小笠原貞慶が松本城に復帰。北熊井城は溝口美作守の所領となりました。

見所
東西に伸びた台地上に築かれた連郭式。中央に本城を配し、西から「西三」「西二」「西一」「本城」「東一」「東二」「竹の花」と郭が連なります。それぞれの郭は空堀と土塁で区切られ南側にも土塁付の空堀が伸びています。本城の東側は三重、南側は二重の空堀で厳重に固められており見所です。

この辺りでは珍しい台地上なので比高はほとんどありません。高コスパ城です。

2023年04月05日 ほりーないと信濃守
北熊井城



比高は20m、城跡だと認識する前は畑がたくさんあるだけだと思っていました。近づくと美しい堀が出迎えてくれます。本城の東側には三重堀があります。眺めがとても良いです。塩尻ICから塩尻市道東山山麓線を走行して松本市へ向かう道中にあります。松本市の山城攻めの前後などにふらりと寄れるお城です。

今回の訪城は城友さん達との待ち合わせを兼ねました。ちょうど桜が見頃でした。遺構と桜のバランスが良く、お城も花も楽しむ事ができます。北熊井城の桜は知られていないようで訪れる人はほとんどいませんでした。

2022年02月18日 内記かずりヾ(・ε・。)
北熊井城



北熊井城は埴原城の南西約7.1km、標高1665mの高ボッチ山山塊の南西裾野、標高約755mの台地上平場に主郭が存します。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車は常識の範囲内でそこら辺に捨てられます。

築城年代は不明、築城者は時代の振れ幅もあるし、関係諸氏は多数に上るしで諸説あってはっきりしないです。城主となると尚更っす。

お城の存する熊井郷は文治二年(西暦1183年)が文書上の初見ですが、お城の方は戦国時代、武田氏による府中乱入の際が初見となります。天文十四年(西暦1545年)、福与城の藤沢頼親を降した武田勢は府中、林城付近まで兵を進め近隣を放火、その際に「熊ノ井」の城は自落、その後は天文十七年(西暦1548年)まで再び小笠原氏の支配を受けていたようですが、塩尻峠の戦いの後に再々武田氏の勢力下に置かれました。天文十七年に武田氏は村井城を築城して府中攻めの拠点としますが、北熊井城は天文二十一年(西暦1552年)に鍬立てされた事から深志城を補完する拠点として整備が進んだようです。

松本平における城郭としては珍しい部類に入ります。台地上に西方へ張り出す短冊状の微高地全てを使い切り(平城である。)、元々の居館城の縄張を大幅に拡張し順次改修に及んだとされています。決して複雑な縄張ではありませんが、堀切(主郭東側背後は三重堀切だ…)や空堀が良好に残っている他、土塁、虎口、喰違虎口、馬出、櫓台と思しき削平地等が確認出来ます。又、お城の一部は現在も耕作地として利用されていますが、耕されたぐらいで特に大きな影響は受けていないと思われます。

結構知られたお城だと思うんですが、がっつりな山城ファンが好む中信、北信のお城とは一線を画す北熊井城、伊那平や田切地形を活用しない佐久平のお城の趣きもあるけど話題になる事はあまり無い…でも冷静に考えりゃ武田ブランドで再出発した凄いお城なんですよ〜平城でこんなに素敵な堀系が残るお城なんて松本平では現況他には見当たらないっす。

かく言う自分も2回目の訪問でようやくそれに気付きました。初回訪問時は夏場で藪ってる上に城域が広大で大味な印象しかなかったんですが、積雪でコーティングされた北熊井城は大変な魅力を放っています。埴原城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。

2020年03月12日 征夷大将軍 びゅ~てぃみみ
北熊井城



西に突き出た高い台地を五つの郭で区切り、本城含む6つから形成されたわりとシンプルな城跡。各郭のまわりは深い空堀がめぐっています。

小笠原氏の城でしたが、塩尻峠の合戦前哨戦で武田信玄に攻め落とされたと言われています。

おおむね整備されているので見易いのですが、そうでない部分もありせっかくの空堀が…というところも。本丸からの眺めは塩尻の街並と北アルプスが同じフレームに収まるという、何とも贅沢で素晴らしい景色が広がっていて、これは中々感動モノです。

ちなみに山城ではないので登りはありません。近くまでいくと(位置はリア攻めマップ参照)案内板があるので迷うことはないと思いますが、入るところによっては途中道が狭いので大きな車だと草等があたり傷がつく可能性がありますのでお気をつけください。駐車場はなかったため、大手を少し過ぎた東側付近にとめさせてもらいました。

松本付近はガッツリの山城が多いですが、ここはお散歩感覚でお手軽に土遺構を楽しむことができますよ。城小腹が空いた時、ハードな山城散策前のウォーミングアップ…前菜的な感じで訪れてはいかがでしょうか。

北熊井城の周辺スポット情報

 駐車場(駐車場)

 本城登城口、虎口(その他)

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