中野陣屋(なかのじんや)
中野陣屋の基本情報
通称・別名
- 中野県庁
所在地
- 長野県中野市中央2-826他
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 徳川幕府
築城年
- 元和2年(1616)
主な改修者
- -
主な城主
- 松平氏、河野氏、徳川幕府(天領)
廃城年
- 慶応4年(1868)
遺構
- 石垣、井戸
指定文化財
- 県史跡(中野県庁(中野陣屋)跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
高梨氏城館(長野県中野市)[0.3km]
内堀館(長野県中野市)[4.8km]
福島正則館(長野県上高井郡)[9.0km]
長沼城(長野県長野市)[11.2km]
髻山城(長野県長野市)[11.8km]
部谷沢城(長野県下高井郡)[12.2km]
飯山城(長野県飯山市)[12.4km]
割ヶ嶽城(長野県上水内郡)[13.7km]
若槻山城(長野県長野市)[15.2km]
井上城(長野県須坂市)[15.3km]
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中野陣屋の解説文
中野陣屋の口コミ情報
2019年04月29日 みふ蔵人頭
鈴泉寺山門[中野陣屋 遺構・復元物]
飯山城から中野陣屋へ移されたといわれる豪壮な薬医門。
2019年04月29日 みふ蔵人頭
陣屋井戸[中野陣屋 遺構・復元物]
陣屋敷地内に残る数少ない遺構。井戸石組には「不忘井」の刻字がある。屋形は後世の復興。
2019年04月28日 笑門来猫
中野陣屋
明治維新後に起きた中野騒動で炎上した中野県庁跡にある資料館。目の前にのびる柳通りがいい雰囲気でした。
元和2年(1616)に北信地域の大半を領有していた松平忠輝が改易されたため、北信地域に初めて幕府領が成立し、高井郡中野村に陣屋が置かれた。中野陣屋は長野県内でも江戸時代を通じて長く設置されていた陣屋の1つで、時期によって差はあるが、おおよそ5~6万石の幕府領を支配していた。
中野陣屋は何度か火災にあって焼失しているが、天保11年(1840)の大火のあと再建された陣屋の敷地は、東西48間(約87m)・南北36間(約65m)の規模であった。陣屋の建築費や修理費は、中野陣屋管轄下の村むらが負担している。
明治3年(1870)9月に東信・北信地域の旧幕府領を管轄する中野県が設置され、旧中野陣屋には県庁が置かれた。しかし、同年12月の中野騒動によって県庁は焼失したため、明治4年(1871)6月に中野県は長野県と改称されてわずか11ヶ月の中野県の歴史に幕がおろされ、翌月には県庁が水内郡善光寺町(長野市)に移転した。
明治以後の中野県庁跡は研智学校・中野学校の敷地として利用され、昭和11年(1936)に下高井郡中野町役場(現在の建物)が建てられた。その後、昭和38年(1963)の中野市役所新庁舎完成にともなって公民館となり、中野市立図書館を経て、現在は中野陣屋・県庁記念館として利用されている。
情報提供:中野市教育委員会