茶臼峯砦

茶臼峯砦([中野陣屋  周辺城郭])

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茶臼峯砦の口コミ情報

2025年08月08日 内記かずりヾ(・ε・。)


さて、日本に一体どれくらいあるのか知らんけど、全国何処にでも見られるお山の名称が茶臼山だ。当然、山容が茶臼に似ている事からそう呼ばれていたんだとは思うんだけど、果たして本当に似ているんだろうか。おいら、ネットで茶臼を画像検索してみたんだけど、正しく縦に長い円柱形の臼であり、どう考えてもお山の形には到底成り難い代物、「う、嘘つきっ!」みたいな感じだった。

茶臼峯砦は中野陣屋の西南西約4.5km、篠井川北岸(右岸)、千曲川東岸(右岸)、標高約366mの丘陵地上平場に立地する砦です。北麓の長野県道29号、中野豊野線からの比高は15m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている「日本同盟基督教団中野キリスト教会」…を目標に設定して下さい。この教会の南西側、舗装道路に囲われた一般住宅地が該地の概ねの中心地だ。車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。

最初に断りを入れておくが、該地の茶臼峯は白鷺団地の造成によって山稜の一部分が削り取られ、段の付いた削平地等に改変されてしまっている。運の悪い事に茶臼峯砦の城域はこの部分が殆どであり、事実上、砦は完全消滅している。

築城年代、築城者は不明だが、城主として草間氏の名が挙がる。同氏については同じ中野陣屋のリア攻めマップにある、大久保館、草間城も併せて参照して下さい。

「長野県町村誌」には「烽火臺址」として、「本村(草間村)の東、日和丘嶺上字茶臼峯にあり。東西廿間(約36.4m)、南北十五間(約27.3m)、五稜形をなす。遺壘等依然として猶存す。今に至り近傍を耕田する者、往々鐓或は鎗、鏃等の土砂蝕入したるを得るあり。」とある。

草間氏は、永禄二年(西暦1559年)三月、武田氏の信濃経略によって主家の高梨氏と共に中野地方を逐われ、以降は高梨氏の幕下として上杉氏に随身している。年次不詳、高梨氏諸士注文案には、「犬飼内浅野分 当知行草間殿」とあり、草間氏は高井郡犬飼郷内浅野に新たな知行地を得ていたようだ。

永禄十二年(西暦1559年)霜月(十一月)十三日、信濃の国人領主等は、長尾景虎が関東管領に補任された事を祝して太刀を贈っているが、その次第の中に「御使者ニて御太刀ノ衆」として、「高梨政頼ノ御使者ニ筆(草)間出羽守」とあり、草間出羽守なる人物が高梨政頼の使者であった事が判る。もしかしたら「上杉景勝自筆腰物目録」に書き上げられた、「一 くさま一もんし(草間一文字)」の太刀はこの時に贈られた一振りなのかもしれない。

砦の現況は…完全消滅、語る事は出来ない。往時の縄張は中空にあるのだ。現在の地形に拘る事はそれこそ全く意味が無い。

こんな物件だけど再訪となる。前回訪問時は資料を忘れてしまいこの砦が完全消滅している事に気付いていなかった。但し、再訪してもやる事は変わらなかってん…阿保…

※くさま一もんし(草間一文字)〜刀剣専門家の間では村上氏の被官、佐久郡内雁峰城城主、草間備前守に纏わる物だと推測されているが…少々無理があるように思う。

※写真は撮影日時が違う物が含まれている。意味の無い写真だけどこの辺が造成によって削られた部分て事で勘弁…

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