壁田城

壁田城([中野陣屋  周辺城郭])

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壁田城の口コミ情報

2025年09月15日 ᴿᴱᴰ 副将軍


川中島の戦いにおける武田信玄の最前線の拠点⚔

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

壁田城(へきだじょう)と読みます

築城年代は不詳。歴史は古く、火置田と書いて大和朝廷の蝦夷地開拓時代の狼煙台のあったと云われます。
中世には山田氏の居城となり、山田氏は高梨氏に属しており、高梨氏の支城として機能したとされます。
1566年、北信に侵攻してきた武田信玄に山田飛騨守・山田左衛門尉は降り、替佐城とともに上杉氏との川中島の戦いでは飯山城を押さえる重要拠点として機能しました。その際に小幡信貞が城将として入ったとも、山田氏がそのまま城主を務めたとも云われ諸説あります。

見所
千曲川東岸の標高480mの河岸段丘上に築かれています。
南北に伸びる尾根筋に堀切で区画された郭が連なる連郭式。
主郭は最高所に置き、現在は長丘神社が鎮座。
主郭南側には堀切を隔てて三段の郭、主郭北側には大堀切で区画された三つの郭が連なります。
北側には城域直下まで続く林道が付いており、ほとんど登らずに登城することができます。
また、神社により改変を受けているものの整備されており、山城ビギナーにオススメの城郭です。

2024年09月05日 マグロ常陸介祐平


日本土人形資料館で鴨ヶ嶽城の所要時間を尋ねた際に、お城が好きなら壁田城と替佐城をセットで見ることを薦められ、訪れてみました。

壁田と書いて「へきだ」と読みます。奈良時代は「火置田(ひきだ)」と書き、蝦夷地開拓に関係する狼火台として使用されたと伝わるようです。
戦国期になると高梨氏の家臣、山田豊前守がお城を築いています。その後、山田氏は武田氏に降伏し、武田方の城として上杉方の飯山城の抑えの役割をはたしたようです。

駐車場のすぐ先から、堀切が連続する光景が間の前に現れます。遊歩道を作る際に改変されているようですが、なかなかのものです(写真1,4枚目)。その先には長丘神社が鎮座する帯郭に囲まれた本丸があり(写真2,8枚目,8枚目は虎口)、拝殿の壁には謙信、信玄一騎打ちの絵馬風の説明板が見られます(写真5枚目)。本丸の南側には東屋のある段になった曲輪があり、その先には2つの堀切があります(写真6,7枚目)。南側の堀切は、後世の改変があるかもしれませんが、切り通しの通路となっていて、その先には段状の郭が並びます。

発掘調査(トレンチ)の結果では、山城に関する遺構・遺物は検出されず、東側斜面の段々の平地は、後世の畑地として造成されたものと確認されたようです。

実際に廻って見ると、小規模ですが、見応えのあるお城でした。

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