壁田城
壁田城([中野陣屋 周辺城郭])
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壁田城の口コミ情報
2024年09月05日 マグロ常陸介祐平
日本土人形資料館で鴨ヶ嶽城の所要時間を尋ねた際に、お城が好きなら壁田城と替佐城をセットで見ることを薦められ、訪れてみました。
壁田と書いて「へきだ」と読みます。奈良時代は「火置田(ひきだ)」と書き、蝦夷地開拓に関係する狼火台として使用されたと伝わるようです。
戦国期になると高梨氏の家臣、山田豊前守がお城を築いています。その後、山田氏は武田氏に降伏し、武田方の城として上杉方の飯山城の抑えの役割をはたしたようです。
駐車場のすぐ先から、堀切が連続する光景が間の前に現れます。遊歩道を作る際に改変されているようですが、なかなかのものです(写真1,4枚目)。その先には長丘神社が鎮座する帯郭に囲まれた本丸があり(写真2,8枚目,8枚目は虎口)、拝殿の壁には謙信、信玄一騎打ちの絵馬風の説明板が見られます(写真5枚目)。本丸の南側には東屋のある段になった曲輪があり、その先には2つの堀切があります(写真6,7枚目)。南側の堀切は、後世の改変があるかもしれませんが、切り通しの通路となっていて、その先には段状の郭が並びます。
発掘調査(トレンチ)の結果では、山城に関する遺構・遺物は検出されず、東側斜面の段々の平地は、後世の畑地として造成されたものと確認されたようです。
実際に廻って見ると、小規模ですが、見応えのあるお城でした。