長老山
長老山([髻山城 周辺城郭])
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長老山の口コミ情報
2024年06月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、たまにはリア攻め中にテンションと血圧がどんどん下がって思わず意識を失いそうになったりもする物件、びっくり物件でも投下しよう。真面目に探索してても最終的には阿保らしくなって陣払いするのがこれ等物件の常なんだけど、結果は判っているのに訪ねなきゃ気が済まないのも事実…「行かなきゃいいのに…」て思うかもしれないけど、お城廻りの目標を定めたおいらには避けては通れない道だ。この長老山をびっくり物件とする理由にあっては後述する。
長老山は髻山城の北西約0.9km、標高673mの丘陵頂部に立地する何かです。北麓の農道からの比高は50m位でしょか。信濃のお城の神は山名で呼ぶが、これを城砦跡とするのが憚れるからなんだろう。
行き方は…リア攻めマップを参照して下さい。周辺に目標となるものがありまてん…誰も行かないと思うので説明しないけど。長野国際カントリークラブから鞍部を挟んだ南方の小山が該地だ。ちなみに道形が僅かに残ってたけど、激藪過ぎるんで適当な場所から適当見当付けて適当直登した方が遥かにましだと思う。
「信濃の山城と館8、水内・高井・補遺編」に掲載がある。信濃のお城の神の著述によると…
「この山名の由来は分からないが、明神山の項でもふれたが、平出村は往古には、現在地より西にあったようで、この山の麓に近く村があったことになる。その立地は髻山城との関係とは無縁と思われず、従って甲越戦争の際には兵火にあったのだろう。」
「…平出村の往古の位置からすると、後背の山になり、髻山の西側を越える山道がこの山の下を通過する。以上のように、この山の付近には、甲越戦争の際には、重要な間道があり要所要所には道押さえの物見などが設けられていたことが想像される。しかし、この山については、確かな史料や伝承は聞くことができない。」
…つまりは、信濃のお城の神が地勢的条件から何らかの城砦が存在したであろう事を想像し、周辺地域から適地を探し出して新たに提起した場所が該地て事になる。史料、伝承等を欠き、根拠となるものは一切存在しない。推測地にもならないだろうてのが正直なところだ。
まず、縄張図がやる気無し…国土地理院地図を拡大して手描きで起こしたのみ。特に何かを付け足す事もない。丘陵頂部は削平てか東西に長く平べったい不整形な楕円形、当たり前だが城郭遺構は何も見出せない。展望は樹木に遮られて最悪レベル、何も見えないや…
そもそも論で周辺地域一帯は丘陵地を形成しており、城砦を築くとしたら別にこの小山でなくとも構わない筈だ。長老山についてはどんなに頑張っても他に書く事が無い。敢えて付け足すなら、第三次川中島の戦い、通称「上野原の戦い」は、髻山城の周辺地域が主戦場であったと推測されている。想像を逞しくすれば、上杉勢にとってその後背地に当たる該地の平出はさぞかし騒がしかった事だろう。
「信濃の山城と館」はおいらにとって欠かす事の出来ないバイブルだ。ところが神は信者に気紛れに踏み絵を突き出す事も度々である。無視して構わないとは思うんだけど、神の軌跡を追い続けるのも信者の使命だ。人が入らなくなって久しいそこら辺の裏山を城砦跡との不確実な前提のみを頼りに探索する…もはや変態を通り越してただの異常者っすわ…
※今回の口コミはそこら辺の裏山レポートて感じ…根本的に見なくてよいっす。
※物件として信濃のお城の神に追従したのは今のところおいらだけの筈…
※この日の成果は居館1、屋敷3、色物物件2、びっくり物件2…ノーマルなめぐら〜からしたら阿保なんだろう。
※写真①は要るのか知らんけど東麓から撮影した長老山…正直言って適地とは言い難いような…
※写真④は要るのか知らんけど北東麓から撮影した長老山…正直言って何故にこの小山なのか…