大久保氏館

大久保氏館([髻山城  周辺城郭])

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大久保氏館の口コミ情報

2024年06月15日 内記かずりヾ(・ε・。)


さて、夏場になると、おいらのフォトギャラリーは水田と耕作地の写真で埋め尽くされる訳だけど、果樹園の写真も多くなる事を忘れちゃいけない。城館のリア攻めにおいて結構な気を遣うのが後世、果樹園と化した物件、「季下に冠を正さず。」の諺じゃないけど、基本的に怪しまれて当然の行為となる。特に季節を間違えると致命的な結果をもたらしたりするんで、より一層の注意と配慮が必要になったりもする。

大久保氏館は髻山城の西北西約2.9km、成合川西岸(左岸)、標高約646mの丘陵地緩斜面上平場に立地した居館です。該地は丘陵地間を構成する、謂わゆる窪地形の底部に位置する。

該地の西側を南北に走る長野県道37号、長野信濃線は飯綱町と長野市市街地を最短距離で直接結んでいるが、旧道の方は近世の北国脇往還の裏道に殆ど準じており、坂口から地蔵久保を経て坂中峠を越えて坂中に至り、アプリの登録城、若槻山城の西麓を通って善光寺平の浅川へ抜ける。江戸時代における裏道の通行には厳しい定目が定められていたが、善光寺参りの際にはさぞかし重宝した事だろう。中世にも同様の峠越えの道筋が必ず存在した筈である。

行き方は…リア攻めマップを参照して下さい。周辺に目標となるものがありまてん…車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。おいらは前述の県道脇の空地に捨てたが、それが必ずしもベストだったとはよう言い切らん。該地の特定は本来容易だけど、自分がリア攻めマップに落としたスポット位置の僅かな誤りのせいで藪漕ぎしながら崖地を下りる無駄な苦労をした。戒めとしよう。

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは大久保某です。「長野県町村誌」には、「古事詳ならず、村上氏の幕下領せしか不詳…」とあり、別に、「里俗伝に年月不詳、本村字築地に某なる者、字下窪に大久保某居住し酋長となり世々統し、永正年間(西暦1504年〜1521年)初て室飯城主島津権六郎の領に帰し、世襲すと云ふ。不詳…」とある。尤もらしい事が書かれているが、詳しい事は昔の事なんでよく判らねぃよて感ぢ?っすかね。信濃のお城の神は単に地士の屋敷跡であろうとする。

居館の現況は…耕作地、耕作放棄地、果樹園等となっている。東西の丘陵地に挟まれた南北に長い見事なまでの窪地であり、南側の一帯を「大久保」、緩い傾斜で下る北側の一帯を「下窪」と呼ぶ。町村誌が居館地とするのは「下窪」だが、信濃のお城の神は聞き込みによって「大久保」の内の2箇所を別に比定している。つまりは狭い範囲に3箇所の比定地を持つ物件な訳だが、遺構が残っている筈もなく、もはやそんなのどうでもよいとさえ思えるのただの窪地だ。

該地とその周辺一帯には今も集落が存在しない。往時もそうだったろう。居館地とするには寂し過ぎる感じがするし、窪地はむしろ隠れ住むて表現がぴったりの印象だ。そうでなければ、道押さえの屋敷か番所の類いであろうか…例えば、殿様が、「おまえにはあの辺の小山をあげる事にする。好き勝手にしてよいから、たまに通る道行く人を見張っておいておくれ。」てな感じ…おいらには想像出来る。一家総出で屋敷周りの畑地を開墾しながら時折通行人を改める地侍、大久保某の姿が…

…もはや病気なんでそっとしておいてくれ。

※怪しまれて当然の行為〜おいらは背負っていたザックを所有者に改められた事がある。誤解を解いたのは携帯に写真として入っていた縄張図だ。

※該地の上水内郡飯綱町は、「りんごの町」とも呼ばれるりんごの名産地っす。何か書くんだったら宣伝しておいてくれと近傍の方に言われたので宣伝する。通販もあるよ。

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